第八一話 新年の挨拶

 ■天文十七年(一五四八年)一月上旬 尾張国 那古野城


 新しい年を迎え武家の頭領の信長ちゃんあてには、家臣や諸大名からの新年祝いの使者が続々と来訪した。例年よりやはり那古野を訪れる使者は多く、遠く東北や九州からも続々とやってくる。

 なかでも信長ちゃんが気に入ったのは、出羽国でわのくに(秋田・山形県)の最上もがみ義守よしもりからの使者だった。

 最上義守は陸奥むつの伊達氏の従属状態からの独立を模索しているのだろう。最上家は室町幕府から羽州探題うしゅうたんだいという出羽統治の名目を得ていたが、先ごろ幕府が事実上滅亡しているため、新たな権威の裏付けとして織田家から統治名分を確保したいのだ。


 くだんの最上義守からの使者が、新巻鮭を贈答品としてぶら下げてきている。最上義守は歴史マニアにはおなじみ、鮭大好きな大名『鮭様』こと最上義光よしあきのパパだ。

 鮭は東北地方らしい贈答品だけど、素晴らしくうまい手法だと思った。鮭は尾張では非常に珍しいシロモノ。絶対に未来のヨメちゃんの好奇心がマックスになるだろう。

「ほー!? 鮭とは勇ましい面構えの魚であるな。ほー!?」

 思った通りだ。愛しの信長ちゃんは大きな目をキラキラさせながら、新巻鮭とにらめっこを始めている。


 最上家の統治について判断材料が少ないので名分を与えなかったが、信長ちゃんは代わりに『信』の字の偏諱へんきを与えたのだ。相変わらず巧妙な策で舌を巻くほかない。

 最上家としては、天下人の信長ちゃんから偏諱を得るほど織田家と親密だ、と周囲に喧伝けんでんして、多少の安全保障を得ることができるから、きっと感謝するはずだ。織田家としては言い方は悪いが、名分を与える場合は一種の最上家に対する管理責任が発生するのに対して、偏諱だけなら何ら責任は発生しないわけ。


「嫡男元服の折にワシの『信』の一文字を与える」

 嫡男とは史実の鮭様――最上義光よしあきのこと。史実の名の『義』は先ごろ滅ぼした足利義藤(義輝)から与えられた偏諱。この世界で鮭様は最上信光のぶあきになることが決定した。

 結局、信長ちゃんはお土産の新巻鮭をたいそう気に入って、織田領・最上領間の交易が盛んになっていく。また最上家からの今回の使者の手土産がきっかけとなって、新巻鮭が新年の大切な相手への贈答にふさわしい品として、全国に広まっていくのはまた後日のお話だ。


 ◇◇◇


「さこん、疲れたのでぽかぽかしようぞ」

 忙しかった来客の訪問スケジュールを終えて、信長ちゃんと二人でぽかぽかとまったりタイムを過ごしていた時に、柴田勝家と嫁のさち姫が奇妙くんを連れてやってきた。

「左近、安土以来だなっ! ワッハッハ」

 勝家は相変わらずの痛い挨拶で、バンバンと肩を叩いてくる。既に信長ちゃんには家臣としての新年挨拶は済ませているようだ。


「姉上、左近殿。お久しぶりでございますね」

 妹の祥姫とは数度関係を持ってしまったので、実に気まずいものがある。特に信長ちゃんや、夫の勝家と一緒だからまさに針のムシロだ。身から出たサビとはいえ勘弁してほしいぞ。

「お祥殿、お久しゅうございますね」とでも、あっさりさらっと流すしかない。

「奇妙を安土の大殿の元へ送らねばならぬ。奇妙もしばらく父と母と会えぬだろうから連れてきたのだ」とは勝家の口上。


「おーっ! 権六、かたじけないのじゃ」

 こたつに並ぶ美少女姉妹の信長ちゃんと妹ちゃん。

「奇妙、大きくなったな。母上じゃ」

 信長ちゃんは奇妙くんを膝に乗せてあやしている。

「奇妙は姉上が好きなようですね。うふふ……」

 好みの美人姉妹が並んでる図はたまらないものがある。気まずい心境は別として絵になる光景だ。


「美人が並んでると格別だなっ! ワッハッハ」

 勝家も同じ思いだったのだろう。実にご機嫌な野獣だ。

「ああ。つくづくよく似てると思う」

 現代風美人の信長ちゃんにそっくりの妹ちゃんに惚れるところなど、勝家の女性の好みはもしかしたら現代的なのかもな。


「お。なかなかこやつは元気がよいな」

 信長ちゃんが奇妙くんを床に下ろしたら、はいはいをし始めた。

「姉上、最近はかなり動き回るんですよ。うふふ」

「権六との子はいかがじゃ」

「そろそろかなとは思ってはいますが……授かり物ですからね」

 美人姉妹が奇妙くんを追いかけていき、女子トークを繰り広げている。

 だが、完璧に奇妙くんがおれの子供だとの共通認識があるようだ。


 参ったな。気まずさマックスで振り切れそう。

 祥姫の来訪によって、おれの口数が少なくなったからだろうか。

「左近、奇妙の父のことを気にするのなら意味がないぞ。さちはワシの大事な嫁であるし、祥もワシのことを好いている。

 左近はワシの大事な友だ。それ以上でもそれ以下でもない」

 奇妙の父親がおれだったとしても気に病むな、と勝家は言っているのだ。


「ああ、済まない。ありがたいぞ」

 友の寛大な気遣いに感謝する。

「それに、ヌシは殿の婿であるから、奇妙の父でもあるし、ワシの義兄あにではないか」

 勝家はこういう豪放磊落ごうほうらいらくなところがあるから、配下達の信頼が厚いのだ。

 さすがだぜ。史実でお市の方が勝家に惚れたのも分かる。


「まだ、姫をめとるとは決まってないぞ」

「おヌシ以外に殿を幸せにできる男はおらんぞ。だから左近はワシの義兄者あにじゃだ。ワッハッハ」

 勝家はいつも以上に力強く肩をバンバン叩いてくる。

「権六、痛い、痛いって」

義兄者あにじゃが分からぬことを言うからだ」

「分かった。気に病むのは止めた」

「それでいい」


 勝家の言葉で、非常に気が楽になったのは確か。

 現在の祥姫を見れば、勝家に相当に惚れ込んでいるのはよく分かる。

 だけど『わたしも左近殿の温もりを感じたいの』と、愛情たっぷりに抱きついてきたのはなんだったんだろう。拉致されている間に、こうまで気持ちが変わるものか。女って怖いよな、と思う部分もある。もちろん口に出すわけにはいかない。


いずれにしろ奇妙くんや勝家はともかく、妹ちゃんがいると気まずくて間が持たなくて困ってしまう。

 申し訳ないけれど早く帰ってくれ、と祈らざるを得なかった。


「さこんも、ほら。奇妙を可愛がるのじゃ」

 かなりの気まずさを感じていたので、信長ちゃんが奇妙くんをつれて横に来たのはよかった。

 奇妙くんは信長ちゃんと目元がよく似ていて、かなりの親近感が湧く。浮気の末の子どもということを差し引いても、冷静に見れば可愛くていろいろとさせてやりたくなってしまう。

「奇妙もててとはしばらく会えぬが励むのじゃ。よいな?」

 奇妙をあやしてニコニコ顔の未来のヨメちゃんの表情を見ると、家族はいいなと強く実感する。

 すぐは無理かもしれないけれど、いつか信長ちゃんにもおれとの子供を産んでほしい。そんな日が来るのだろうか。

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