第八八話 安土名物の予感
◆天文十七年(一五四八年)一月下旬 近江国 安土城付近
現在絶賛建築中の安土城は、史実では本能寺の変の直後に焼失してしまったので、当時の姿は絵画から想像するしかない。光秀縁者の
安土城至近でご存知日本最大の湖の琵琶湖は、この時代には
こうした寿命の短い湖の中には例外があって、
琵琶湖もその古代湖のひとつ。ロシアのバイカル湖とアフリカのビクトリア湖についで、なんと世界で三番目の古さを琵琶湖は誇っている。存在位置や大きさは地形がかなり変化したため、もちろん現在と全く同じではない。とはいえ、人類がまだ猿人の段階の約四〇〇万年前から琵琶湖は存在している。ある種のロマンを感じるスケールだ。
それだけ長期間にわたり湖が存在しているので、琵琶湖内だけの独自の生物進化が起きる。だから琵琶湖だけに生息する魚類などの固有生物が、なんと六〇種以上も生息している。身近にありすぎて気にも留めない事が多いけれど、琵琶湖は世界的に見てもかなり珍しい湖なのだ。
「さこーん! 大ナマズを探すに行くのじゃ」
早朝から元気なヨメちゃんに叩き起こされて、徒歩数分の琵琶湖畔へと移動中だ。今日は風も殆どなく晴れているので、絶好の捕獲日和だと考えたんだろう。
なぜ大ナマズを捕まえたいのかさっぱり分からないけれど、信長ちゃんは変わったものや不思議なものに興味をそそられる事が多いので、なにかが琴線に触れたのだろうか。ともあれ早春にしては、少し暖かめで穏やかな天気で助かったよ。付き従うのは、佐々
「
加えて久しぶりに、信長ちゃんのお供がしたいのだろうか。安土築城責任者で多忙な丹羽長秀もついてきた。
「大鯰と言うからには、人も喰うのであるまいか?」
琵琶湖への移動中にも不思議なものへの期待に、目がキラキラワクワクの信長ちゃんだ。
ヨーロッパに住む大ナマズは、確か最大で体長が三~五メートルもあって、仔牛を食べるとの話もあるので、もしかすると幼児ぐらいなら食べてしまうかもしれない。だが琵琶湖固有種のビワコオオナマズは、最大一八〇センチ程度のはず。さすがに人は喰わないだろう。
それはさておき、
「
やはりヨメちゃんと成政の組合わせは、超展開、謎展開になるのは必然なのだろう。巻き込まれずに一傍観者となれば、これはある種のエンタメだぞ。
いまは新暦に直すと三月上旬。さすがに寒さに強く冬の北アルプスを越えた、後のアルピニスト大名の成政でも、寒中水泳をしてのなまず捕獲は無理ではないか?
「おれっち、敵に討たれるならまだしも、大鯰に喰われて死ぬのは心外っす」
お約束の成政の泣きが入るが、さすがに責められない。
「内蔵助が潜れぬとなれば、びきにを着ていることでもあるし、ワシが潜るしかないのだが?」
まずいぞ。信長ちゃんがノリノリになっている。着物の下にビキニを着ているだと? おいおい、最初から泳ぎたかったのかよ。
信長ちゃんのビキニ姿は目の保養にはなるけど、京にも近い安土で武家の頭領がビキニで寒中水泳はどう考えてもまずいぞ。風聞もあるけれど、風邪でもひいて体調を崩しても困ってしまうな。
さて――。
「こんなことがあろうかと……昨晩のうちに漁民に鯰を捕らえるように、命を下しておきました」
気の利く
さすが史実の信長が大いに期待した男だ。よくぞやってくれた!
重休の先導で漁師達の方にぞろぞろと向かうと、網で獲ったのだろうか。普通サイズ――とはいっても五〇センチほどの充分大きいナマズが、少なくとも三〇尾程度は木舟のなかに群れてうねうねしている。まさにナマズの大漁だ。
そして念願の二メートルに近いひときわ目立つ巨大ナマズも一尾。さすがに人を喰わないだろうけれど、腕が口にすっぽり入ってしまうほどの大きさだ。
すごいな。まさに巨大怪魚だ。
信長ちゃんも自分の背丈以上の巨大魚に興味津々の様子。大ナマズのヒゲやヤスリのようにざらついた歯に手を触れたりしている。
何はともあれ懸案の大ナマズを捕獲できてよかったぞ。もし今回、大ナマズが手に入らなかったら、きっと事あるごとに琵琶湖に来る羽目になるはずだ。
「これだけ鯰を成敗すれば、近江でそうそうは地震は起こるまい。安土の城は万全であるはずなのじゃ」
信長ちゃんが満足そうに大きく頷く。
なるほど。ナマズが暴れると地震が起きるという信仰があるので、安土城にほど近い琵琶湖の大ナマズに暴れてほしくなかったのか。
それにしても、こんなに大漁のナマズはどうするんだよ。通常サイズのナマズで三人前として、ざっと一〇〇人前ぐらいだろうか。
たしかナマズは淡白な白身で、江戸期以前はウナギよりも高級魚だったはず。資源枯渇が取り沙汰された現代ではウナギの代用品にも期待されていたし、かば焼きやひつまぶしもきっと作れるはずだ。
かえって慣れないとぬるぬるして扱いにくいうなぎよりも捌きやすいだろうし、体が太いだけあって量も取れるだろう。
ナマズのかば焼きとひつまぶしを安土名物にしようか。
「五郎左(丹羽長秀)、なまずのひつまぶしは作れるか?」
「ええ。たれも作れますし、この長門(岩室重休)も魚は
さすが五郎左。後輩の重休くんにも料理の技術を教え込んでくれていたのか。素晴らしいぜ。
「ひつまぶしは久しぶりじゃ。楽しみなのじゃ」
信長ちゃんが、泳ぐ気よりも食い気を出してくれてほっと一安心。彼女のビキニ姿は、暖かい城の中でおれだけに見せてほしいぞ。
「殿様、
漁師がおずおずと声を掛けてきた。
普通サイズのナマズとは形は同じようにみえるが、巨大ナマズは大味になってしまうのだろうか。
「ふむ。こやつも神妙にしておるから、これから暴れることはあるまい。逃がしてやろうぞ」
信長ちゃんも余りのナマズの大きさと、美味しくないという情報で食欲も失せたのかもしれない。ヌシのような巨大ナマズは逃がしてやって、美味しい普通サイズのナマズを持ってくるように手配をして、安土城に戻ることになった。
成政が『女も小さい方がいいっす』などと言い出すと、また碌なことがないので、ヤツからは少し離れて歩こう。
ともあれ近江の大地震の防止(?)と後に安土名物となるだろうナマズのかば焼きとひつまぶしという、大きな収穫を得た大ナマズ捜索隊だった。
こうして一行が安土城に戻ったところ、信長ちゃんと面会を希望する有名人の報せが諜報衆の連絡員からもたらされた。
越後(新潟県)の長尾
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