第八四話 仮想敵国

 ◆天文十七年(一五四八年)一月上旬 尾張国 那古野城


 おれが戦国時代に来てから二年半。愛しの信長ちゃんが、昨年秋に念願の武家政権のトップともいえる右近衛大将うこんえのだいしょうに任官された。史実の信長が任官されたのが一五七五年のことなので、三〇年近く歴史を早めたことになる。もちろん武家政権のトップに就任したからといって、まだまだ天下統一への道はかなり険しい。


 今後は数年掛けて史実の信長と同様に、諸大名などの勢力を臣従させる、あるい討伐する基本方針で良いと思う。現在の状況はもちろん史実には当てはめられないけれど、信長が右近衛大将に任官されて以降に敵対した勢力は参考になるだろう。


 まず警戒したいのは、信長もかなり警戒して融和路線を取っていた甲斐(山梨県)の武田信玄(晴信はるのぶ)だ。武田信玄は、なんとなく中年をイメージをしてしまうけれど、現在二十八歳の青年武将。おれと四歳しか違わない同世代だ。

 信玄の現状といえば、甲斐一国の支配から、ようやく信濃(長野県)に進出したばかり。国力は最大三〇万石前後で、動員数は最大一〇〇〇〇人前後だろうか。

 現在の織田家と比べたら五分の一程度の動員数とはいえ、史実で駿河するが遠江とおとうみを蹂躙したように、領土が増えて国力が増せば侮れない実力がある。


 甲斐に近い信濃の諏訪すわ地方を、勢力下に収めている現在の信玄の戦略を考えてみよう。

 武田の隣国は今川と北条。だが両国との関係はさほど悪くない。そのうえ武田の国力は今川・北条よりも低い。となると信玄はやはり史実と同樣に、交通の要所の諏訪を足がかりとして信濃全域を支配しようとするはず。

 史実の信玄は信濃を領国化する過程で、信濃でも豊かな平野部の川中島かわなかじま(長野市)で、越後(新潟県)の上杉謙信と五度争う。有名な川中島の合戦だ。


 現在は信玄対謙信の一度目の対決すら起きておらず、上杉謙信は改名前の長尾ながお景虎かげとらを名乗っているはず。景虎はまだ十九歳で、兄の長尾晴景はるかげが現在の当主。長尾氏は越後一国の統一もできていない状態だ。

 史実の信長と謙信は友好関係だったものの、信長の仇敵だった本願寺と謙信が和睦したため、信長の死の六年ほど前から敵対関係となる。

 もちろん要注意勢力なので、信玄と同じく既に諜報衆を潜入させて動向を探っている。


 史実で今年一五四八年には、信玄・謙信ともに重要な動きがある。軟禁されていた約一年のあり余る時間で、細かい史実の動きを思い出せたのは、怪我の功名といったところだな。

 まず信玄が信濃の村上義清よしきよに大敗する――上田原うえだはら(長野県上田市)の合戦が今年起こるはずだ。


 村上義清は敗戦が殆どない信玄に、二度も大勝している信玄キラーともいえる男。二年後の砥石といし城(長野県上田市)の戦いでも、信玄はまたもや義清により苦杯をめて、砥石崩れとも呼ばれる大敗を喫してしまうのだ。

 信玄が落とせなかった砥石城を、ほぼ単独で落城させてしまうのが真田さなだ幸隆ゆきたかだ。昌幸まさゆき信繁のぶしげ幸村ゆきむら)と連なる有名な真田三代の初代にあたる。真田幸村のお爺ちゃんといった方がイメージが湧くかもしれない。


 だが幸隆はまだ三十六歳の働き盛り。外様ながら武田家に仕官しているはずだ。真田幸隆をうまく引き抜ければ、信玄の信濃攻略を遅らせたり、釘付けにできるかもしれない。もちろん幸隆には既に調略の手を伸ばしてある。


 次に越後の上杉謙信は今年中に家督を継ぐことになるはずだ。

 史実で謙信は、頼りない兄に代わって家督を継いだ後は、室町幕府将軍の足利義輝(義藤)と関係を深める。将軍から越後統治の名分を得て、三年間で越後を統一する。その後、豊かな穀倉地帯の川中島を巡って、武田信玄と激戦を繰り広げるのだ。

 だがこの世界では昨年既に、室町幕府は滅ぼしてしまってある。謙信に対して、織田家が越後統治の名分をうまく与えることができれば、強力な友好国になるかもしれないな。


 史実でふらっと上洛して将軍に拝謁したエピソードがある謙信だから、那古野にも来てくれると非常に助かるな。ただ女性説もあった上杉謙信が信長ちゃんと同じく姫武将だったら、興味が湧く反面ライバル意識を燃やされるとかなり厄介な相手だ。


 ともあれ要注意の信玄と謙信とを比べれば、圧倒的に信玄の方が脅威なのは確かだろう。甲斐は米の生産力が低い貧しい国。なんと尾張の四分の一程度しか米の収穫が期待できず、海に面していないから交易もできない。

 信玄の立場で考えれば、信濃を勢力下に置いて国力を高めた後は、きっと海を目指すだろう。史実でも信玄は、義元マロが桶狭間でたおれた後に、旧今川領の駿河を攻め取った。この世界では今川・織田・北条とも健在で、甲斐よりも国力は上だから、信玄は恐らくは越後に向かうに違いない。


 史実から考えると、攻めてくる信玄を織田家が迎え撃つイメージがある。謙信との関係や、今年起こるだろう信玄の敗戦状況にもよるけれど、織田軍が甲斐に攻め入る胸が熱くなる戦略も可能性ゼロではないぞ。甲斐の虎になるはずの信玄が、国力をつけない猫のうちに叩いてしまうわけ。

 いわば仮想敵国としている武田信玄だけど、無事に倒しても甲斐の土地自体に魅力があるわけではない。甲斐は国力に直結する米の収穫が期待できない代わりに、現在の公領には存在しないお宝がある。


 ――優秀な金山だ。

 豊富に産出する金というボーナスがあったからこそ、信玄は貧しい国力の甲斐から、他国に攻め入ることができたとも言える。

 甲斐の金山を直轄化したいのだ。

 史実の秀吉も江戸幕府も、国内のめぼしい金山や銀山を直轄化したように、鉱山の直轄化は実に旨味がある。


 古くからある金山といえば、佐渡の金山を思い浮かべてしまいがちだが、あいにく未発見なので後回しになる。

 その他で直轄化をすすめたい鉱山を考えると、まずは米の産出量は微々たるものだけど、神岡銅山(岐阜県飛騨市)を擁する飛騨だ。貨幣の原料にもなるので、早期に飛騨を平定したいところ。硝石の生産地になる五箇山も存在するし、日本海側の越中えっちゅう(富山県)へ抜けるルートにもなる。


 他に注目の鉱山といえば但馬国たじまのくに生野いくの銀山(兵庫県朝来あさご市)だな。生野銀山は日本有数の銀山で畿内にも至近。畿内制圧完了後には、是非とも直轄化したい。産出量を考慮すると石見国いわみのくにの石見銀山(島根県大田市)も喉から手が出るほど欲しい。しかし現在は尼子あまご氏の勢力下。いずれにしろ畿内制圧後でないと、手出しができないのは生野銀山と同様だ。


 信長ちゃんと新年早々打ち合わせた今年の目標の一つ――畿内の平定に関しては、松永久秀がすでにかなり暗躍している様子。大きな抵抗はない見込みだ。

 さらに西へ目を移してみれば、史実で中国地方の王者となる毛利もうり元就もとなりも、まだ小規模な国人領主で大内義隆よしたかの傘下だ。現在は安芸国あきのくに(広島県西部)の一円支配に向けて、強引に養子を送り込んで他家の乗っ取りを目論んでいる状況。元就はすでに五十二歳の爺で、長子の毛利隆元たかもとに家督を譲っているものの実権は握っている。


 現在、中国地方の大半を制しているのは、出雲国いずものくに(島根県東部)の尼子あまご晴久はるひさだ。名将と謳われた尼子経久つねひさは死去しているが、まだまだ侮り難い実力がある。

 畿内制圧後には彼ら中国地方の三家――尼子・毛利・大内家と地理的にも距離が近くなるので、それぞれとの外交戦略をしっかりと練ろう。

 そんなこんな各勢力の現状把握と今後の対策について、自室のこたつでのんびりと検討していたところ、愛しの信長ちゃんの来訪だ。


 がたがた……だーんっ!


「さこん! 明日は晴れのようじゃ。比良ひらに蛇がえに行かぬか?」

 ビキニを予想以上に気に入ったヨメちゃんは、一昨年に実現できなかった大蛇捕獲作戦に、並々ならぬ意欲を見せている。だが今は新暦に直せば二月の終わりごろ。晴れていても、水はまだまだ冷たいので潜るのは絶対NGだ。

 そもそも大蛇が存在していたとしても、変温動物のヘビは冬眠している時期じゃないか? 信長ちゃんは残念がるだろうが、大蛇の前に様々な政策の実行や畿内制圧が優先だな。


「姫、まだまだ寒いので大蛇はきっと冬眠しておりますよ」

「さよか……。大蛇殿は眠っておられるか」

 いつの間にか大蛇に敬称が付けられていて、吹き出してしまいそう。

「ええ。大蛇は暖かくなってから探しましょう。水も冷たいので風邪を引いてしまいます」

「で、あるか……」

 信長ちゃんは落胆の色を隠せないのだが、風邪で思い出したぞ。

 詳細は不明ながら、史実で信パパは四年後に四十二歳で流行病で亡くなってしまうんだ。もしインフルエンザが死因だとしたら、食生活を改善したりこたつで快適に過ごせば死亡フラグを回避できるかも?

 おれにとっては嫁のパパなのでまだちょっと苦手だけど、絶対に裏切ることもないし、政戦ともに高レベルの優秀な武将。若い側室から生命力やエキス(?)を吸い取ってでも長生きしてほしい。

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