第四話 信長ちゃんの嫁入り騒動
◆天文十四年(一五四五年)六月二十日
信長ちゃんに城内に連れられてきて、ひとまず客間らしき場所に通された。八畳の二倍の十六畳ぐらいだろうか。結構広いぞ。板敷きの床の一部に畳が敷かれていて、
まずは、謀反の夢に引き続きおれの身に起こっている異常事態。思い起こしてみると、光秀謀反の悪夢はたかだか十数分程度の長さに思える。対して現状といえば、既に一時間半程度は時間が経過しているだろう。
夢なら覚めろ、と身体のあちらこちらをつねってみても、まったく周囲の状況は変わらない。
もちろん現代へ戻る方法は見当もつかないし、これからの運命が、本能寺の悪夢に繋がっている予感がしてならない。それに、先ほど話した美少女信長は、周囲に真の理解者がいなかったのだろう。おれを見る彼女は、驚愕と安心感が入り混じったような表情をしていた。
信長ちゃんと恋仲になる夢の暗示はともかく、戻る方法が見つかったとしても、彼女を放置して現代へ戻るのも気が引けてしまう。史実の信長にしても非業の死を遂げて、やり残したことは山ほどあっただろう。
とはいえ大問題は、信長が姫ってことだ。おれの知っている歴史ではない。
だが、あの信長ちゃんが生命線。それに、先ほど話した感じでは、考え方などは史実の信長そのものだと感じる。
考え方が戦国時代の天才信長ならば、美少女信長ちゃんの元で、なんとかうまくやっていくしかない。今のおれにとって、織田家より安全な場所はないはず。それに年月が経った江戸時代に比べ、戦国時代は女性の政治的地位は意外に高く、史実でも女性城主が活躍したケースすらある。
本音をいえば、運命はともかく、好みの美少女の気を引きたいという気持ちも少なからず……いや多くある。今は小学六年生でも五年経ったら女子高校生相当だ。夢で自害してしまった、はっと息をのむような美少女に育つ可能性はかなり高いだろう。
実のところ、あの表情豊かな大きな目のせいで、信長ちゃんはこの時代の美人の範囲からは外れてしまうようだ。だが、絶対にこの上ない現代風美人に育つに違いないぞ。
まずは信長ちゃんを、この織田
史実と照らし合わせると、信長の後継者争いのライバルといえば、二つ年下の
まず注意が必要なのは弟の信行。史実でも信長に謀反を企てているし、うつけと呼ばれた信長より、信行を推す家臣も多かったという。
兄の信広の母は側室のため、後継の正当性には一歩譲る。だが、やはり史実で信長に反旗を翻したことがある要注意人物だ。
参ったな。
信長ちゃんが女性だけに、史実よりも家中の後継争いが、熾烈になりそうだ。いずれにしても、現在の正確な情報がほしい。
どんっどんっどんっ! どんっどんっどんっ!
突然の物音に思考が中断される。
足音か? それにしては、だいぶ慌ただしいが。
「左近ッ! おるか!?」
ずかずかと部屋に入ってきた信長ちゃんに声をかけられる。何が起きたんだ?
「はっ!」
「爺は嫁入りのために和歌の修練が必要だ、と口
大声で喚く信長ちゃん。愚痴りはじめた。
気持ちは分かるし、おれも彼女に嫁には行ってほしくない。生命線でもあるし、好みの顔立ちだしな。
うまい手を打たなければ、おれの生命は風前の灯。
彼女以外におれを引き立ててくれる主君などいるわけがない。
「
「姫などと呼ぶでない!」
ピシャリと跳ね除けるような口調。
なるほど……これはこれは。女扱いしてほしくない、ということだろうか。
「とんだご無礼を……申し訳ありません。吉様、何ゆえ嫁入りしたくないのでしょうか?」
「好きでもない男に抱かれるのは嫌なのじゃ」
おや? 女性扱いされたくない割にこの発言の真意は?
「好きな男に抱かれるのはむしろ好都合と?」
「そ、それは……好都合かどうかは、まだ好いたことがないゆえ分からぬが、興味も多少はあるのじゃ」
信長ちゃんは何やら、顔を赤くして照れてしまっている。性同一性なんちゃらではなく、一応女の子なんだな、と思いぷっと吹き出してしまう。男の格好をしている信長ちゃんは、織田家のれっきとした姫。きっと
「左近、笑うでない! それより、那古野の周りも敵ばかりで戦続きであるゆえ、父上を助けたいのじゃ。嫁に出てしまえば、たいして役に立てぬ」
史実の信長には、家族思いのエピソードが残っている。どうやら信長ちゃんは、パパ大好きっ子のようだ。
「なるほど。では、質問を変えましょう。戦をなくすにはどうすればよいでしょうか?」
「当家がもっと強くなればよいのじゃ。それには新しい武器や戦術を極めて、戦に強くならねばならぬ。そのために、道理を
民を富ませ
姫の姿はしてるけれど、考え方は全く史実の織田信長なんだよ。嬉しくなってしまう。
信長がいなければ、この織田
「国を富ませ兵を強める――富国強兵ですね。さすがでございます」
「で、あるか!」
信長といえばこのセリフ。これが聞きたかったよ。部屋に入ってきたときは膨れ面だった信長ちゃんが、ようやく表情を和らげる。
機嫌をとっておいて様々な情報を聞き出そう。
信長ちゃんのパパ、織田
また、足利幕府に任命された尾張のトップ、尾張守護は
つまり、政治体制は史実通りというわけ。
織田
そのため、主家を
現在、大殿信秀は
信長ちゃんの縁談候補は、美濃のマムシこと斎藤
織田弾正忠家は先ごろ斎藤道三と、
だから、美濃と和議を行い二正面を敵することを避けたい。
確かに戦略としては悪くはない。悪くはないが信長ちゃんがいなければ、おれの戦国時代生活は非常に危険なものになる。というか、ほぼ終わるだろう。この信長ちゃんにも嫁に行ってほしくない。
絶対に嫁入りを阻止してやるぞ。未来知識を利用して絶対に阻止するんだ。
ただ、あからさまに現代知識を披露するのも問題がある。
荒唐無稽に聞こえる話が事実だとしても、狐
あくまで自然に自然に。未来の記憶を持っているのはトップシークレット。誰にも知られてはいけない。もちろん信長ちゃんにも。
「ところで、吉様の嫁入りに関して、家中の意見はいかに?」
「嫁入りに限らず、ワシの意見など誰も聞いてくれぬのじゃ……」
信長ちゃんは、半分泣き顔のような悲しげな顔だ。あーあ。いじけちゃったぞ。
確かに、この時代なら、嫁入りは普通の考えだろう。おれに未来知識があるからこそ、信長が不世出の英雄で天下を手中に収める事実を知っているだけ。
現時点で美濃との婚姻政策で融和を図るのは悪くない。というか、二方面作戦を避けるための、とても有効的な打開策だ。
しかし、やっぱり信長は言葉が足りない。大学でも信長を深く研究していたのでよく分かる。
言葉が足りないせいで、誤解されてる部分が多いはずだ。信長は理解されないことが多すぎて、説明するのが面倒になってしまったのかもしれない。
天才とは孤独なものだな。
「左近は、ワシの意見は理解できぬのか?」
信長ちゃんが上目遣いですがるような表情だ。
待て!
男装で小学六年生とはいえ、ドキッとする色気がある。ロリコンではないけれど、心臓を射抜かれた気がした。なんという色気だよ。
「
信長ちゃんを安心させる一心で、自信満々に言い放つ。
「まことか! 左近よ、その
信長ちゃんは、目を輝かせてニコッと微笑んでいる。素敵な笑顔だ。斜めだったご機嫌が、逆によくなったみたい。
「はっ!」
「左近、励むのじゃ」と言い残して、足音軽やかに信長ちゃんは出て行った。
ふう。史実では、美濃の斎藤道三とは、娘の
困ったな。史実にはない嫁入り話なだけに、おれの未来知識などは全然役に立たない。
だが待てよ。本能寺の変で信長ちゃんと一緒に、光秀に討たれるのが現時点での運命ならば、嫁入りはしないで済むということ。美濃の斎藤家と、関係を深める策はきっとあるはず。
どんな手段をとろうとも、信長ちゃんの嫁入りを阻止してやる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます