第四六.五話 マムシ殿を救え【丹羽長秀】

 ◆天文十五年(一五四六年)九月下旬 尾張国 那古野城 丹羽にわ長秀ながひで


 久方ぶりの那古野勢の出陣である。夏前はふさぎ込んでいる事の多かった殿だが、ここ最近は笑顔を見せる場合が多くなったのは幸いだ。

 だがやはり、左近殿の消息は依然不明とのこと。殿のためにも尾張のためにも、無事を祈る。


「これより那古野勢は、我が義弟、斎藤山城やましろ道三どうさん)殿の助太刀に美濃(岐阜県)へ参る!」

 二の丸に将兵を集めた殿は強く宣言した。伊勢(三重県)への出兵は噂されていたが、美濃へ出陣とは意外だった。

此度こたびの戦の目的はただ一つ! 斎藤新九郎しんくろう義龍よしたつ)に攻められているまむし殿を救うのじゃ。美濃に本日中に移動する。皆のものよいな!」

「ウオオオオオーッ!!」


 戦装束に身を固めた凛々しい殿はげきを飛ばす。

 なるほど。斎藤新九郎は父道三殿の実子ではない、との風聞があったが事実なのかもしれないな。

 美濃への行程は七里(二八キロ)弱で半日強といったところ。他の軍勢なら一泊二日の行程だろうが、我が那古野勢は違う。

 木曽きそ川と長良ながら川を渡って、明日早朝から合戦だろうか。わたしは橋本一巴いっぱ殿と同じく、鉄砲の射手の予定だ。


 初陣の安祥城での戦いでは城からの防戦がほとんどだったが、今回は野戦になる可能性が強いので、さすがに緊張はする。

 だが幸いなことに、見事な夕焼け空から察するに明日は晴れだ。充分に鍛錬を重ねた鉄砲を、戦でも十二分に活用できるだろう。


◆天文十五年(一五四六年)九月下旬 美濃国 大浦おおうらの寺(岐阜県羽島市はしまし) 丹羽長秀


 木曽川と長良川を渡河して、長良川北側のほとりにある大浦の寺に陣取った我が那古野勢四〇〇〇は、同所で野営する。殿の父上の清洲勢と、叔父上の守山勢を待ち受けるためだ。


 陣で佇んでいる殿の様子を覗い見ると浮かなげな表情。口に出しはしないが、やはり左近殿が戻っていないのが大きいのだろうか。

 左近殿の親友の柴田権六(勝家)殿、森三左(可成)殿、太田又助(牛一)殿にしてもだ。もちろん私も、いつも自信に満ち溢れていた左近殿が、戦陣に加わっていない状態で、勝利をつかめるのか不安ではある。


 ◇◇◇


 ――翌早朝。

 諜報衆の多羅尾たらお四郎右衛門しろうえもん殿の手の者から、斎藤新九郎(義龍)と山城(道三)殿の軍勢の様子が報された。新九郎の軍勢は我らと同じく長良川北岸にあり、およそ一七〇〇〇余で半里(二キロ)上流だ。一方、山城殿は新九郎の対岸に陣取っているが、二五〇〇前後と寡兵だ。

 そのうえ未だ、大殿や殿の叔父上の軍勢の一〇〇〇〇余は着陣していない。

 新九郎の稲葉山勢を我らのみで相手取るとしたら、一七〇〇〇対四〇〇〇と四倍の兵力で圧倒的な劣勢だ。我が殿は如何なる采配をするのだろうか。


「父上らの軍を待つ時間はない。我らのみで、斎藤新九郎の軍勢を押し込んで、蝮殿をこの陣まで退かせるのじゃ」

 殿は陣に集めた諸将に静かに告げる。


 思わず顔を見回す者も多くあったが、殿が語気を強くしてたしなめる。

狼狽うろたえるな! 我ら尾張の兵は専ら戦を生業なりわいとしているので、強兵であるぞ。しかも彼奴きゃつらの知らぬ鉄砲もあるのじゃ。そのうえ、諜報衆の面々を既に敵方に潜ませており、騒ぎを起こす手はずじゃ」


 殿のおっしゃる通りだ。数に飲まれてはいけない。わたしにも猛訓練した鉄砲の腕があるじゃないか。

「ワハハハ。さすが殿じゃ。四分の一であろうが打ち破ってやるわ!」

 勇ましい言葉を発したのは権六殿。

「そうだそうだ!」

「美濃兵恐るるに足りず!」

 など他の将も気勢を上げる。


「権六、よくぞ申した。容易ならざる敵だが、我らは左近がおらずとも勝てるのじゃ! あやつはきっと生きて戻ってくる。ワシらが不甲斐ない戦ぶりだと、左近に頼りないやつらよ、と笑われてしまうぞ。いつものヌシらの力を出すのじゃ!」

 殿は左近殿を引き合いに将たちを鼓舞する。

 権六殿や殿の檄によって、ようやく将たちの士気が高まってきた。

 そうだ。訓練どおりやればいい。必ず勝てる。

 我らは常勝の那古野勢なのだから。


「皆のもの、先陣を切りたいものは願い出るのじゃ!」

「ワシがひねり潰してやるわ!」

「拙者にお任せあれ!」

「この佐久間大学にこそ!」

「私めが必ずや敵陣を切り裂きます!」

 殿が先陣を受け持つ将を募ると、多くの声があがる。


「此度は、酒井左衛門尉さえもんのじょう忠次ただつぐ)、ヌシに任す!」

「ありがたき幸せ! わしが一命を賭して新九郎を討ち取って参りましょうぞ」

「心意気やよし! だが必ず戻ってくるのじゃ。け!」

 先手を務めるのは、岡崎城攻め後に帰参した、元松平家の酒井左衛門尉殿だ。権六殿や三左殿に負けぬ剛の者との噂だが、那古野に帰参して間もないため武功をあげたいのだろう。


 長槍と弓を率いる将たちが、配下をまとめて陣を進めていく。いよいよ合戦開始だ。笑顔の殿が馬上から声をかけてきた。

「五郎左は一巴とともに鉄砲の用意をしておけ。ワシものちほど参る」

「はっ!」

 我々鉄砲隊は、一旦長槍で敵陣を押し込んだ後に、偽りの退却で敵をひきつけた横合いから、一斉に鉛玉の雨を降らせる手はずだ。日頃鍛えたとおりに、敵をほふってやるぞ。

 恋仲ともいえる左近殿が不明というのに、殿は作り笑いなのだろうが、真に強くて惚れぼれしてしまう。


 その殿に使番が走り寄って大声を張りあげた。

「大殿の軍勢が木曽川を渡り始めましたあ!!」

 よし、朗報だ。これで一刻半(三時間)もすれば兵力は互角になるし、負けはないだろう。


 そろそろ進軍だ。武者震いはするが不安は消え去ったぞ。

 わたしも大いに武功をあげたいものだ。いくぞ!

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