第10話 『嫁と元幼馴染が知らぬ間に対峙する』
再び近衛騎士団の訓練に参加することになったユメハは退屈で欠伸を噛み殺していた。
(……退屈)
昨日までエミリオと四六時中イチャイチャしていた彼女――サイオンジ公爵家の女としては最高に幸せだった時間から一転、退屈な訓練への参加で調子が戻っていなかった。
(でも、お母さんの言うことも分かるし……)
だがユメハとしても、いつまでも近衛騎士団と距離を置くのは不味いとは思っていた。
緊急時には帝國の守護者として働くことになるサイオンジ公爵家としては、喩え実力的には彼女達に劣っていたとしても精鋭として名高い近衛騎士団と連携出来ない状況というのは歓迎しない事態だ。
その為にユメハが彼らに媚びる必要はないが、それでもなるべく訓練には参加して顔を合わせておく必要がある。
「へっ。色ボケ特務団員様は今頃訓練に参加かよ。お気楽なこって」
だが、世の中にはタイミングが悪いというか、空気の読めない奴や情勢を理解出来ない馬鹿はいるものだ。
以前から近衛騎士団に参加している者はユメハの実力を知っているので侮られることはないが、近衛騎士団は精鋭だけに入れ替わりが激しい。
有力貴族からの推薦と厳しい試験を乗り越えて新入りが入って来ることもよくあることだった。
ユメハとしては、そういう馬鹿に態々構ってやる必要はないのだが……。
(何故か、こういう馬鹿に限って無駄にしつこいのよねぇ)
無視していると調子に乗って後で面倒なことになると経験で知っていた。
「私の指導を受けたいのかしら?」
「はっ。望むところだぜ、特務団員様よぉ」
特務団員というのは近衛騎士団の中でのユメハの立場を現したものだ。
実力的には団長になってもおかしくないユメハだが、有事の際には率先して単独で動くことも多いサイオンジ公爵家の女なので指揮を執る立場に身を置くことは出来ない。
それ故に近衛騎士団の中で有事の際は自己の判断で団長並の特権を持つ立場として特務団員という特別な役職が作られていた。
まぁ、今は有事ではないので平の団員と同程度の発言力しか有していないが、逆に言えばいつでも団長相当の発言力を得ることが出来るということだ。
そんなことも理解出来ない馬鹿を相手にしなければならない我が身を嘆きながらユメハは訓練用の木剣を手に取って……。
「おっと。俺は模擬戦でも真剣を使う実戦派だぜ? だから特務団員様との勝負も真剣を希望する」
「……構わないわよ」
馬鹿の戯言を聞き流して木剣を手に取った。
「あ? だから俺は真剣での勝負を……」
「だから好きな獲物を使って良いと言っているのよ。私はこれで構わないわ」
それは暗に『お前の相手如き木剣で十分だ』と言っているようなもので、実際ユメハは馬鹿の相手は木剣で十分だと思っていた。
「っ! 死んでも後悔すんじゃねぇぞ!」
「はいはい。早く掛かって来なさい」
「てめぇっ!」
明らかにやる気のない態度のユメハに激高した馬鹿は開始の合図も待たずに剣を振り上げて――振り下ろす前に、その手首をユメハの木剣で強打されて剣を取り落とした。
「まさかとは思うけど、私に剣の握り方まで教えて欲しいのかしら?」
「っ!」
我に返った馬鹿は慌てて剣を拾い上げ、今度は冷静に剣を構えて……。
「っ!」
次の瞬間には剣の柄を下から木剣で叩かれて再び剣が宙を舞っていた。
「……早く拾いに行きなさい。指導はこれからよ」
「ちぃっ!」
屈辱に顔を真っ赤に染めて慌てて剣を拾いに行く馬鹿。
その光景を見て他の近衛騎士団の団員達は同情の視線を馬鹿に向けていた。
本来、貴族のコネで入団した世の中を舐めているような馬鹿を彼らは歓迎しないが、ユメハの指導を受ける相手には例外なく同情するのが慣例となっているのだ。
それから馬鹿は幾度となく剣を拾ってはユメハに飛ばされることを繰り返して――ポッキリと心を折られた。
平の団員には知らされていないことだが、こうして近衛騎士団の品位を落とすような馬鹿の心を折って退団を促すのもユメハの隠された役目だ。
ユメハは馬鹿の顔も名前も覚える気はないだろうし、明日にはきっと今日の出来事すらも忘れているだろう。
そうして大の男が心を折られ、みっともなく泣きながら逃げ去った後……。
(……退屈だわ)
ユメハは再び退屈に欠伸を噛み殺す羽目になっていた。
まぁ、今のユメハの価値観からすればエミリオと過ごす時間以外の全てが退屈ということになってしまうのだが。
それでもエミリオとの生活を守るという大義名分がある以上、訓練から抜け出すにはそれ相応の理由が必要になる。
「あの……!」
そして、その理由は向こうからやって来た。
「……セリナ」
8年前に再会を約束したエミリオとユメハの親友で、同時にエミリオを裏切った女。
「少しお時間を頂けませんか?」
「……構わないわ」
どの道、いつかは直面する問題だし、欠伸を噛み殺して訓練に参加しているよりは有意義だと思ったユメハはセリナの誘いに乗ることにした。
机を挟んで座り、侍女の用意した紅茶をゆっくりと味わいながら飲む2人の公爵令嬢。
紅茶を用意したのは例のセリナの事情を知っている侍女で、彼女の姿を確認したユメハはセリナに事情を話したのか目で問うが……。
「…………」
侍女は無言で首を横に振るだけだった。
元より彼女は公爵家に仕える一介の使用人に過ぎず、主人である公爵に意向に逆らえるような身分ではない。
「先日のお2人の結婚式は小さいけれど、とても素晴らしい結婚式でした」
「……ありがとう」
そしてユメハとエミリオの結婚式を素直に祝福するセリナからは洗脳が解かれたような気配は感じられない。
「でも、どうしてなのでしょうか?」
「?」
「あの結婚式を見て以来、わたくしは胸が苦しくて……どうしようもない焦燥感にかられることがあるのです」
「……そう」
洗脳されて思い出が歪められていても、それでも心の何処かでエミリオを求めているセリナ。
そんなセリナを見てユメハは僅かに胸に痛みを感じたが――それも一瞬。
(私には……無理)
ほんの僅か、本当に一瞬だけだがユメハとセリナでエミリオを共有して愛を分かち合う想像をしただけで――ユメハは気が狂いそうな程の嫉妬と独占欲が溢れ出した。
サイオンジ公爵家の業とも呼べる独占欲と嫉妬心は彼女にも色濃く受け継がれていて、とてもではないがエミリオに他の女を近付けることを許容出来そうもなかった。
その反面、ユメハはエミリオのことを考えると……。
(ほっ♡)
底なしの愛情が溢れて愛おしい気持ちでいっぱいになった。
これこそがサイオンジ公爵家。
セリナという親友に対して女の友情があるし、洗脳されてもエミリオを求める彼女に共感するし同情もするが……。
(リオを渡すくらいなら……死んだ方がマシだわ)
それでも見定めた男の方が何万倍も大事なのだ。
「なんとなくですが、ユメハ様とは仲良くなれそうな気がしますの」
「そうね。私も……そう思うわ」
ユメハは内心の思いを表に出さないまま、続いていた会話に相槌を打つ。
「考えてみれば、わたくしがユニ様と結婚したならユメハ様とは義理の姉妹ですものね。仲良くなるのも当然の話ですわ」
「……そうね」
「っ!」
ユメハは取り繕って再び相槌を打ったが、同席していた侍女は息を飲んだ。
セリナは本人も気付かないまま――涙を流していた。
(セリナはいつか歪んだ洗脳を自力で解いて思い出を取り戻すのかしら?)
ユメハはそれはとても残酷なことだと思った。
喩え思い出を取り戻したとしても、セリナの本当に欲しい物は手の届かないところに行ってしまったのだから。
(あんたのことは嫌いじゃないけど、それでもリオだけは……譲る気にも共有する気にもなれないのよ)
侍女の哀願する視線には気付いていたユメハだが、彼女にもどうしても譲れないものがある。
(せめてセリナの婚約者がユニクスじゃなかったら……もう少し心が軽くなるんでしょうね)
ユメハは内心で嘆息しつつ、涙を流し続けながら話すセリナと味の分からなくなった紅茶を飲むのだった。
◇◇◇
少しだけ飛翔魔術に対するアプローチを変えてみる。
今まで俺は土魔術を発展させた重力魔術で重力を遮断するとか、風魔術を発展させた嵐魔術で身体を浮かせるというアプローチで飛ぼうとしてきた。
だが、それでは無駄が多いし効率的ではない。
(とは言っても、どうすれば良いのやら)
俺は左目をオンにして魔力を可視化出来るようにする。
俺の魔力は深層意識の部屋の中で完全に管理されているので俺の身体からは魔力は漏れていない。
今見えるとすれば――俺の周囲を漂っている空気中に存在する魔力。
これは魔素と呼ばれるもので、以前に魔力が可視出来るようになった時に魔素を体内に取り入れて運用してみようとアプローチしてみたことがある。
ぶっちゃけ数日間も生死の境を彷徨った。
うん。魔素って人間の身体には毒だったんだ。
死に掛けながら深層意識の部屋で魔素をせっせと外に放り出す作業が出来なかったら高確率で死んでいた。
こういうのを、この世界では魔素中毒と呼んで、致死率9割を超える猛毒と認識されているらしい。
ついでに言うと俺が6歳の時の飲まされた毒と同一のものであると判明した。
これを飲まされたから俺の魔力を生み出す機能は破壊されて、魔術の適性なしと判断される羽目になったのだから。
(あの時は死に掛けた忌避感で魔素を利用しようなんて気にはならなかったが、そろそろ深層意識の部屋に貯め込んだ魔力玉の在庫が不足気味なんだよなぁ)
俺が常時発動している
それでなくとも冒険者として大量の魔物を狩ったりしたので在庫が不足気味だ。
(要するに魔素を体内に取り込むから問題なのであって、魔素を身体の外で管理運用出来れば
結婚して妻を持つ身となった以上、無用にリスクを冒す気はないが――妻に護られるだけの存在に甘んじる気もないのだ。
当初の予定通り、ユメハを護る程には強くなれなくても構わないが、肩を並べて足手纏いにはならないようにしたい。
(ちょっと頑張ってみるかなぁ)
新型の
(ふむ。想像以上に魔術に対する理解度みたいなものが上がっているなぁ)
ともあれ、これで魔力運用が常に赤字という状態は脱することが出来た。
言い換えれば節約せずに魔力を運用出来るようになったということ。
(魔力……魔力ねぇ)
そもそも魔力とは一体何だろう?
魔術を使う為に必要なものと教えられて深く考えて来なかったが、この魔力を解明することこそが魔術を極める為に重要なことなのではないか?
俺は魔力を使って魔術を行使するのではなく、魔力を魔力のまま身体の中から身体の外へと取り出してみる。
以前は深層意識の部屋から身体の一部に集めることにすら苦労していたが、今では俺の意思で深層意識の部屋から自由自在に魔力を移動させることが出来る。
それを身体の中で運用するのではなく、身体の外に出してみたわけだが……。
(む。魔力は一度身体の外に出してしまうと維持するのが困難だな)
気を抜くと霧散して散ってしまいそうな魔力を必死に制御して球体に固めて維持する。
暫くそうやって維持に集中していると、やっと慣れてきて俺の指先の上で魔力の小さな球体がフヨフヨ浮いていた。
(……魔力ってどうやって浮いているんだ?)
魔力には重さがないと言われてしまえばそれまでだが、俺の意思で制御されている魔力は風や重力に頼ることなく普通に浮いている。
「……これは使えるんじゃね?」
「何が使えるの?」
「ひょっ……!」
言い忘れていたが俺の現在地は寝室――サイオンジ公爵家で元はユメハの自室だった部屋で、今は夫婦の部屋として使われている場所だ。
現在時刻は既に深夜に差し掛かるような時間であり、当然のように俺達はベッドの中で――所謂事後という奴でお互いに全裸で抱き合って眠りについていた。
正確には俺はユメハの暖かい身体を抱き締めながら魔力運用の考察をしていたわけだが、まさか小声で呟いたことに返事が返ってくるとは思っていなかった。
「ちょっとうたた寝しながら新しい魔力運用について考察してた」
「それって明日の朝になると忘れちゃう系?」
「……似たようなことは何度か経験したな」
寝る直前に色々と考察して明日試してみようと思い、朝になったらスッパリ忘れてました、なんてのも本当に良くあることだ。
「くすくす」
ユメハは俺の腕の中で楽しそうに笑い、そっと俺の背中に腕を回して抱き返してきた。
「おやすみなさい」
「……おやすみ」
ともあれ、今日はもう寝て明日試してみることにしよう。
◇◇◇
翌朝。
今日もユメハは近衛騎士団の訓練に出掛け……。
「ワクワクするわ!」
出掛けることなく、俺の実験を近くで見学していた。
「えっと……仕事は大丈夫なのか?」
「昨日、訓練に顔を出したら色々あったの。だから2~3日は顔を出さない方が良さそうなのよ」
「何があったし」
どうして1日だけ顔を出したら問題が起こるのやら。
「それに、どうせ帝國が非常事態になればサイオンジ公爵家に呼び出しが来るわよ」
「……確かに」
サイオンジ公爵家は帝國の守護者。
態々働かなくても向こうから仕事を持って来て、それをこなせば勝手に大金が入ってくる仕組みになっている。
「それで? 今日はどんな実験をするの?」
「……新しい魔力運用」
とりあえず、昨日の夜に思い付いたことは魔力が単体で俺の意思に従って浮くのなら、全身に魔力を纏ってしまえば自由自在に飛べるのではないか? ということだ。
「でも、私は普段から魔力が身体から漏れているけど、それで飛べたことはないよ?」
「それは未使用の魔力の余剰分が漏れているだけで、意図的に身体に纏っているわけではない……んじゃないかなぁ?」
「半信半疑なんだ」
「だって、それをこれから実験するんだし」
「そうだね♪」
うん。ユメハは本当に楽しそうだ。
ともあれ、俺は深層意識の部屋に確保している魔力を運用して慎重に全身に纏っていく。
「よし。これで後は浮けるかどうか試して……!」
「リオっ!」
サイオンジ公爵家の中庭に居た俺は、気付けば公爵家を囲む外壁に叩きつけられていた。
「だ、大丈夫? 怪我はない? 何処か痛いところは?」
その俺を心配してユメハが俺の身体を撫で回してくるが……。
「全然大丈夫だが……何が起こった?」
「わかんない。リオが唐突に凄いスピードで壁に向かって行って激突したのは分かったけど」
「凄いスピード?」
確かに俺は全身に魔力を纏って、ちょっと浮いて前に進もうとしてみたが――まさかいきなり超スピードで壁に激突する羽目になるとは。
「というか、そんなスピードで叩きつけられてよく無事だったなぁ」
念の為に身体を確認してみるが、やはり怪我はないし痛みもない。
魔力を纏う都合上、
「これは……物凄く魔力効率が良くて、纏っただけで
「そうなの?」
ユメハが魔力を纏った俺をツンツンと指で突いてくるが、それは普通に突かれている感覚がある。
「色々と実験してみる必要がありそうだな」
「……気を付けてね?」
「分かってる」
ユメハに心配掛けないように俺は慎重に実験を開始した。
そうして数時間を経た実験で分かったことと言えば、最初に纏った魔力の100分の1以下でも自由自在に飛べるという高効率の魔力運用が可能であるということだった。
魔力を纏っている間は物理的な影響は受け付けない。
どうやら魔力というのは物理法則に左右されない自由なエネルギーらしい。
しかも高効率。
「ああ、なるほど」
そして俺は唐突に理解した。
魔術を極めて魔法に至るということ。
その為には魔術ではなく魔力の使い方からアプローチを変えなければいけなかったのだということ。
そして、それを理解した俺は――もう魔法を使える。
同時に、俺が地球で集めさせられた不運の負のエネルギーが俺の望む形に変化したことも理解した。
そして気付けば俺は真っ白な神殿のような場所に立っていた。
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