第四五話 囚われの左近

 ◆天文十五年(一五四六年) 春 某国 某所


 永遠に続くとも思われた振動がようやく止んだ、と思ったら床に転がされる。だが、身体を縛りつけていた縄と目隠しの布が解かれたのは助かった。

 かなりの距離を輿のようなもので運ばれた気がするが、まったく見当もつかない。

 三刻(六時間)ないし六刻(十二時間)ほどは、運ばれた気がする。


 このような人間の感覚はあてにはできないので、現状だけで判断して認識しよう。障子から差し込む明かりの加減から早朝だと見当をつける。おそらく、大蛇騒動の翌日だが、薬などで眠らされた可能性もあるので、はっきりしたことは分からない。


 運ばれた場所がさっぱり不明なのだが、見回せば八畳ほどの畳敷きの部屋だ。おれは、後ろ手に両手を縛られて転がされている。畳の片隅には簡単な食事の膳が用意がされているので、すぐに殺される心配はなさそうでほっと一安心だ。とはいえ、慌てて逃げ出すなどの迂闊な行動をすれば、文字通り命取りになってしまう可能性もある。それに両手が縛られて使えないから、食事もできるはずがない。


「おーい! 誰かいるのか?」

 現状把握のためにも、とりあえず叫んでみよう。一分も経たずに、ふすまが開いて三人の男が静かに入ってきたのには驚いた。

 しかもご丁寧に三人ともギラリと光る刀を抜いている。

「左近殿、逃げ出す気を起こすなよ。手荒な……殺しなどはこちらも避けたいのだ。腹が減ったのか?」中年の男が訊ねた。

「とにかく腕が痺れるんだ。逃げ出すつもりはないから解いてくれ」

 中年男の目配せで、若い長身の男が手の縄を刀でスパッと切って、ようやく人間の扱いをされた気がした。

「ありがたい。一体ここはどこなんだ?」

 まずは、食事より落ち着いて確実に現状を認識するのが優先事項。


「詮索をするのはよせ。何も話さないからな。我らは、次の間に控えている。用があるときは呼べ。――行くぞ!」

 リーダー格の中年が答えて、静かに三人とも退室していった。

 改めて三人を観察してみると、身のこなしが尋常ではなく、身体能力は明らかに人並み以上。無理だ。彼らを倒して、脱出するのは非常に難しそうで暗澹たる気持ちになる。


 改めて、用意された食事をしながら現状を正確に認識しよう。

 尾張守護代で織田弾正忠だんじょうのじょう家の次期当主――織田三郎信長ちゃん(一三歳♀)の家臣兼いちゃいちゃ相手で、戦の際には数百の鉄砲隊を指揮する滝川左近一益が、居城の那古野から離れた小部屋に拉致軟禁されていてる。

 もちろん一切の軍事行動、政治的な行動はできない。拉致と運搬の際に、少々の打撲とすり傷を負っているが、とりたてて生命の危険はない。

 ただし、彼女からプレゼントされた、大小の刀は奪われてしまったので、おれはまさに丸腰。しかも相当な手練てだれの監視がついている。


 『いざとなったらワシを守ってほしいのじゃ』と言われ、刀を貰ったけれど、皮肉なことに愛しの信長ちゃんを守るどころか、おれの方が『いざ』という状態だ。情けないことこのうえない。

 とりあえず現時点の最優先の目標は、生きて那古野に戻ること。

 信長ちゃんに二度と会えずに、このまま朽ち果てるなんて我慢がならない。

 

 まずは拉致犯人について、考えてみよう。

 目的は? 目的は、おれ――滝川左近を行動不能にさせることのはず。単におれに恨みがある犯人ならば、こうした拉致軟禁という面倒な行動はせず、一気に殺害すれば済む。


 次に、おれを行動不能にさせると、犯人に何の得があるのだろう。

 当然、滝川左近は軍事的政治的な行動を取れなくなっている。さらには、おそらく信長ちゃんの軍事的、政治的行動も鈍くなる可能性が高い。

 おれまたは信長ちゃん、あるいは二人に通常どおりの行動をされて困る人間が、容疑者のはずだ。


 岡崎城で滅ぼした三河の松平まつだいら広忠ひろただ係累けいるい、父の道三と反目している美濃の斎藤義龍の関係者、犬山城主だった織田信清関連、次期攻略目標の伊勢の領主たちなどが、まずは有力な容疑者だろうか。

 あるいは、信長ちゃんに織田家の家督を継がれては困る人間。つまり弟の信行に近い林兄弟や、三河安祥城の兄信広あたりも動機はある。


 たとえ、容疑者や黒幕が分かったとしても、手も足も出ないのが歯がゆくて焦燥感に駆られてしまう。信長ちゃんはもちろん、牛一や勝家や可成たちもきっと心配しているだろう。早く那古野に帰りたい。

 ――待てよ。もしかすると、おれは逐電したと思われていないだろうか? 逐電はまずいぞ、逐電は。

 ちょっと前までは、信長ちゃんとらぶらぶハッピーな状態だったのに、いまは惨めに押し込め同然とはまったく信じられない。

 こんな状態になるのだったら、それこそ、信長ちゃんと一緒にお風呂にも入って、いちゃいちゃしたり、それこそ『いい仲』になっておけばよかったかな。

『いかに追い詰められようと諦めずにワシを守ってほしいのじゃ。さこんは十兵衛と違うのじゃ』

 信長ちゃんの言葉を思い出す。


 そうだな。おれは諦めない。諦めずに絶対に那古野に帰ってやるぞ。

 障子を開けて外を見れば、正式な名称は分からないけれど、柵だか垣根のようなものが作ってある。ご丁寧なことに、さらに柵のようなものを布で覆ってあって、外部の様子を覗うことができない。

 だがしかし、気温はそれほど低くはない。なので、おそらく飛騨ひだ(岐阜県北部)や信濃しなの(長野県)のような山国ではないだろう。


 まずは、体力を温存して、脱出するスキを狙うのが一番だろう。少なくとも、現時点でおれを殺す気がないのは、有利な点のはずだ。

 殺す気がないなら、少しぐらいわがままを言ってもいいのかもしれない。


「おーい。お願いがあるんだ」

 丸腰のうえに、ただでさえ戦闘力が低いおれに対して、大げさなのだが、無表情な三人の男が入ってきた。さらに、相変わらず抜刀ばっとうまでしている。


「さすがに命が惜しいのでね。逆らわないから、物騒なものはしまってくれ」そう言ったものの、三人とも何も返事をせずに無視。たいした表情の変化も見せない。

 まったく見覚えのない男たちだ。


「紙と筆、小さくてもいいから、机がほしい。お願いできないか?」

 彼らの返事はないものの、とりあえず言ってみるものだ。半刻(三〇分)も経たないうちに、机と紙と筆が運び込まれた。

 紙と筆を手に入れたので、これから起こるはずの歴史や出来事などをまとめていこう。

 書き留めた紙は、脱出して那古野に持ち帰れれば嬉しい。たとえ、持ち帰れなかったとしても、文字に書いた内容は記憶に残りやすい。きっと今後の動きのために役立つだろう。


 ええと、まず尾張では何が起こるんだっけ? 

 そうだ。信長ちゃんの弟――勘十郎信行の謀反むほんが起きるはずだ。だけどこの世界では、信長ちゃんの権威や実力が、おれの知っている歴史よりは格段に上だから、謀反は起きないかもしれない。

 それこそ、信行を信長ちゃんの養子としたうえで、伊勢の有力者の婿に強引にねじ込むという手もあるよな。


 史実と異なる歴史の流れのまとめや予測以外にも、確保したい人材のピックアップや、総技研で開発や研究したい案件などなど。身動きが取れないまでも、将来に繋がる行動をすべきだ。

 時間は腐るほどあるから、脱出のスキを窺いながら、思いついたことを全て書き溜めよう。

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