第七一話 那古野ではヤツが待っている

 ◆天文十六年(一五四七年)八月下旬 近江国 小谷城付近


 調略の成功を受けて、予定通り浅井久政が立て籠もる小谷おだに城付近へと進軍してきた我が織田勢。先鋒の柴田勝家から、越前(福井県)の朝倉勢より伝令が来たる、との連絡が入った。

 予め越前の朝倉家には室町幕府十三代将軍の足利義藤と朝廷から『織田に助力せよ』との意向を伝えて政治的に押さえ込もうと手を打っていた。だがしかし、朝倉勢の出兵は遅かった。ようやく彼らは近江まで進軍してきたようで、その軍勢からの伝令との事だ。

 今更、何を伝えようというのだろう。朝倉勢が着陣する頃には、合戦は終わっているかもしれない。ぼんやりしていて思わず苦笑する。ただ信長ちゃんの率いる織田軍の素早い用兵が、時代を超越している面もあるけれど。


 ともあれ、伝令の話を聞けば朝倉勢の大将が、信長ちゃんに会いたいとのこと。

「構わぬ。従者のみ連れて参れ」

 信長ちゃんの返答に応じて、半刻(一時間)ほどで小谷城下の本陣にやって来た大将は、朝倉家のスーパー爺ちゃんこと朝倉宗滴そうてきだった。

 当年七〇歳の紛れもないジジイである。


 史実の朝倉宗滴は七九歳で出陣した際に陣没という、とんでもない記録が残っており、この時期は実質的な朝倉家当主だったと伝わっている。また、信長の才能を早くから見抜いていて、宗滴の臨終の際には『あと三年間生き永らえて信長の行く末を見たかった』と言い残したそうだ。

 仮に朝倉宗滴がさらに長生きしていれば、織田家との対立は避けたとも言われている。


「あいや、織田の姫様。着陣が遅くなり申してまことに申し訳ござらん」

「最近の年寄りはけしからんな。小谷城はもう落ちてしまうのじゃ」

 相手が歴戦の有力大名の朝倉宗滴であっても、さすがの信長ちゃんである。

 実際のところ、大人数の移動には時間がかかるので、朝倉勢の着陣を待っていたら、日が暮れてしまう。


「面目次第もござらん。織田の姫様の戦ぶりを孫次郎(義景よしかげ)に見せようとしておったのじゃが、すっかり脅えてしまってな」

「朝倉の爺は戦は強いが、些かしつけが甘いのじゃ。平手の爺なら引きずって参るぞ」

 傍から見ていると、爺ちゃんと孫娘風の組み合わせなのだが、孫娘の勢いが強すぎてさすがのスーパー爺の宗滴も形なしである。


「まことに無様な不手際、申し訳ござらん。爺がこれから厳しくしつけけますゆえ、何卒ご容赦を」

「うむっ! この暑い最中さなかの参陣は実に大儀である。孫次郎殿のためにも長生きするのじゃ。暑い中、年寄りに働かせるのも気が引けるゆえ、その辺りで休んでワシの戦ぶりを見ておれ」

 宗滴爺によれば、朝倉勢は総数はおよそ八〇〇〇とのこと。朝倉の領内から、しっかり動員しないと集められない兵数だ。

 合戦に参加するかどうかはこの際は問題ない。越前の守護大名の朝倉家が、信長ちゃんの求めに対して、素直に軍勢を動かした事実が大きい。

 そのため、信長ちゃんの機嫌もよくなり、ニコニコと顔を綻ばせている。


「まことにかたじけなし!」

 信長ちゃんの平手の爺への対応などを見ていると、なんだかんだと気遣いをしていて、口調はともかく優しさを感じる。

 爺キャラが好きなのかもしれないな。爺ではないけれどパパ大好きっ子だし。


 朝倉宗滴に前後して、小谷城から使者がやってきたので、信長ちゃんは早速面会することにした。

 海北綱親かいほうつなちか赤尾あかお清綱きよつな、遠藤直経なおつねの三名だった。

 浅井家の重臣中の重臣が来たな。謀略で粛清はされていなかったようだ。


「何用じゃ?」

「ワシら三人、腹を切ってお詫びしようかと」

 そうかしこまって、浅井家の重臣三名は床几に腰掛けず地べたに平伏する。

「ホウ? 戦わずして腹を切ると?」

「ワシらは主の行動を諌めようとしたものの、止められませんでしたゆえ、お詫びをと」

 重臣三名が切腹すると引き換えに、城内の将兵の助命を願いに来たわけだ。


下野しもつけ(浅井久政)はいかがした?」

「殿は城で腹を召してございます。我らも腹を切るので、城内の将兵の助命をお願いしたく」

 なるほど。戦っても勝てないことは分かっているけれど、織田を受け容れることができなかったのか。史実でも浅井久政は、織田との同盟には大反対だったと伝わっていて、浅井長政の離反原因を作ったともいえるからな。


「ヌシらがついておれば、二条に後詰しない意味や、最初から戦ができぬことは分かっておるだろうに」

「はっ! 陣触れを出しても兵が集まらないので、ようやく我が主は戦ができぬと分かり、腹を召し申した。左様な主にしてしまったのは、ワシらの責でございます」

 今回は、実際に稲を焼き払うことまでしなかったけれど、足軽を出す農村への謀略は、かなりの威力だったのだ。今後も農民対策は重要になってくるだろう。


「ええい。死ぬことばかり考えず、生きて不手際を挽回することを考えよっ! 織田の政が左様に気に入らぬか」

 ここ重要だな。チャンスを与えて、それをうまく活かしてもらう。

「気に入らぬ者もおりまして、ワシらで抑えようとしたのですがあたわず」

 織田家に臣従すると、旧来の領地支配とかなりの変化があるから、対応できない人間が出てくるのはしょうがないだろう。


「この地も早く治めねばならぬし、幼き猿夜叉丸さるやしゃまる(浅井長政)殿もしっかり躾けねばならぬのじゃ。今後の不手際は許さぬぞ」

 なるほど。信長ちゃんは当主の久政はともかくとして、重臣が揃って恭順してきたため寛大な仕置きをするつもりなのだ。史実の織田家と因縁のある、当主嫡男の浅井長政くんを助命する決定を信長ちゃんは下した。

 旧領主の係累を厳しく処罰すると、スッキリとする反面、さまざまな反感も買ってしまうだろう。


「で、では!?」

海北かいほう善右衛門ぜんえもん(綱親)と遠藤喜右衛門きえもん(直経)は、今浜に城を築くゆえ柴田修理(勝家)の元でこの地を安んじろ」

「はーっ!」


「赤尾美作みまさか(清綱)は、安土に屋敷を下す。安土では平手中務(政秀)が、ワシの息――奇妙のもりをするだろう。美作も安土で猿夜叉丸さるやしゃまる(浅井長政)のもりをしていろ。くれぐれも、世の流れが見える男に育てるのじゃ」

「はっ!」

 なるほど。浅井長政くんは助命するだけでなく、奇妙くんと一緒に育てるつもりなのか。歳も二歳違いだし、奇妙くんにしても長政くんにしてもいい刺激となって、うまい方向に進む気もするぞ。


「よし! 織田は甘くはないぞ。ヌシらはいっそう励めよ。海北善右衛門は小谷の城を、佐久間出羽(信盛)を遣わすゆえ引き渡せ」

「はっ!」

 浅井家の不始末は、当主浅井久政の切腹によって責任を全うしたとみなすわけ。これまでの他の領地と同様に、恭順するものは取り立てて、恭順しないものは追放という形になる。

 久政嫡子の長政を、信長ちゃん嫡子の奇妙と同じ安土で、一緒に教育する姿勢を見せたのは効果絶大なはず。浅井旧臣の感情は、大いに和らぐだろう。近江には、次世代を担う有能な人材が数多く眠っているので、これからの人材確保の面でも有利に働くのは確実だ。

 信長ちゃんらしく素晴らしい仕置きだと思った。


「朝倉の爺、ちょっとよいか?」

「はっ! 織田の姫様の仕置は見事でござったな」

 信長ちゃんが宗滴爺ちゃんを呼び出した。何をする気だ?

「京よりかすていらが届いたぞ。甘くて疲れも取れるゆえ、爺もいかがじゃ?」

 陣中見舞に光秀から届いたカステーラを片手にご満悦顔の信長ちゃん。宗滴爺ちゃんにもカステーラを勧めていてとてもほっこりとする光景だ。

「ふむ。かすていらか。ふむ。なるほど。これは良きものをいただいた」

 宗滴爺ちゃんも、孫娘のような信長ちゃんの気遣いに目を細める。和やかでほのぼのした雰囲気だけど、宗滴爺ちゃんは越前からはるばる出陣してきて、かすていらを食べただけで帰ることになるけれどいいのかな。

 まあ、いいや。どうやら越前朝倉は、織田との融和を図るつもりだしな。


 こうして、懸案だった北近江の浅井家攻略が終えて、那古野に戻る準備をしていたところに、諜報衆の多羅尾光俊からの情報が入った。那古野からの急使らしい。


「那古野に、殿と左近殿あてに客人が見えているとのことです」

 来訪予定にまったく心当たりがないので、首をかしげるほかない。それに、信長ちゃん宛ではなく、おれ宛ってどういうことだ?

義兄者あにじゃ、誰が来ているんだ? しかも、殿とおれ宛なのか?」

「ええ。お二方宛に、松永弾正様が面会を求めていて、お帰りをお待ちするとのこと」


 うおっ! 松永久秀かよ。ビッグネームの登場に危うく変な声が出そうになってしまった。

 ヤツは何を企んでいるんだ?

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