第三三.五話 虎と爺【織田信秀】
◆天文十四年(一五四五年)十二月中旬 尾張国
「お呼びとのことで」
下座に平手
現在は吉の治める
「うむ。吉の様子を知りたくてな。那古野のアレはなかなかのモノらしいな」
「取引所のことですな。大盛況となっています」
「いや、こたつだ」
「プッ……こたつですか。確かになかなかのモノですな。比類なき心地良さでありますぞ」
「中務、
「
「して、ヌシは比類なき心地良さを味わったのか?」
「ええ。隠居したくなるほどの心地良さでありました。ぽかぽかと表現するらしいです」
「何ゆえ中務が、ぽかぽかを味わえるのだ? こたつは左近の屋敷にあると聞いたぞ」
「吉姫様が『爺は歳ゆえ冷える。左近のこたつで充分暖まれ』との仰せでして。まったく心持ちの優しい姫でございます」
「ワシもぽかぽかを味わいたいものだ」
「いえ、無理でございましょう」
中務が即座に否定する。実に気に入らない。ワシは織田家の当主であり、吉の父親であるぞ。
「何ゆえ無理なのだ。左近の屋敷のこたつであるからか?」
「姫に止められてますゆえ」
なるほど、吉の裁量であったか。だが、理由が思いつかないぞ。
「なんと! 吉が止めるとは
「吉姫様は『父上がこたつで暖まると駄目になるゆえ、父上をこたつに入れてはならぬ』との仰せでして。心立ての優しい姫でございますな」
「優しく聞こえぬが……」
「父上が駄目になっては
父思いどころか、
「
「諸国の商人が集まっており大盛況です」
「左様か。倉庫も盛況とのことだが」
「ええ。那古野取引所で米を取引する商人が多くなりましたゆえ、米を納める倉庫も盛況でございます」
左近が米の取引所を開設した理由が、今ひとつ不明であるけれど、大盛況とのことならばさしたる問題はあるまい。
「海上ほけんはいかがか」
「海上ほけんについては、今はそれほどは儲かっていないようです。ですが左近によれば、百年先の未来には絶対に必要な事業であり、元手は掛けてないゆえ構わないとのこと」
元手を掛けずに商人を動かしたのか。
それにしても百年先を見据えてるとはな。
「何と! 元手を掛けておらぬのか」
「はい。のうはうを見せて商人たちに銭を出させ、かいしゃを作り上前をはねるとのこと」
のうはうやらかいしゃやら、今までに聞いたことがないぞ。南蛮由来の言葉であろうか。
「よく話が見えぬが……」
「全くもって。ただ一連の策にて、元手を使わずに左近は三千貫(三億円)を稼ぎ出しました。さらには、毎月の
三千貫だと? 信じられぬわ。
「元手のないところで三千貫も稼ぐ。……百年後の未来……恐ろしい男であるな」
「まことに仰せの通りで」
「それでいて、吉以外に女の影はないのだな?」
「全くございませぬ」
そういえば、
「女といえば左近との知恵比べはいかがした?」
「なかなか上手くいきませんな。若いながらもなかなか
中務の見立てでは、五分五分とのことだったが苦戦しているようだな。
「プッ……身持ちが固いのか。それでは策は叶わないのではないか?」
「殿、笑いましたか?」
「
「ただ役者もまんざらないでもないとのこと。今しばらくすれば吉報が届くでしょう」
中務の目が妖しく光る。
左近の様子を聞けば、吉に誠意仕えているらしい。監視や警戒はもちろん必要だ。だがあえて、吉の悲しむ策を強行する必要もない気がしてくるが、吉が家督を継ぐとなれば、婿は不要なのかもしれない。
左近が吉以外の
「して、三河岡崎の策につき、ヌシは
「はっ! とても面白きことで。桜井松平(松平
「吉は『兵を出せ。だが恐らく戦にはならぬ』と言うておったな」
「吉姫様のことですから、またしても左近と図り、巧妙なる策を考えていらっしゃるのでしょう」
中務の推測通りだろうな。
「どうせ、あやつらのこと。岡崎だけでなく
我が
岩倉と犬山に攻め入る名分は充分あるだろう。あとは、どのように吉と左近が両者を潰すか、見ものであるな。
「恐らく。城攻めは不利なので、策にて勝つとのことです」
「大和守(織田信友)を討ったときのように、鮮やかな策であろうな」
「で、ありましょうな」
「ワシは隠居しても良いかもな」
「隠居は、吉姫様が許されないかと」
「吉がワシの隠居を許さないとはいかに?」
「子が増えて、要らぬ騒動になると」
まったく! 吉は非常に頼もしい反面、お節介である。
「…………」
「…………」
「ところで、田畑はいかがか?」
那古野の経済政策以外にも、左近は農業にも力を入れるとの話だったので、状況を確認しよう。
「年貢関連の厳密な精査、
「なるほど。様々なことをしておるな。三年五作とはなんぞや?」
「米、大豆、麦を春秋に三年間で五作するそうです。もちろん、成果はこれからの判断となりますが」
「農具といえば、すこっぷはこの清洲城にもあるな。便利なこと比類なきである」
「全くです。穴を掘るだけでなく、ちょっとした武具にもなります」
「那古野で今話題の『年末巨大富くじ』も、あやつらの仕業であろう?」
「ええ。わしも家内に頼まれまして、二十枚ほど買っております」
「実はワシも三十枚ほど。買わずとも良いのだが、夢があるでのう」
「ええ、大晦日が楽しみとなりました」
「全くだ。さらには、兵農分離か」
「左様で」
「兵農分離は
「那古野では実績があります。将兵が那古野に住んでおりますので、その日のうちに出陣できます。田植え、稲刈りにも影響されません」
「うむ。出陣が早いので、城を少なくできような」
「はい。仰る通りでございます」
つくづく左近は様々な策を編みだすので感心してしまう。
「わずか四か月だ。恐るべし……いや、頼りになる婿と言うべきかもな」
「まさに、婿のようですな。いつも仲ようございます」
「湯殿とやらにも吉と共に入るのか?」
「…………」
「いや、これは無粋であったな。ワハハ」
「わはは」
清洲にも湯殿を造りたくなったわ。
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