第2話 『2度目の人生の8歳にして初恋の対象となる』

 

 サイオンジ公爵家。


 響きからして恐らくは西園寺だと思うが、その昔東方から来た剣の達人が帝國に嫁ぎ、皇帝の一族の分家となって今に至るまで続いているという剣の名門家。


 基本的に貴族は金髪碧眼なのに対して、代々赤い髪と真紅の瞳を持つのが特徴。


 本来なら帝國の帝位継承者達にとって、絶大な影響力を持つ貴族家の後ろ盾は喉から手が出るほど欲しい物で、公爵家の令嬢ともなれば皇子の誰かと婚約してしても不思議ではないのだが――とある事情によって帝位を狙う皇子にとってサイオンジ公爵家の娘というのは鬼門になっていた。


 で。そのサイオンジ公爵家の令嬢が俺に魔術を教えてくれるということになったのだが……。


「ぐふっ!」


「なにしてんのっ! ちゃんと避けなさい!」


 何故か俺は木剣を持たされてユメハと模擬戦を繰り返していた。


 どうしてこうなったのは分からないだろうけど、俺にもサッパリ分からない。


 魔術を教えてもらう筈が、何故か中庭に連れ出されて木剣を持たされて、延々と模擬戦の相手をさせられていた。


「ほらほら。次行くわよ!」


「ちょっ……! 待っ……!」


 制止するも問答無用で木剣を振り回したユメハの一撃をモロに受けて……。


「ほげぇっ!」


 あっさり気絶した。






 目を覚ましたら知らない天井が見えた。


 そして猛烈に頭が痛い。


「あら。気が付いたかしら」


「…………はい?」


 そして見知らぬ美女が俺を覗き込んでいた。


 艶やかな腰まで伸びた赤い髪と、穏やかそうな真紅の瞳の美女で……。


「……サイオンジさんですか?」


 その特徴で相手が誰だか分かってしまった。


「ええ。よく分かったわね」


「……特徴的なので」


 ゆっくりと身を起こすとズキズキと頭が痛んだが、想像していたよりも軽い痛みだった。


「一応、治療はしておいたけど、まだ痛むかしら?」


「……大丈夫です」


「そう。それなら改めて自己紹介するわね。私はユキナ=レイオ=サイオンジ。サイオンジ公爵家の現当主にして、あなたを木剣に気絶させたユメハの母親よ」


(マジかぁ~)


 サイオンジ公爵家の関係者だとは思っていたけど、まさか一児の母だったとは。


 ユメハの姉と言われても信じてしまいそうなくらい若々しい美女だったのに。


「あ……エミリオ=オルテサンド=アルシアンです」


「知っているわ。あなたもある意味では有名だしねぇ」


 遅れて自己紹介したが、廃棄皇子の話は有名だったのか当然のように知られていた。


 ただ、城の連中とは違って、その眼には蔑みの色は見えなかった。


「ユメハがごめんなさいね。あの子、お節介焼きの上にお転婆で……誰に似たのかしら」


「…………」


「ナニカシラ?」


「ひぃっ! な、なんでもありません」


 一瞬、親子ならこの人も昔はお転婆だったのかなぁ~とか考えたら恐ろしく冷たい目で見られて超ビビった。


 流石は剣の名門サイオンジ公爵家の当主。


 娘とは迫力が段違いですわ。


「あの子も悪気はないのよ。実際、リオ君が気絶しちゃって泣きながら運んできたくらいだしねぇ」


「魔術を教えてくれるって話だったのに、何故か剣の模擬戦をすることになったんですが……」


「あの子、魔術よりも剣術の方が得意だからねぇ」


「……そうですか」


 こうして俺はサイオンジ公爵家の母娘と知り合ったのだった。




 ◇◇◇




 それからユメハは毎日のように俺を中庭に連れ出しては色々な特訓を課してくるようになった。


「モヤシみたいに部屋の中に引き籠っているから簡単に気絶なんてするのよ。これからは軟弱なあんたをあたしが鍛えてあげるわ!」


「……魔術の特訓はどうなったんでしょうか?」


「あたしから一本取れたら教えてあげるわ!」


「えぇ~……」


 俺と同じ8歳児とはいえ、サイオンジ公爵家の令嬢から剣で一本取るとかムリゲーなんですけど。


「まずは基礎体力をつける為に……走るわよ!」


「えぇ~……」


「城の周りを20周よ!」


「死ぬがな」


 俺は冗談かと思ったがユメハは本気だった。


 ぶっ倒れるまで走らされて――気付いたらまたサイオンジ公爵家でユキナさんに看病されていた。


 とりあえず次にユメハを見かけたら逃げるか隠れるかしようと心に決めた。




 ◇◇◇




 魔術の方が結局自力で何とかした。


 深層意識の部屋で、指先に魔力を送るイメージをしたら指先に集まってくれて、それから詠唱をしたら上手くいった。


 上手くいったのだが……。


(なんか……違う)


 態々深層意識の部屋を経由して魔力を指先に送るというのは物凄く非効率的な気がした。


 多分、普通の人はこんなことはしていない気がする。


(そもそも、魔力が見えないのが悪い)


 深層意識の部屋では黒い粘度の高い液体として視認出来るが、それはあくまで深層意識の部屋でイメージとして再現されているだけであって、現実には魔力を視認することは出来ない。


 指先に集めると、なんとなぁ~く存在を感じるけど、それにしたって不明瞭で不確かな存在だ。


 まぁ、魔力とはそういうものだと言われたらそれまでなのだが。


(魔力を見る方法ってないもんかねぇ)


 色々調べてみたら刻印魔術に魔力を可視化する魔術というのが載っていた。


 これで眼鏡でも作って刻印魔術を刻み付ければ魔力を可視化出来る。


(問題は、眼鏡を手に入れる方法がないことか)


 うん。この世界にも一応は眼鏡はあるが、高級品で廃棄皇子が欲しいと言ってもポンポンくれる代物じゃない。


 というか俺は目が悪くないので何故欲しいと言われたら困る。


 それ以前に刻印魔術がちゃんと使えるように練習する必要がある。


(次は刻印魔術を試すか)






 刻印魔術は決められた刻印を刻み込んで、そこに魔力を流せば発動する魔術だ。


 具体的な刻印は詠唱魔術の詠唱の部分になるのだが……。


(これって、意味とかどうなってんだ?)


 城の書庫にある魔術書と呼ばれる書物を何冊も読んでみたが、詠唱や刻印を翻訳している書物は存在しなかった。


 難解で研究が進んでいないのか、それとも最初から意味なんてないのか。


 とりあえず簡単そうな初等魔術の詠唱から解読に挑戦してみるか。




 ◇◇◇




 詠唱や刻印の解読は思ったよりも簡単に進んだ。


(魔術って思ったより凄いかも)


 例えば点火ティンダーなんかは魔力を燃料に――アルコールに見立てて燃やしているとすれば納得出来た。


 だが初等魔術には精水アクアと言ってコップ1杯の水を作り出す魔術が存在した。


 俺は最初、この魔術は空気中の酸素と水素を化学結合でもして水を作り出しているのか思ったのだが、実際には魔力を直接水に変換しているのが正解だった。


 つまり点火ティンダーの場合も魔力を燃料に燃やしているのではなく、魔力を直接火に変換しているということになる。


 そして精水アクアの場合は飲み水にも使える――つまり魔力を魔術で変換した場合、永続的に効果は持続するということになる。


 言い換えると魔力を物質に変換している――魔力で物質を作り出していることになる。


(これって法則さえ掴めれば、なんでも作り出せることになるんじゃないか?)


 なんだかワクワクして来ちゃったぞ♪


「みぃ~つけた」


「ひぃっ!」


 魔術で出来ることの幅を知って油断した。


 恐る恐る振り返ると、そこには満面の笑みのユメハさんが……。


「さぁ、今日も特訓よ!」


「えっと、今日は少し身体の具合が……」


「大丈夫! あんたの軟弱を治すのがあたしの使命だと思っているから!」


「……そっすか」


 逃げられそうになかった。




 ◇◇◇




 この世界――というより帝國の文化はどちらかと言えば西洋よりだ。


 主食はパンだし、飲み物は紅茶だ。


 米は勿論だが、味噌も醤油も和風なものは滅多に存在しない。


 だが意外なことに桜はある。


 その昔、サイオンジ公爵家が東方からやって来た後に、先祖が故郷を懐かしんで東方から輸入して植えたのが始まりと言われているが、そういう経緯を持って帝國には見事な桜並木が存在した。


 帝國にも四季はあり、季節は春。


 見事な桜が咲き誇り……。


「ぜぃ……ぜぃ……ぜぃ……」


 その桜を見上げる余裕もなく俺は走らされていた。


「ほらほら、ペースが落ちてるわよ! 後たったの20周なんだから頑張りなさい!」


「……し、死ぬ」


 サイオンジ公爵家の訓練がどのようなものなのか俺は知らないが、8歳児にこれは普通に虐待だと思う。


 いや。指導しているのも8歳児なんですけどね。


「も……だめ」


 限界を迎えて俺は遂に倒れる。


「こらぁ! 勝手に寝るなぁ!」


 ユメハがガミガミ怒鳴るが、流石にもう動けない。


 俺はこのまま意識を手放して……。


「あの……大丈夫ですか?」


「?」


 聞き覚えのない声が聞こえてきて、反射的に顔を上げていた。


 そこに居たのは俺やユメハとは違って正当な皇族や貴族の特徴である金髪碧眼で白いワンピースを着た少女。


「わ」


 その俺達と同い年くらいの少女は俺を――正確には俺の目を見て驚いていた。


 まぁ、初対面の奴は大抵は俺の虹彩異色症オッドアイの目を見ると驚くんだけど。


「凄い。綺麗ですわ」


「…………」


 だが貴族然とした奴に綺麗と言われたのは初めてだった。


 桜のことじゃないよな?


「リオ! あんた、ちゃんと立てるじゃない!」


「あ」


 初対面の少女と見つめ合っていた俺は後ろに鬼軍曹が居るのを忘れていた。


 このまま意識を失って終わりにする予定だったのに……。


「そう。毎回簡単にギブアップすると思っていたら……演技だったのね」


「ち、違っ……!」


「明日からメニューは倍だからね!」


「無理無理無理ぃっ!」


 冗談抜きで俺は涙目でユメハに哀願して……。


「くすくすくす」


 そんな俺達を見て金髪碧眼の少女は楽しそうに笑っていた。


 初めて会った時のユメハのように邪気のなさそうな笑い。


(ついにメインヒロインが来たか)


「あんた、今何か失礼なこと考えたでしょ」


「な、ななな、なんのことでせう?」


 いやいや。同い年くらいとはいえ、流石に子供相手に恋愛感情を抱いたりしないよ?


 ただ10年後くらいには分からないし、今の内に粉掛けておこうと思っただけだし。


「自己紹介が遅れてしまいましたね。わたくしはカイリナン公爵家長女セリナエル=ノルダ=カイリナンですわ。セリナと呼んでくださいませ」


 なんと彼女は公爵家の令嬢でした。


「…………」


「……なによ?」


「いえ、なにも」


 同じ公爵令嬢なのに随分違うなぁ~とか思ってねぇし。


「俺はエミリオ=オルテサンド=アルシアン。一応帝國の第4皇子」


「あたしはユメハ=レイオ=サイオンジよ。サイオンジ公爵家の長女」


「まぁ」


 俺とユメハの肩書が自分と同等以上だと知ってセリナは驚いていた。


「お父様に何と言って誤魔化そうと思っていましたが、皇子様と公爵家の令嬢なら普通にお友達になれますわね♪」


 どうやら、何処かの鬼軍曹と違って親が厳しいらしい。


 こうして俺とユメハとセリナは友人という関係になったのだった。




 ◇◇◇




 セリナは俺とユメハとは違い、普段は帝都ではなく公爵家の領地で暮らしているらしい。


 今回は父親――カイリナン公爵が帝都に用事があって、それに同行してきたのだとか。


「むぅ。お父様にリオ様の話をしたら何故かあまり近付かないように言われましたわ。プンプンですわ!」


「まぁ、俺は廃棄皇子だからなぁ」


 セリナは分かりやすく機嫌を損ねていたが、世間的には父親の方が正しい。


 俺自身の過失はないが評判が底辺の皇子と仲良くしても良いことはないのだろう。


「リオが強くなって見返してやれば良いのよ!」


「……そっすねぇ」


 ユメハの意見はいつだってストレートだ。


 単純と言い換えても良い。


「言いたいことがあるなら聞いてあげるわよ?」


「……ナンデモアリマセン」


 この妙に勘の鋭いところはサイオンジ公爵家の血筋だろうか?


 ユキナさんも妙に勘が鋭いし。


「…………」


 ユメハとそんなやり取りをしていたセリナが俺達をジッと見ていた。


「どした?」


「えっと……リオ様とユメハさんは、ひょっとして婚約していたりしますの?」


「「は?」」


 そして、そんなトンチンカンなことを言いだした。


「だって凄く仲が良さそうなんですもの」


「仲が悪いとは言わないけど、あたしがサイオンジ公爵家の女である限り、リオと婚約することはないと思うわ」


「だな。少なくとも俺が皇子である限りユメハと婚約することはないと思う」


「?」


 セリナは困惑していたが、サイオンジ公爵家というのは帝位争いをする皇子にとって鬼門である以上、俺とユメハが婚約することは不可能だ。


 喩え俺が帝位争いに参加する気がないとしてもだ。


「帰ってからカイリナン公爵に聞けばサイオンジ公爵家がどういう家なのか教えてくれるわよ。リオと婚約することはあり得ないってことも」


「……そうなんですか」


 チラリと俺を見て少しだけ嬉しそうに笑うセリナ。


 まだ出会って数日だが、何故か好意を持たれているようだ。




 ◇◇◇




 本来、俺達は遊んでばかりいるわけにはいかない立場だ。


 皇子は英才教育を受けるのが常だし、公爵令嬢も色々な習いごとをさせられるのが常識だから暇ではない。


 だが廃棄皇子である俺は誰からも興味を持たれない存在だし、ユメハは剣術さえ頑張れば文句を言われないし、セリナは帝都に遊びに来ているようなものだ。


 本来なら身分を気にするような3人が毎日のように一緒に遊んでいれば仲良くなるのも当たり前の話。


 特にセリナは今まで同年代で対等の友達はいなかったらしく、俺達の友人関係を凄く大事にしているようだった。


 そして仲が良くなればお互いに相手のことが深く理解していくのも当然の流れ。


 ユメハがお節介でお転婆というのは分かっていたことだが、セリナは外面は令嬢らしく振舞っているが、その本質はおっちょこちょいで頑固な少女だった。


「リオ様は面倒臭がり屋ですわね」


「それに怠け者だわ」


「…………」


 まぁ、俺が2人のことを理解したように、2人も俺のことを理解するのも当たり前だが。


「でも、とっても綺麗な目をしていますわ」


「……まぁ、悪い奴じゃないと思うけど」


 それに別に悪い印象を持っているわけでもないらしい。


「~♪」


 特にセリナは恋心というにはまだ未成熟すぎるが、俺に好意を持っているようだった。




 ◇◇◇




 だが、いつまでも一緒というわけにはいかなかった。


 セリナはあくまでカイリナン公爵に付いてきただけであり、公爵の用事が終われば領地に帰るのが当たり前。


 セリナの帰る家は本来カイリナン公爵領にあるのだから。


 そして、今回セリナが自由な時間を満喫出来たのは偶然に偶然が重なった結果だ。


 故に、次にセリナが俺達と会うことも一緒に遊ぶことも、よほどの偶然が重ならなければありえないこと。


 下手をすれば、このまま一生会えないまま終わりということもありえた。


 セリナは成人すれば社交界デビューして帝都のパーティに参加することもあるかもしれないが、俺とユメハが社交界に参加することはないだろうし。


 俺は廃棄皇子故に。


 ユメハは成人すれば近衛騎士団に入団することが決まっているからだ。


「10年後に……」


 故に、それはセリナの決意を固めた約束。


「いえ、10年は長いので8年後に、また3人でここでお会いしましょう。わたくしは絶対に帰ってきますわ!」


 固い決意は唐突に方針変更されたけど、考えてみれば10年後だと俺達は18歳になるわけで、この世界で女性が18歳で独身だと行き遅れ手前になってしまう為だろう。


「ああ」


「分かったわ」


 そうしてお気に入りの桜並木で再会の約束をして――親友のセリナとお別れをした。




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