第四七話 脱出
◆天文十六年(一五四七年) 冬 某国 某所
――拉致されて二九七日目。
暑かった夏が終わり、また寒くなったというのに、あいも変わらず絶賛軟禁中で、情けないこの身の上。頼みの信長ちゃんの救援も来ないし、身も心も寒くて仕方がない。寒い時期になったら鍋とこたつでしょ。
いつもの見張りの三人衆は相変わらず、一分のスキを見せないので、逃げ出すチャンスは全くない。よくお奈津は入り込めたものだ。さすが忍びだよな。
お奈津がもう一度潜入してくれたら、尾張の状況も分かるのに。
おれが顔を合わす人間といえば、例の監視の三人衆だけでろくな会話もできない。基本的には何を話しかけても無視で、手がかりすらつかめない。
ただ、彼らはおれに危害を加えないどころか、ある程度おれに良い待遇をしなければならない雰囲気を感じ取った。
言ってみればVIP級の人質だな。
ならば強気で攻めることにした。強気で。
「寒いっ寒いっ寒いっ! 那古野にいたときはこたつがあったのに。死神左近に寒い思いをさせたら、後悔するぞ!!」
不機嫌に叫んでみる。
もちろん三人からの返事はない。
「贅沢をいうな!」とでも何らかの反応あれば、まだ気も紛れるというのに、こうも無反応だと気が滅入ってしまうぞ。
ところが数日後、なんと四角い形の小さめのこたつが搬入されてきた。贅沢を言ってみるもんだな。
左近屋敷で信長ちゃんと楽しんだ愛用のマイこたつは、大きな長方形の座卓タイプだが、このこたつは織田家直営店で売り出している普及品なのかもしれない。
いつもの無表情監視三人組のリーダー格のごつい中年男が「那古野から左近殿のため取り寄せたのだ。こたつは大変温かくなるものであるが、中に潜ると死ぬとのこと。ご注意召されい」と使用上のご注意を教えてくれた。
もしかすると、性格はいい人なのかもしれない。この時代のこたつは、当然ながら電気を使わずに炭火使用なので、不完全燃焼時の一酸化炭素中毒が怖い。
確か一酸化炭素中毒の場合、眠るように死ぬらしい。危険です。こたつ事故。
早速火をおこしてもらい、こたつで暖を取る。
こうして、ぬくぬくぽかぽかしていると、今にも信長ちゃんが「さこん、ともにぽかぽかしようぞ」などと飛びついてきそう。あのちょっと高くて甘えた声を、また聞けるのだろうか。
夏に来てくれたお奈津によれば、信長ちゃんは伊勢攻めに忙しいということだった。伊勢攻めが難航しているのだろうか。それとも何か事故や病気など不都合があったのだろうか。状況が全く見えないだけに、焦燥感ばかりが募ってしまう。
ともあれ、織田家は直営店の『織田屋』でこたつを売るぐらいだから、苦境というわけではなさそうで一安心だ。
だけど愛しの信長ちゃんは、スイッチが入るとたった一人で突撃する悪い癖があるからな。史実の信長も、浅井攻めや本願寺戦でたった一人で飛び出して行ったエピソードが残っている。明智光秀を救援するために、鉄砲で撃たれて負傷したほど。
おれが戻るまでは、彼女には怪我なく無事でいほしい。軍神の上杉謙信ではないのだから、総大将の特攻とか絶対にやめてほしいです。心臓に悪いでしょ。
そういえば現代日本には、俗説の
。
上杉謙信はこの時代で、最も戦が上手い武将と言って、過言ではないだろう。史実の信長と謙信の友好関係は、謙信晩年に決裂するものの長きに渡った。この世界の軍神とはぜひ仲良くしたい。
謙信以外にも元歴史マニアとしては、
◇◇◇
――拉致されて三四五日目。
今日は一段と冷える。新暦にしたら二月ごろだろうか。
夕方になって陽が沈んで、身も心も冷え冷えしてきたので、ダメ元で「鍋、鍋、鍋ぇええええ!」と叫んでみる。
だけどダメ元だから、やっぱり無反応。
あわよくば、鍋を狙っていたんだけれども、鍋どころか晩ご飯すら出てきません。
死神左近を餓死させたら、きっと信長ちゃんが激怒するよ。絶対に必ず後悔するからな。鍋で温まらせてください。お願いします。
『おのれぇええええ。ワシの左近に何たる無体な仕打ち! 許せぬぞ! その素ッ首貰い受けてやるわぁああああ』と尾張の守護代様の
だから、早くご飯と味噌汁だけで構わないので、持ってきてくれ。本当にお願いだ。お腹が空いて死んでしまいそう。
ところが辺りが闇に包まれても夕飯どころか、いつもの監視三人組の気配すら皆無。
待てよ。ひょっとしてひょっとすると、脱出のチャンスなのかもしれない。静かに様子を
信長ちゃんの救援を待った方が、安全なのは分かりきっているが、お腹も空いたしもどかしくてじっとしていられない。仮に監視がいないなら――決めたぞ。脱出してやる!
まずはそーっと、部屋のふすまを細く開けてみる。
いつもは部屋の入り口に、でんと構えている無表情な三人の姿がやはり見えない。お奈津によれば、建物の内外にも見張りがいるという話だったな。
だが、人の気配は皆無で屋敷全体がしんと静まっている。おれ滝川左近は、追い詰められても諦めない
さらに夜が更けるのを待っても、まったく人の気配がないので決行だ。足を忍ばせて、軟禁中に書き溜めた資料を
やったぜ。屋敷の外にも人っ子一人見当たらない。
「信長ちゃん、おれは戻るよ!」
気合を入れる。とりあえずは、太陽の位置で確認済みの南へと向かおう。
街道にいつかはぶつかるはずだ、と思ってひたすら歩き続ける。きっときっと、那古野へ――愛しの信長ちゃんが待つ那古野へ帰れるんだ。思わず、涙がこぼれてきてしまった。
一年近く軟禁されていたんだ。監視のない自由の身が、実に心地よく足取りが軽い。ドラマでも有名な黒田
やったぞ!
ひたすら二刻(四時間)ほど歩いて、なんとか街道に出た様子。だが右に行けばいいのか、左が良いのか、さっぱり見当がつかない。
ここは運に賭けるしかないぞ。
――よし決めた。左近の、三左の、五郎左の『左』だ!
左の方向に一刻(二時間)ばかり、歩いただろうか。
一軒の
天は滝川左近を見放さなかった。
「ヨッシャァアアア!!」
夜更けに大声でガッツポーズ。うるさくてごめんなさい。
旅籠に入って尋ねたところ、
まさか、信長ちゃんの庶兄――信広兄が容疑者なのか?
可能性はゼロではないが実に不穏だ。だが今はとにかく、那古野に無事にたどり着くのが最優先。犯人探しは後だ。
「織田家の滝川左近だが、道に迷ってしまってな。あいにく
道に迷ったわけではないが、金子がないのは事実。
安城では、松平広忠を討ち取った滝川左近の名前は、とても売れているようで「あの滝川様でいらっしゃいましたか」と首尾よく旅籠に宿泊できた。
危険を顧みずに、合戦で活躍しておいて本当に良かったぞ。
さっそく暖かい部屋でご飯をいただいた。残念ながら、鍋料理は無理だったけれど、生き返って人心地ついてくる。
まずは友人に手紙を出そう。太田牛一が適任だろうか。
『左近だ。久しぶりだな。又助は元気か? 権六や三左や殿はどうしているのだろう? おれは何者かに
今は三河安城の旅籠に泊まっているが、あいにく金子も取り上げられてしまったので、持ち合わせが全くない。
殿にもおれの無事をよしなに伝えておいてくれ。
安城には誰か使いを立てて、金子を届けてくれれば構わない。済まないがよろしく頼む。
左近より又助へ』
書いた手紙を、朝一番で那古野へ早馬で届けてもらうよう手配したら、自然と安堵の息がもれた。
明日には那古野に文は届くだろう。那古野から使いが来るのが明後日かその次か。きっと、四日もすれば懐かしの那古野に戻れるはずだ。とにかく急いで那古野に帰りたい。馬を借りてスピードアップできないだろうか。
那古野に帰ったら……そうだな。ゆっくり湯殿に浸かりたい。それからゆっくりと、こたつでヌクヌクぽかぽかしたいぞ。
一年ぶりの愛しの信長ちゃんは、どんな顔をするだろう。信長ちゃんも元気で、おれの帰還を喜んでくれるといいのだが。
いずれにしても、一年近く軟禁されたのはおれの気の緩みが原因だ。気を付けていたつもりだったが、まだまだ戦国世界に馴染んでなかったのかもしれない。
既に歴史をずいぶん変化させた結果、おれを恨む人間も相当数いるし更に増え続けるはずだ。これまで以上に慎重に行動し、非情な決断をしてでも、不穏な芽は徹底的に排除しよう。
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