第八〇話 こたつ幕府

 ◆天文十六年(一五四七年)十一月中旬 尾張国 那古野城


 近江・伊勢(滋賀県・三重県)平定戦の快勝後に本拠の那古野に戻ったら、さっそく湯殿とこたつでダブルぽかぽかライフです。

「さこん! ともにぽかぽかするのじゃ」

 愛しの信長ちゃんもおれの横で、すっかり冬の魔物によって戦闘不能状態でまったりした空気が流れる。


 ところで、信長ちゃんは武家頭領の象徴的官職――右近衛大将うこんえのだいしょうに任官されているため、武家政権の運営を公認されているともいえる。間違えやすいけれど、幕府とは武家政権の政庁の意味だから、征夷大将軍への任官イコール幕府開設というわけではない。今この時点では、信長ちゃんの政庁が幕府ということ。

 それに右近衛大将の唐名からめい(中国風に格好よく言いかえた呼び方)も幕府だから、信長ちゃん自身やその居場所も幕府といえる。


 言ってみれば、現在武家政権のトップの信長ちゃんと、超側近のおれが存在している状態の左近屋敷のこたつ自体も幕府だ。

 ――『こたつ幕府』だな。

 ぬくぬくぽかぽかと文字面もじづらを見るからに機能不全に陥ってそう。だけど、なんだかんだとオレと彼女との二人の話し合いで、重要事項や今後の方針が決まることも多く、こたつ幕府には侮れない力がある。


 さて、先日の近江・伊勢平定戦で十三代将軍の足利義藤(義輝)が、武家頭領の信長ちゃんに謀反を起こして返り討ちにあったのが、現在の表向きの政治状態。

 史実では足利義藤が暗殺された後に、三好三人衆が足利義栄よしひでを擁立して室町幕府の第十四代将軍となる。だがこの世界では、三好三人衆も先日の近江・伊勢平定戦で三好政康と|岩成友通が謀反人として討ち死にしていて、かつての勢力を失っている。

 そして三好家には、既に信長ちゃんの実質的な配下になっている松永久秀の存在がある。久秀は三好長慶亡き後の三好家で、着々と勢力を自らのものとするべく暗躍をしているわけだ。

 当然ながら現在の三好家には、足利義栄などの新将軍を擁立する実力はない。義藤の弟で史実の信長を苦しめた足利義昭も、現在は十一歳で奈良の興福寺で修行中の身。

 そもそも仮に将軍候補がいたとしても、前将軍の義藤が謀反人だから、信長ちゃの承諾なしにはおいそれと擁立できないし、室町幕府再興を許すはずもない。


 現在、信長ちゃんに比肩し得る政治力を持つ勢力は存在しない。ならば、当面は織田家の政治的地位を盤石とする手を打っていきたい。

 そこで、こたつ幕府にてまず決定された今後の重要方針が、武家官位と公家官位との分離だ。武家頭領の信長ちゃんの推挙がないと、武士は叙位任官できないようにする施策しさくである。

 史実で徳川家康が江戸幕府で行なった施策の先取りだ。信長ちゃんが今年の春に禁裏御料きんりごりょう(皇室領)を献上するまでは、朝廷財政は逼迫ひっぱくしていて、武士が官位を得るための献金が朝廷の大きな収入源だった。それこそ信長ちゃん自身も、官位を得るために莫大な献金をしているほど。


 だが充分以上の禁裏御料を献上している強み。

『朝廷の食い扶持はちゃんと与えているのじゃ。武家政治はワシがきっちり行なうから、余計なことをするでない』といった名目がある。

 当然ながら、顔に似合わずしたたかな信長ちゃんだから、織田家によほどの功績や政治的な意味合いがある場合を除いては、武家官位を推挙する際には高額な金銭やそれに代わるメリットを要求する。

 たとえば『斯様かような働きようでは、ヌシを下野守しもつけのかみを推挙するに値しない。さらなる尽力が必要なのじゃ』などなど。

 あっさり一言で追加の金品や織田家に対しての働きを、銭ゲバのように公然と要求する未来のヨメちゃんは頼もしくもあり恐ろしくもあるな。

「さこーん。らぶらぶしようぞ」と、べたべた甘えん坊の信長ちゃんとは、同一人物とはまったく思えないぞ。


 ともあれこの武家官位の統制策は、諸大名の織田家に対する姿勢の見極めという、いわば『踏み絵』の意味合いもある。儲かるだけでなく外交面でも非常に有効な施策なのだ。

 織田家に対する姿勢の見極めという意味では、信長ちゃんが右近衛大将に任官して、将軍足利義藤を滅ぼした後の最初の正月――再来月に、那古野に全国からどのような使者が来るかが割と重要なポイント。どのような勢力が織田政権に対してどのような姿勢を取るかが、訪れる使者の格や手土産、親書の有無によって、ある程度想定できるからだ。

 いずれにしても、現在の要注意な大名は武田・上杉・尼子・毛利あたりだろうか。

 この正月には当面の『仮想敵』が分かるかもな。


 ともあれ武家官位の制限の次に、こたつ幕府で決定された重要事項には、新貨幣の鋳造がある。尾張を中心とした公領(=織田領)で貨幣の重要性が高まっていること、また将兵に支払う貨幣の不足や悪銭の駆逐のための施策だ。

 同時に日本国内での金銀の交換比率と中国など海外との比率とが異なるため、国外への金の流出を防ぐ意味合いもあり『織田銀行』の設立が決定された。貨幣鋳造については念のために朝廷の許しを得る方針だ。


 貨幣需要に見合った貨幣供給がされていないと、相対的に貨幣価値が上がる。つまりデフレーションとなる。デフレ状態だと経済成長の伸びは鈍くなってしまう。

 この時代に流通している貨幣は過去に輸入した銅銭で、新貨幣の鋳造がないし質の悪い貨幣は受取拒否されたりするので、慢性的なデフレ傾向。

 対しておれの戦略の基本方針は、公領を経済成長をさせて国力を高めて、合戦では物量による経済戦で押し切ってしまうもの。

 遠回りのように思えて、デフレ対策は真っ先に手を打つべきなのだ。

 新貨幣は現在流通している永楽通宝えいらくつうほうよりも、品質の高い銅銭を鋳造する。


 まずは公領のみで新貨幣の流通を開始するが、おそらくは公領以外でも同盟国で物流が急増中の今川領の駿河・遠江(静岡県)まではすぐに。さらには取引所での取引などを経て堺周辺。そして、友好国の朝倉家の越前までは一気に新貨幣が流通するのがほぼ確定的といえるだろう。

 そこまで広範囲に新貨幣が流通すれば、畿内全域でも早々に永楽通宝を駆逐する見込みだ。


 また新たに近江の重要拠点となる安土城下にも、楽市令を出して商業の早期促進を行なう。来年早々には、織田屋の安土支店も出店を予定しているほどだ。

 本格的には来年の暖かくなってからだが、岐阜~安土~京の街道整備、安土~今浜~金ヶ崎(福井県敦賀市)の街道整備についても行なう旨の決定もした。街道整備は工兵隊が主体で行なうが、戦乱が収まった近江の復興のための公共事業的な意味合いもある。


 このように相当重要な施策が決定されているこたつ幕府だが

「姫、新貨幣の名称はどうしましょうか」といった重要課題に対して

「んにゃ……もう食べられないのじゃ……」など、未来のヨメちゃんは、ぽかぽかごろ寝で楽しそうな回答をする場合も。

 こたつという魔物に立地しているこたつ幕府の、絶対的宿命ともいえる弱点である。

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