第3話 鼠小僧は「義賊」だった(その1)

鼠小僧は「義賊」だった(その1)


1)前置き

 長らく「義賊」として君臨していたレジェンドを、例えば有り難かった旧一万札の「聖徳太子」は居なかったと言うがごとく、次郎吉を「とんでもない盗人」とこき下ろすことは痛快で溜飲が下がる。この手の「大どんでん返し」ゴシップは、とても流行り歓迎される。実際お札の「聖徳太子」は消えてしまった。しかし私は「義賊じゃなかった」とは言わない。


2)「磔(はりつけ)」と「獄門」その他の違い(次郎吉は「磔」にされたのか?)

◇〈日本史が100倍面白くなる本/青春出版社〉によれば、

【磔】

 「親殺し、あるいは主を傷つけた場合の刑。木に縛り付けられた上、脇腹から肩にかけて槍鉾で突かれた。絶命するまで、20から30回、突かれたらしい」

【獄門】

 「首を斬られて晒される刑。追剥、関所以外を通っての山越え、偽秤枡を製造するなどの、人を殺傷する以外の罪を犯した場合の刑で、斬首そのものは牢内で行なわれた。その後、獄舎の門に3日2晩にわたり、晒された」

◇〈江戸博覧強記/小学館〉によれば(庶民に対する刑罰)、

【磔】

 「柱に縛りつけた罪人を槍で刺し、処刑後は死骸を晒す。罪状により引廻しを付加。主殺し・関所破り・通貨偽造などに適用。これより重い極刑は鋸挽で主殺しのみに適用」

【獄門(火罪)】

 「獄門は斬首のうえ、首を晒す。罪状により引廻しを付加。主人の妻との密通、強盗殺人などに適用。火罪は火あぶりで、必ず引廻しを付加。放火犯に適用」

【死罪(下手人)】

 「死罪は斬首のうえ、死骸は様斬(ためしぎり)される。罪状により引廻しを付加。下手人は死罪に準じるが、様斬はなく、死罪より刑は軽い。死罪は金10両以上の盗みなど、下手人は喧嘩・口論による殺人などに適用」

【通常の体系では刑罰の軽重は段によって分けられた】

 「罪状によって刑罰を一等重くするときは一段上げ、一等軽くするときは二段下げるとされたが」、「遠島以下の刑を死刑に加重することはできず」、「死刑から一等軽くするときは、いかなる刑種でも遠島か重追放となった」

【もう一つの体系はおもに盗犯に対する刑罰】

 「入墨重敲・入墨敲・入墨・重敲・敲(たたき)とされ」、「入墨重敲より重い刑罰は死罪である」。「初犯敲・再犯入墨・三犯死罪」といわれるが、「金10両以上の盗みは初犯でも死罪」となる。尚、「入墨は、敲・追放刑などの付加刑」としてある。


◆結論じみた「答え(刑罰の推定)」

 次郎吉の主な罪状は「金10両以上の盗み」(「3,000両以上」と言われる※)である。故にかなり流布されている「磔」は、ドラマや映画などでは「映える」に違いないが、あり得ないのではないか? 市中引き回しの上牢内で斬首、さらし首。これが「真相」かも知れない。しかし未だに刑場が「小塚原」なのか「鈴ヶ森」なのか、両説あり、特に刑場があった小塚原回向院の一職員の説明(「刑場は定かでない」)を聞けば、余計に分からなくなる。


〈注※前掲「判決文」や古文書『鼠小僧次郎吉盗入候御名前并金高及仰渡』に依る金額だが、微妙に詳細が違う。ついでながら、判決では次郎吉「36歳」、この古文書では「38歳」とある。これが彼の「年齢」が特定出来ない理由の一つであることは間違いない。普通、年齢が違えば「別人」か「誤り(誤記)」であろうし、「公文書」としての体を為さず、両文書の信憑性は薄れるが、お構いなし〉

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