婚約している暇はない!

五条葵

第1話

豪奢な装飾、まばゆい光、華麗な音楽。

  色とりどりの宝石は会場に溶け込み、人々の喧騒すら、ここでは舞台を形作る。

 ひときわ威厳に満ちた青年が階段を下りてくると、彼は真っ直ぐにその令嬢の元へと向かう。

  その足取りはぶれることなく、その目はただ、愛しい彼女を映す。

 彼は彼女の前に来ると、腰を折りダンスを申し込む。彼女もまた完璧な所作でこれを受ける。どこまでも決まったとおりのしかし、美しい動きである。ただ、彼らのほんの一瞬微笑み会う目を見れば彼らがただ儀礼的にこれからのダンスに向かおうとしている訳ではないことはすぐにわかる。


 青年は、彼女の腰に手を回すと、当然のように会場の中心へと彼女を誘う。音色が変わりダンスが始まってもこの広い会場で踊るのはただ2人だ。あまねく人々の注目を一身に浴びつつそれでも彼らの足取りは狂わない。2人の愛情、信頼そして純粋に今このダンスを楽しむ気持ちが彼らを包んでいるのだろう。そんな2人を見て周囲は感嘆を漏らす。国中が注目する時間は既に始まっているのだ。




 そこまで書き留めたところで、私もまた幸せそうな2人を見つめ溜息を吐いた。どこまで見てもお似合いの2人だ。乙女たちの憧れの的、王子様。その花嫁探しは古今東西いつだって世の一大事。ここヴロシェーハイムの王太子、リアン様の結婚相手が誰になるか、ということももまた人々の注目を集めていた。これまで女性の影が全くと言ってよい程なかった彼の婚約は国を挙げての慶事と言って良い。王国中の貴族、そして各国から来た賓客が集まるこの場は間違いなく今年1番の夜会となること間違いなしだった。


 それにしても人が多い。さっきから手帳に書き込みたいことは山ほどあるのに、なかなか手が進まない。


 速記にはある程度の自信がある私だが、これはさらに腕を磨く必要がありそうだ。


 と一通りの挨拶を何組かの男女と交わしたところで先程の詩吟遊人が語る恋抒情詩ロマンスもかくやという美しい王太子とその婚約者のダンスを思い返す。(ちなみに私の本日のエスコート役は歳の離れた従兄弟が引き受けてくれた。)



 自国、他国とあまねく女性達が美しく着飾っても、彼の目に入るのはただ一人、目の前の女性だけ。それはたとえ遠くから見ても彼の目線ですぐにわかる。美しくなびく金色の髪に澄んだ青い瞳、王子の瞳の色に合わせたであろう、落ち着いたグリーンのドレスは本日の主役としては決して華やかとは言い難いが、そのあちこちにちりばめられたレースやビーズ、刺繍を見れば、たいそう手の込んだ一品であることは簡単にわかる。


 聡明で控えめ、あまり大勢の前で目立つのは苦手だという彼女の気持ちを王太子が最大限に汲み取ったのだろうなと思うとその微笑ましさに思わず笑みもこぼれる。


 苦手とは言っても、王太子の婚約者として認められた方、ダンスの足運びは完璧だ。やや型にはまった感じなのは初恋の恋人同士の婚約披露の場としては物足りない感じもするが、国を挙げた儀式のファーストダンスとしては十二分の出来といえるだろう。


 さらに彼女は語学への造詣が深く、その他の知識も改めての教育は必要ないほど、領地では特に子供たちに対するものを中心に慈善活動にもかなり熱心だったと言い、王太子との出会いもその活動の途中であったというのだから、まさに未来の国母としては理想的な人材と我が国の王太子は恋に落ちたと言えるだろう。


 また書く手をとめて、う~ん、これはいくら何でも褒めすぎかしら、と思っていると見知った人から声をかけられた。


「これは、ブランシェ家のお嬢さん、ずいぶんと大きくなって」


「テイラー卿。彼女ももうデビュタントを終えた立派な貴婦人レディですよ」


「ええそうですわ。社交界に出入りするようになってからは初めてですわね。


 ブランシェ家令嬢、ハンナと申します。どうぞお見知りおきを」


 急に知り合いに声をかけられたので、手帳はいったんストップ。さっと扇で隠していつもの挨拶を交わす。今声をかけて下さったのは、テイラー卿。王宮で結構な職にある侯爵様で、いろいろあってまあまあな頻度で王宮に足を運んでいた私とはそれはそれは小さい頃から面識がある。


 一応、社交の場なので、儀礼的なお辞儀をしたが、プライベートな場ではテイラーおじ様という感じの方だ。


 ところで、どうして人々が集い、踊り、王子の婚約を祝う場で私は、手帳を開いているのか。それは私の生まれに関係する。




 私は、ハンナ、ブランシェ男爵家の一人娘。本来であれば男爵というと、貴族の地位としては下から数えた方が早いのだけど、歴史の長いこの王国では必ずしもそうでないこともある。ブランシェ男爵家もまた、下手をすると物語の世界として語られる時代から続く由緒正しき家系なのだ。


 ブランシェ家が古くから重用されてきた理由。それは国史の編纂を担ってきたからである。古くは千年以上前からブランシェ家とその親戚筋は国で起きたあらゆる出来事、政治、文化を事細かに記録し、国史として記録してきた。その巻数たるや数千、これらの記録を元にさまざまな事態に対処し、発展してきたヴロシェーハイムは、千年のときをかけて学問と伝統そして叡智の国として名をはせるようになった。我が家はその記録の中心にいるのだ。


 もともと学問が盛んな国だけど、特にブランシェ家とその親戚筋は根っからの活字好きとして育てられる。生まれたときから周りには貴重な書物が山とあふれ、周りの大人たちは自作の童話をたくさん聞かせてくれる。そして読み書きができるようになると自分でも周りの子達と競うように物語を書くようになる。そんな物書きの英才教育をうける私だ。私も気づくと立派な活字中毒になっていた。


 しかし、私にはただのブランシェ家の一員として以上の目標があった。それがブランシェ家当主の座だ。ブランシェ家の当主、それはずばり、国史の編集長たることを意味する。



 それは私がまだ8歳くらいのことであろうか。とは言うもののブランシェ家の子達はこのくらいの年齢になると、自国語で書かれた書物は当たり前のように読みこなせるようになる。外国語の書物も絵本程度であれば読めるようになっている時期だ。その日はブランシェ家に数多くの親戚が集まっていた。今考えると編集会議のようなものだったのだろう。そしてその会議が終わり晩餐の着替えのために各自が客室へと戻った後、私は空っぽになった部屋へと忍び込んだ。


 よく考えると不思議な出来事だったわね。編集中の国史というのは国家機密に値する。それでなくても我が国にとって歴史はこれ以上ない財産。一般の人が閲覧できるように編集されなおしたものもあるけど、本当に国の根幹に関わるような内容のものは王立図書館に秘蔵されていて、ブランシェ家の人間であっても簡単には見ることはできない。でもその日は確かにその部屋に入れたのだ。そして会議室状の部屋の一番奥、私のお父様が座っていたであろう席には糸で縫われたいくつもの紙が積み上げられていたのであった。


 もちろん幼いころから多くの子供たちがそう教わるようにお父様の仕事道具に触れてはいけません、と教わっていた私だったが、その時には好奇心に全く勝てなかった。気づいた時には、その紙の山を次から次へとめくっていたのだった。


 1枚1枚ページをめくると、見たこともないはずの風景が鮮明に浮かんだ。書いては塗りつぶされる文字、それぞれが報告を述べては書き加えられていく言葉。一つの分を作るために途方もない意見のぶつかり合いが起こる。それはまさに歴史が生み出される現場だった。


 そして私の胸にはすぐにとある思いが生まれた。当主になりたい、と。


 翌日、すぐにお父様にブランシェ家の当主を私も目指したいと伝えた。その時のお父様の言葉は


「そうか、ハンナも当主を目指したいか、頑張るんだぞ」だった。


 子供ながらにそれが本気の言葉とは思わなかった。


 そもそも私が当主を目指すには女性であるという大きな壁がある。いくら学問が女性にも広まっているとはいえ、それは将来的に良い嫁ぎ先を見つける一歩になるということ。基本的に男性中心のこの国では貴族当主を女性が勤めるということは例外だ。ブランシェ家の当主というのはかなり特徴的で、最終的には数ある候補者の中からもっとも優秀とされる人が次期当主として迎えられるのだけど、それでも女性当主というのは物語の時代を含めて数人いるかいないかとされている。現ブランシェ家の場合は私が一人娘ということも会あって親戚筋の中から優秀な子が選ばれその内の誰かが養子としてブランシェ家を継ぐことがほぼ決まっていた。


 とはいえ、それであきらめれるようなものでもない。私はその後もひたすらに「当主になりたい!」と訴え続けた。


  するとある日、それは突然訪れた。ブランシェ家とその親族の子供たちに与えられる課題として去年の国史を読みその要約をするという課題をお父様に見せた翌日のことである。(ブランシェ家の記録は多岐にわたる。それは例えば重要なお茶会といった女性しか入れないような行事に関することもある。故に当主にならないというだけでブランシェ家の子供達はみな国史に関わることになる。)


「ああ、ハンナにはこれを渡そうと思ってね」


 ポンっと手のひらに渡されたのは銀色の小さな鍵だった。


「これは我が家の書物庫の奥の部屋の鍵だ。それからそれは所謂禁書の類を見ることができる証になるから、王城の図書室でも、王立図書館でもその鍵を見せればどこでも通してもらえるはずだよ。」


 なんてことのないようにお父様は言っているが、つまりはこれはブランシェ家でも限られた人しか見ることのできない貴重な書物を見る許可をもらったと同然のとんでもない代物である。


「お父様、つ、つまりそれはそういうことですか」


 というと、お父様は疲れたような、あきらめたようなそれでいて少し誇らしげなような笑顔を見せた。


「本当はハンナには、誰か素敵な旦那様の元へ嫁いで時折我が家の仕事を手伝うような普通のブランシェ家の令嬢の人生を送ってもらいたかったのだけどね。そこまで当主になりたいのであれば仕方がない。目指す以上は、本家の人間として、当主の座を得るように努力しなさい。我が家の当主はそんなに甘くはないぞ。」


「ええ、もちろんですわ」


 こうして、何があったかはわからないけど、ブランシェ家当主候補となった私は、他に数人いる親戚筋の令息達と競うようにして、今まで以上に勉強に励むこととなった。


  国史は歴史そのもの。言葉の誤りなどあってはならないし、真実を間違いなく伝えつつも美しい物語であることも求められる。


 何千という書物を読みこなすことはもちろん、語学、政治、経済といった知識を詰め込む必要もあるし、そして、家族に連れられて親族の集まりや、同年代が集うお茶会、王宮に出入りできる年頃になると、それらの出来事を擬似的な歴史として記録する課題も与えられる。


 こうして、社交界への出入りの練習を、いかにつつがなくお話しながら、すばやく、何気なく記録ができるのか、という同年代の令嬢とは少しずれた方向に必死に努力した結果誕生したのが、常にドレスの隠しに手帳を忍ばせる令嬢、ハンナ・ブランシェである。


 と、いってもこの時には、自分が少しずれているということには全く気付いてなかったのよね。それはそう、ブランシェ家は言うなれば千年単位で活字馬鹿の家系。社交や恋より書物の世界に夢中になる女性はそうじゃない人を数えるほうが簡単なくらい。それで所謂結婚適齢期を逃してしまう人も家系には山程いる。もちろんお母様もこんな家に嫁いでくるくらいだから、王立図書館通いが趣味だった根っからの書物好きで、何なら当主の妻になることで得ることができる禁書を読むことができる権利が結婚の決め手だったのでは?と言われる程(もちろん冗談だし、両親は趣味が合う同行の士として結ばれた仲むつまじい夫婦である)


 だからこそ、私が当主候補に入ったときにはさすがに驚きの声が入ったが、社交界デビューを控えた令嬢が、ドレスと化粧品ではなく、書物の山に囲まれてホクホクとした笑みを浮かべていたとしても誰も不思議には思わなかったのである。




 そんな私にとって今回の夜会は一般的な貴族が思うのとは少し別方向に特別なものだ。努力の甲斐あってか一応今のところ私のブランシェ家当主への道は良い線を言っていると思う。そんな私に与えられたデビューの場がこの婚約披露である。これまでは記録をとることはあってもそれはあくまでも非公式な場でに限られていたが、今回は違う。勉強のためという名目でこれがそのまま国史に載るわけではないのだが、それでも正式に記録をとることが出来るのだ。私にとってはこれまでの努力を形にするチャンス。当然主役二人を見る目も輝くというものだ。




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婚約している暇はない! 五条葵 @gojoaoi

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