第2章 タイトル未定
プロローグ 『色々な人たちの思惑』
アルシアン帝國所属、サイオンジ公爵家の長女であるユメハ=レイオ=サイオンジは真夜中に唐突に目を覚ました。
同時に意味不明な孤独感に苛まれた。
幼子が広い街の中で迷子になってしまったような、世界中で1人だけ取り残されたような不安感。
混乱と困惑と恐怖と絶望にユメハは恐慌状態に陥り、泣き出して暴れ回りそうになって……。
「……どうした?」
「あ」
その優しさに満ちた声が届いて一気に正気を取り戻した。
同時に感じていた孤独感から発生した色々な感情が瞬時に霧散して――心の奥底から無限に愛情が溢れ出て来る。
そうして安定を取り戻したユメハは現状を正しく認識出来るようになった。
彼女の現在地はサイオンジ公爵家の自室――元自室であり現在は夫婦の部屋となっている中のベッドの上。
彼女の状態は一糸纏わぬ全裸であり、貴族らしからぬサイオンジ公爵家の特徴である腰まで伸びた赤い髪と真紅の瞳、最近豊満になって来た美貌の肉体を惜しげもなく晒していた。
「……なんでもない♪」
そして、この世で最も愛おしい夫――エミリオ=ゲイオ=サイオンジの腕の中にいた。
アルシアン帝國の元最4皇子エミリオ=オルテサンド=アルシアンだったが、今はユメハと結婚してサイオンジ公爵家の婿となった男。
ユメハと同様に貴族らしからぬ黒髪と右目が赤で左目が緑という
それ以外にも前世――日本人としての記憶を持ち、魔術を極めて魔法に至る者であったり、神滅兵器【
だがユメハにとって重要なのはエミリオ――愛称リオが傍に居て自分を愛してくれるという事実であって、それ以外はどうでも良い。
(ああ……幸せ♡)
ユメハと同様に全裸のエミリオに抱き締められて、その心臓の鼓動を聞く彼女は自分が直前まで不安に駆られていた事実すら忘れかけていた。
どう見ても事後で、愛し合った後に全裸で抱き合って眠っていた夫婦は、そのまま再び眠りに就くのだった。
サイオンジ公爵家は有名だ。
所属している帝國だけでなく、帝國を知る者ならばセットで帝國の守護者であるサイオンジ公爵家を知らないという者はまずいない。
その美貌からは考えにくいが、単騎で一軍を圧倒して壊滅出来る武力は有名で、帝國に喧嘩を売ってもサイオンジ公爵家には喧嘩を売るなというのは有名な格言だった。
サイオンジ公爵家が代々継承している聖剣と呼ばれる特殊な剣も彼女達の武力を知らしめる特徴の1つではあるが、真にサイオンジ公爵家を知る者なら彼女達が聖剣などに頼らなくても十分以上に強いことは知られている。
その強さはまさに超人と言う他なく、世界最強の生物と言われても否定する要素がない。
だがサイオンジ公爵家の本当の特徴は強力な武力ではなく、その異常と言える独占欲と底なしの愛情の方が真骨頂だ。
夫となった男の全てを独占しなければ気が済まない。
愛情を筆頭とした心の全てを、血も肉も骨も髪も全てを、本当に何もかも全てを手に入れていないと嫉妬心で気が狂ってしまいそうになるのがサイオンジ公爵家の特徴。
夫が浮気でもしようものなら男のシンボルを切り落として、その後の人生は夫を監禁して過ごすことも辞さないヤンデレ予備軍。
その武力も特徴も常人にとっては忌避される類いのものではあるが……。
「~♡」
夫さえ独占出来ていれば可愛い性格であり、無限の愛情で過剰に甘やかしてくる愛妻であり、夫が望むスタイルと性格になる理想の女だ。
現状、エミリオに浮気をする意思がなく、愛情をユメハにのみ注げているのなら何の問題もなかった。
浮気をせずに、愛情をユメハのみに注げていれば。
◇◆◇
ここに刺客が居る。
(順調ですわね)
両親によって過去の大事な思い出を歪められ、洗脳に近い処置によって愛おしいエミリオをユメハに奪われた少女――カイリナン公爵家の長女セリナエル=ノルダ=カイリナン。愛称はセリナ。
洗脳されて親友だったエミリオとユメハのことを忘却させられた挙句、生来のおっちょこちょいな性格で8年越しの待ち合わせ場所を間違えてエミリオの双子の弟と婚約する羽目になった波乱の人生を歩む者だ。
帝國が同盟軍――大陸治安維持同盟の侵略を受けた際に洗脳を自分の力で解除して思い出を取り戻した彼女は、現在の婚約者であるユニクスとの婚約破棄を計画していた。
刺客としてユメハからエミリオを奪い取る気満々の彼女だが、まずは邪魔な婚約者であるユニクスを排除しなければ話にならない。
その一環として魔術でユニクスを眠らせて全裸に剥いだ挙句、後ろ手に両手を縛りあげて王宮の通路に放置するという暴挙を実行した。
狙い通りユニクスの王宮内での評判は地に落ちた。
(でも、まだ足りませんわ)
1つの悪評だけでは婚約の破棄を宣言するのに不足していると判断したセリナはまだまだユニクスを追い落とす計画を考案中だった。
「ふ。うふふ。うふふふ……!」
「お、お嬢様! その笑いは公爵令嬢として不適切ですから!」
「あら、いけない」
昔から懇意にしている侍女に窘められてセリナは笑いを引っ込める。
(ユメハ様。取られたものは取り返させて頂きますわよ!)
公爵令嬢にしては根性のありすぎる彼女は笑いを止めて次の計画を練るのだった。
◇◆◇
(どうしてこうなった)
アルシアン帝國の第5皇子であるユニクス=オルテサンド=アルシアンは自室で頭を抱えていた。
少し前まで帝位争いで長男のフリードリッヒとトップ争いをしていた筈なのに、気付けば彼は現在進行形で転げ落ちるという苦難の中にいた。
ケチが付け始めたのは筆頭執事でありユニクスの片腕とも言えた忠実な部下であるセバスを失ったことだった。
今思い返せば、あれは確実に悪手だったとユニクスにも分かる。
片腕であるセバスに双子の兄であるエミリオを呼びに行かせ、言うことを聞かないようなら殺してしまえと命令してしまったのだから。
当時はエミリオのことを無能と蔑んでいたユニクスだが、実はエミリオが途轍もない魔術の達人であると知っている今なら無謀でしかないと分かる。
間違いなくセバスはエミリオに殺されたのだということも。
(そもそも、奴を始末するにしても片腕であるセバスを使う必要なんてなかったじゃないか。当時の僕は何を考えていたんだ)
苦悩して過去を悔いるユニクスだが、断言すれば《何も考えていなかった》というのが正解だった。
当時のユニクスにはエミリオが自分に反抗してくるなんて想像も出来ていなかった。
片腕であるセバスを失った結果、帝位争いでは長男であるフリードリッヒに後れを取ってしまい皇太子の座まで奪われてしまった。
だが、それ以上に次に打った手は悪手だった。
(まさか、サイオンジ公爵家があれ程とは……)
第2皇子であるジグセルクを煽ってクーデターを誘発し、更に第1皇女であるカサンドラと第2皇女であるカルディアを扇動して協力させた結果、サイオンジ公爵家の当主であるユキナの規格外の強さを目撃させられる羽目になった。
流石にアレに喧嘩を売る程ユニクスも無謀ではないので、表面上は大人しくして頭の中で地位の奪還を計画していたのだが……。
(あれは一体何だったんだ?)
気付けば全裸で王宮の通路に放り出されており、しかも後ろ手に手を縛られて股間を隠すことも出来ないという状況に陥っていた。
おまけに偶然通りかかったエミリオとユメハに目撃されて……。
(くそっ!)
ユメハには男のプライドをズタズタにされた。
更に王宮に務める多数の人間に痴態を目撃されて、皇帝には溜息と共に注意を受ける羽目になった。
ついでに『少しはエミリオを見習って落ち着きを持て』などと言われる始末。
ユニクスの人生において、これ以上の屈辱はなかった。
(なんとか……なんとかしないと!)
ユニクスは爪を噛んで現状を打破する方法を模索するが――彼を追い落とそうと虎視眈々と機会を伺っているセリナに気付けなければ泥沼だと気付けないのが致命的と言えた。
◇◆◇
猛虎傭兵団。
大陸にはそういう名前で呼ばれる集団が存在する。
傭兵というのは冒険者とは違って冒険者ギルドという組織から依頼を受けるのではなく、専属で組織に雇われて荒仕事をする者の通称だ。
猛虎傭兵団はその傭兵の中にあって特に戦争――対人戦を得意とする傭兵団だった。
団員は全て鋼の肉体を持ち、一騎当千の強者揃い。
この表現は比喩ではなく、この傭兵団に所属する者は1人の例外もなく肉体をミスリルという特殊な金属を傭兵団に代々伝わる秘伝の技法でコーティングしているのだ。
故に鋼の――ミスリルの硬度を持つ肉体を持ち、更にミスリルの特徴として魔術に対して強い耐性を持つので殆どの魔術が効かなくなる。
そんな精鋭とも言える猛者が300人も所属しているのが猛虎傭兵団だった。
「次の相手は……帝國か」
猛虎傭兵団の団長であるグロッサは2メートル超える長身と、ギラギラに輝くミスリルでコーティングされた筋肉が盛り上がった肉体を誇示しながら笑う。
「ぐふふ。少しは楽しめそうだ」
グロッサは常に飢えていた。
食事ではなく戦いに。
肉体をミスリルでコーティングするという反則技とも言える所業を実行した彼ではあるが、それを除いても最近は充実した戦いを味わえていなかった。
それがグロッサを筆頭とした猛虎傭兵団を的確に表す言葉であり真相。
強い相手と戦うことが目的であり、報酬や名誉などは二の次。
「噂の帝國の守護者……サイオンジ公爵家がどの程度か、楽しみだ。ぐふふ」
ユメハ本人が見たら鳥肌の立つような笑いを漏らすグロッサ。
彼はミスリルで肉体をコーティングするという常軌を逸した処置の代償として男としての機能を失って久しい。
故に女で飢えを凌ぐということは出来なかったが、それ以前の話として……。
「ゴロガを呼べ! 今夜は前祝いに可愛がってやる!」
元より彼は男色なので女に興味はなかったりする。
「ぐふふ。そういえば帝國には廃棄皇子がいたな。あれも美味そうだ」
エミリオが聞いたら顔を真っ青にして一目散に逃げるであろうことを呟いて笑うグロッサだった。
こうして様々な思惑が絡み合って、帝國の混乱は加速していくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます