第六話 死神左近と太田牛一
◆天文十四年(一五四五年)六月二十一日 尾張国 那古野城
くっ。これが戦国時代の武将の凄まじさなのか。恐ろしくて仕方がない。
だが、斬られる理由がまったく思い浮かばないんだ。勘弁してください。
「ふふふ。斎藤か松平の手の者かと思ったんだが、武芸の
にこやかに微笑んで、平手爺は刀をカシャンと鞘に収めた。
なるほど。爺はおれを敵国の
――危なかった。恐怖で背中が汗でじっとりしている。
「そ、
何とか言い返す。
「姫様は
人のよさそうな笑みを浮かべて、平手爺は出て行った。間者疑惑は払拭できたのかな?
確かに冷静に考えれば、織田家にとっておれは得体のしれない怪しい人物。おれ自身も信長ちゃんと同じく、実績を認められなくては家中の発言力は皆無ということ。ずしりと肩が重くなった気がした。
だが平手爺もどうやら信長ちゃんの実力を認めているようだし、悲観するだけではなく明るい材料ともいえるだろう。ともあれ、信長ちゃんの地位向上のための政策を考えなくては。
「客人がお見えです。こうだ
はて、誰だろう? おれを訪ねる客なんて。もちろん心当たりは全くない。もしかすると、おれと同じく未来から来た誰かだろうか?
ともあれ、会ってみないと話にならない。
「会いましょう」
謎の来客と会うことにした。
◇◇◇
「やあやあ、どうもどうも! 夜分に恐れ入ります。かの有名な滝川左近殿でしたな、うふ」
五尺三寸(一五九センチ)ほどの身長で、割と細めの体型。歳はおれと同じくらいだ。人好きのするニコニコ笑顔で見るからに腰が低そうだ。だが全く記憶にない。誰だよ、こいつ?
謎の男の来訪の意味が分からない。しかもおれが有名人だと?
「
驚いて訊ねてみる。
「拙者の耳には、左近殿は
そういえば史実の滝川一益には、信長に鉄砲の腕を見込まれた逸話があったな。どうでもいいけれど『うふ』のところで、人のいい笑顔から悪代官のニヤリ笑いになるのはやめてほしい。
「多少の心得はございますれば……して、お手前は?」
本当に達人並に火縄銃を撃てるかどうかわからないけれど、まあ、なんとかするしかない。自然と馬に
「どうも失礼つかまつった。拙者、
かの有名な滝川左近殿が那古野においでとのことで、取るものもとりあえず、駆けつけた次第でしてな。うっふっふ」
わかった! こいつは、『こうだ』ではなく太田――太田又助
授業でやったよ、むちゃくちゃ感動!
今は尾張守護の
なるほど、携帯用の筆と墨壺のセット(
牛一は絶対に使える。牛一から様々な情報を聞き出して有効活用したい。機嫌をとっておこう。
太田牛一は信長の元で事務を司る
「
「拙者、的当て上手といえど、戦で手柄を立てねば宝の持ち腐れですな、うふ。それに比べたら左近殿は……」
「ん?
牛一が口元を手の平で半ば隠しつつ、耳打ちするような小声で
「
全く心当たりがないけれど、一益には故郷で人を殺めて放浪の旅に出たというエピソードがあった気もする。
「噂話には尾ひれがつくものです。少し脅かしただけですよ」と適当に話を合わせておく。
「拙者の耳には、左近殿に狙われた者は死から免れぬゆえ、『死神左近』と恐れられていると聞こえて来ますな、うっふっふ」
異名ならば史実どおりの『進むも滝川、退くも滝川』の方がいいのだが。というか、左近の名乗りは昨日からだったよな。
「又助殿、盛ったな!」
カマをかけてみる。
「左近殿にはかないませぬな、うっふっふ」
侍女に持って来てもらった酒のせいもあり、牛一とすっかり仲良くなってしまった。後世のためにも太田牛一は、下手な戦で死なせてはいけないな。官僚としての事務能力を高めてあげなくては。
「左様。これが『8』で、これが『9』です」
「二つ団子が『八』に、串付き上団子が『九』。南蛮数字には、まこと団子が多いですな、うふふ」
灯油を利用した薄ぐらいオレンジ色の灯りのもとで、大の男二人がニヤニヤ笑ってる図は悪巧みにしか見えないよな。真面目な勉強会なんだが。
どんっどんっどんっ! どたっ……どんっどんっ!
おっと。なにやら盛大な足音が。しかも転んだ?
「左近っ! 疲れたのじゃ。爺は鬼であるぞ。しかも、膝が痛むのじゃ」
信長ちゃんが、客間にずかずかと入り込みながら喚きはじめる。今日は、女子用の小袖姿でポニーテールだ。慣れない服装なので転んだんだろう。吹き出しそうなのを何とか耐える。
見た目は美少女なんだけれど、所作が致命的に荒いんだよ。牛一も唖然としている。
「
「左近殿、もしかして……お、おお、お、尾張那古野の吉姫様で?」
牛一に向かって大きく頷く。『大うつけ』と口走りそうになったのを巧く誤魔化したな。
信長ちゃんは、部屋の隅にあった円座を持ってくると、床に置いてどかりとあぐらをかいて牛一に酌をする。
「うむ。又助殿、よくぞ参られた。織田吉じゃ。今宵はゆるりとされよ」
「はっ! 太田又助、お初にお目通り
信長ちゃんはドヤ顔をしてるけれど、女子の着物でその座り方では、具が見えてしまいそうだぞ。さすがに主君にあられもない格好をさせていたらまずい。パンツを開発してあげなきゃな。
牛一もトレードマークの『うふ』が出ずポケーっとしている。
「ワシも呑むぞ。左近、酌じゃ」
「はっ!」
あれれ? 史実の信長には
「余りに爺が小うるさいので、『大垣の城は当家の
得意顔の信長ちゃん。
「あっぱれ! さすがは殿です。この調子で必ずや大殿や爺を見返すことができましょう」
「で、あるか!」
さすがだよ。政治センスは抜群で史実どおりだ。自然と『殿』と言えた。
呆気にとられている牛一に、水を向けてみる。配下獲得の大チャンスの気がする。
「殿、ところで、又助殿は諸国で『今与一』と呼ばれる、剛の者であります。しかも、事務方もこなせる才人でもありますよ」
「いえいえ、拙者などまだまだ……」
牛一は謙遜するが、信長ちゃんは、グイっと盃を開けるや立ち上がり、牛一の真前に腰を下ろす。きっと、願ってもない展開になりそうだ。
「ほー!? 今与一とな。さすがじゃ、さすがじゃ」
信長ちゃんは、呟きながら、ひとしきり牛一の顔を覗き込んだり、腕の筋肉を指でつついたりしている。
牛一も、美少女に褒められて、満更でもないようだ。
「又助! ヌシはワシの『弓三人衆』の筆頭じゃ。励め! 武衛様には平手の爺が言上するゆえ心配要らぬ……おっと、左近、酔ったようだ。
言いたいことを言って満足したのか、信長ちゃんは床に倒れこんで、早くも寝息を立てている。エピソードどおり下戸だったらしい。
しかし満点の出来だよ。やったね信長ちゃん! 太田牛一を部下として強引に引き込んだぞ。
おれは侍女を呼んで後の事を任せると、本人が知らぬ間にめでたく転職が決まった男の肩をぽんっと叩いて言ってやった。
「よろしくな! 相棒。弓三人衆筆頭とはさすがだ。祝い酒だ! 三人衆といっても、今は又助ひとりだけどな」
「拙者、そのような気がしてましたな、うっふっふ」
ご機嫌のところ申し訳ないが、牛一。明日から数日間は、気合を入れて資料作りだぞ。信長ちゃんが嫁にいったら、即座に職場がなくなってしまうから。
大殿(信秀)に信長ちゃんから献策させてうまくいけば、すぐ嫁入りという話にはならないはずだ。
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