第五四話 初上洛

 ◆天文十六年(一五四七年)五月上旬 京 斯波しば武衛ぶえい屋敷


 さて、先月に岐阜城(旧稲葉山城)を攻め落として、美濃(岐阜県)を掌握した信長ちゃん率いる那古野勢は、柴田勝家を岐阜城の守備に残し那古野城に戻った。

 史実での信長の美濃攻略は一五六七年のことだから、信長ちゃんは二十年も歴史を早めたといえるだろう。史実の信長は岐阜城に本拠を移し、天下統一事業に邁進まいしんする。その後信長は、室町幕府を滅ぼして実質的な天下人となるまで八年程度しかかかっていない。まさに『美濃を制する者は天下を制す』だ。

 それだけ今回の美濃獲りが、織田家にとっては重要な意味合いを持つことが分かるだろう。信長と同等のスピードで天下統一を目指すと、現在十三歳の信長ちゃんが二十歳そこそこで、日本の若き女王に君臨するのかもしれないぞ。


 ただ史実の信長とは違って、我が信長ちゃんは岐阜に本拠地は移さずに、那古野のままにするようだ。

いささか、琴線に触れぬのじゃ』と信長ちゃんは呟いていたが『いい場所なんだけど、なんかピーンとこないのよねえ』といった意味合いだろうな。単なる勘といっていいほどの信長ちゃんの決断だけれど、彼女の勘はおおむね的確なことが多い。そのため、あえて本拠地を岐阜に移す提案はしなかった。


 岐阜に本拠を移した場合、近江(滋賀県)や京都方面、信濃(長野県)方面に出兵する際に、那古野から出発するよりも一泊二日の行程を短縮できる利点を捨てての決断だ。とはいえ、前進基地としての役割は重要なので、那古野と岐阜間の街道整備と、岐阜城を軍事拠点として機能するように施策を行なっている。


 結婚して早々にしばらく単身赴任することになった勝家には、少し可哀想だと同情してしまう。人の事を全くいえないけれど、美人のヨメに腑抜けていることの多い最近の勝家だ。古巣の岐阜に戻った斎藤道三との義弟コンビで、美濃の軍制を那古野と同様に将兵が城に常駐するように改良すること。さらには兵や内政官の充実、城下町や城の整備などにしばらくの間は尽力してほしい。


 岐阜の一時的施策と各地の大名への戦勝報告を行なうなど戦後処理をした後、信長ちゃんは鉄砲五〇、長槍五〇の兵と、護衛の多羅尾光俊などの配下を従えて、上洛じょうらくの途についた。もちろんおれも同行だ。

 他に付き従う主な将は、森可成、太田牛一、丹羽長秀、村井貞勝、佐久間信盛など。那古野から岐阜城に到着すると一泊して、岐阜の守備や施策を一時担当する佐久間信盛と、柴田勝家が交代して勝家が京へ向かうことになる。


 岐阜城からのわれわれ上洛の一行は、大垣おおがき・関ヶ原(岐阜県)、観音寺かんのんじ・大津(滋賀県)と経由して、入洛じゅらくするルートを辿たどる。

 現代で新幹線を使うと名古屋・京都間はお菓子を食べている間に着いてしまうのだけど、この時代の那古野から京都へはゆっくり一週間かけての旅だ。今回の京都行きは、信長ちゃんの古くからの直臣への慰労の目的もある。

 街道の道筋には、合戦で有名な関ヶ原、現在は浅井あざい家の支配下で史実で丹羽長秀や石田三成の居城となる佐和山さわやま城、六角氏の居城の観音寺城など。歴史好きとしてはとても興味深いポイントが目白押し。


 先月の美濃攻め以前には、浅井氏に喧嘩を売って重要拠点の佐和山城を奪取するプランを練っていた。だが美濃一円の支配が確定したばかりだし、将軍家や六角氏との今後の関係も流動的なので、謀略は仕掛けずにただ通過するだけに留めることにした。とはいえ、もちろん単なる観光旅行ではない。同行の各将には今後の合戦のための地形の把握などのミッションが与えられている。


 京都に近く肥沃な大地に恵まれ、琵琶湖水運も利用できる近江は戦略的に非常に有利な土地。現在の観音寺城に近い安土に、史実の信長が安土城を築城し本拠地としたのも、理にとてもかなう。

 ただ、我が愛しの信長ちゃんは、生粋の那古野っ子。そしてある種の那古野愛があるようだから、仮に近い将来に近江を手に入れたとしても、本拠地を移すかどうかは不明ではある。岐阜と同様に『なんかピーンとこないのよねー』という扱いになるかもしれない。もちろん、拠点防御の城は築くとは思うけれど。


 こうして、我が那古野勢一行が京の町へ入るが「那古野に比べ、都といえども、はなはだ見劣りがするのじゃ」と、信長ちゃんがぶっちゃけるのでプッと吹き出してしまった。

 この時代の京都は長い戦乱の影響もあって、荒廃している地区も多く、那古野以上の繁華街を期待していた信長ちゃんが落胆するのも無理はない。

 とはいえ、京都の守備を任されている明智光秀の手腕によるものだろうか。治安は良好に保たれていて、怪しい風体の輩は見かけない。無事に一行は、織田の京都拠点である斯波義統よしむねの屋敷に入る。

 屋敷といっても、予め指示した通り光秀が改修していて城郭としての機能は充分。守備兵も相当数いるため全く不安はない。

 

 尾張守護の斯波しば義統よしむねの斯波家は、通称は武衛ぶえい家だ。そのため、現当主の義統も武衛様とも呼ばれている。史実でもこの斯波屋敷を、室町幕府将軍の足利義晴・義輝が京都の活動拠点としていて武衛陣と呼ばれた。現代日本にも上京区武衛陣町として名を残すこの屋敷は、旧二条城といった方が通りがいいかもしれない。


 信長ちゃんの強い希望という命令によって、斯波屋敷には湯殿が設置されているので、那古野と同じく上洛したわれわれ一行は、旅の疲れを洗い流すことができた。

 湯殿でさっぱりとしてほのかな色っぽさが見える信長ちゃんは「十兵衛(明智光秀)の治めよう、見事であるのじゃ! この地を『二条城』と呼ぶべし」と、光秀を労うとともに、岐阜に続いて改名をしてしまった。


 明智光秀は相変わらずのイケメンぶりに加え、仕事ができる男オーラが漂っていて、身のこなしや挨拶にもスキのなさが現れていて、少々たじろいでしまう。だが、額が年齢の割に広いというスキを見つけて、少々ニヤリとしてしまった。

 とりあえず現時点では、ラスボス光秀の謀反の心配は要らないだろう。おれと信長ちゃんを討つのも、非常に困難なうえに得るものは少ないはず。


 その明智光秀によれば、官位の件で勅使ちょくしが二条城に来る、ということである。現在、信長ちゃんは朝廷から官位を与えられていないので、政治的なハクを付けるためにも、光秀が主導して彼女が官位を得られるように運動していたのだ。


 どのような官位が彼女に与えられるのか興味津々だけど、当の信長ちゃんは、光秀が大量に仕入れたカステーラに心を全て奪われている。

「かすていらの、ふわふわと甘い有様ありよう、まことに天晴れであるのじゃ」と、配下の仕事ぶりを褒めるような口調で、満足したニマニマ状態である。

 スイーツに心を奪われている信長ちゃんの仕草に、女性らしい可愛らしさを強く感じて嬉しくなってしまう。


 ◇太田牛一著『公記現代語訳』二巻より抜粋

 三郎様が初めて上洛した際に私も同行させていただいた。

 上洛の道中で三郎様は、京の都の華やかさなどを甚だ期待されていたようだが、実際に入洛すると、期待はずれに終わって落胆なさった。

 後日、三郎様が側近に語った言葉によると、此度の上洛の最大の収穫は南蛮菓子のかすていらとのこと。菓子好きの三郎様らしい逸話である。

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