現代大学生がタイムスリップした先は戦国時代。まんまと織田家に仕官したけれど信長様が美少女な姫でどうしろと。〜未来知識で天下取り〜《なろう700万PV超の戦国ファンタジー》

里見つばさ

第一部 鳳雛編(1545~1546)

プロローグ 本能寺の変

「一大事じゃ! 早く起きるのじゃ!」

 甲高い女性の声と同時に、乱暴に肩を揺さぶられて目が覚めた。


「えっ? 何があった?」

 寝起きの働かない頭で何とか答える。重い瞼を開けると、白い服を身にまとった女性がおれの顔を覗き込んでいた。

 全く記憶にない若い女性の顔。白い着物にポニーテールが似合う美人だ。誰だよ、いったい。


「ぬかったわ! 明智あけち日向ひゅうが謀反むほんのようじゃ。早く起きろ!」

 おい、待て!? 明智日向といえば、世にも名高い明智光秀。歴史上の重大事件――本能寺の変の首謀者だ。得意の歴史に関するフレーズを彼女が口にしたため、段々と脳が活性化してきた。


 おれを起こした若い女性が白い着物をひらっとひるがえして、部屋の隅二か所にあった照明の行灯あんどんを乱暴に蹴倒した。薄暗かった畳敷きの部屋の床にこぼれた灯油が引火して、オレンジ色の炎が揺らめいて周囲を照らし始める。


「一体何を……?」

 女性の乱暴な行動に思わず問いかけたおれに対して、

「知れたこと! 表は小姓こしょうたちがしばし支えるであろう。ヌシも早く起きて奥へ行くぞ!」

 彼女は真剣な眼差しの強い口調で叱りつけてくる。


「分かった」

 剣幕に押されて起き上がったところ、若い女性は布団の脇にあった短めの日本刀をおれに渡してくる。

「ヌシは脇差を……太刀たちは必要あるまい。奥へ急げ!」

 彼女は、刀置きに残された大ぶりの日本刀にきつい視線を送ると、提灯ちょうちん片手におれの左腕を取って、急ぎ足で暗い板張りの廊下を導いていく。


 まったく、何が何だか意味が分からない。遠くから、金属と金属がぶつかる音や、喚声のようなどよめきが散発的に聞こえてくる。

 大ピンチなことは間違いない。


「何が起こってるのでしょう?」

 おれを先導している彼女に問いただす。

「考えるのは後じゃ! だが、明智日向の軍勢がワシらを討ち取ろうとしている。まあ、ここでよかろう」

 ふう、と一息ついて歩みを止めた彼女は、廊下の脇の引き戸を開けて、一室におれを導き入れる。そして素早く戸を閉めて、室内にあった手頃な棒で固定した。

 貯蔵庫なのだろうか。樽のようなものがいくつか見てとれる。


 またもや明智日向守ひゅうがのかみ光秀。間違いない。ここは本能寺なんだ。

 だとすると、おれは織田信長でこれから討ち取られる運命なのか。

「何でこんなことに……」

 嫌だ、夢なら覚めてくれ!

 彼女は提灯と腰に差していた脇差を床に置いて、焦るおれをきつく抱き締めてきた。


「なにゆえ日向が謀反したか分からぬ。あと一息だったのにな。だが最期ぐらいは二人でいたいのじゃ」

 夢にしては生々しい。背中に回された彼女の腕の感触も、甘い体臭も、部屋に漂う味噌のような匂い。すべてがリアルで実感できる。

 おれが信長だとすると、この女性はいったい誰なんだ?


 大胆な抱擁につられるように、震える若い女性をしっかりと抱きしめる。

 彼女の顔を薄暗いながらも凝視すれば、意志の強そうな大きな瞳に、きつく真一文字に結んだ薄めの唇。色白で鼻筋も通っていて、かなりの美人だ。いや美少女といっていい。

 年齢はおれより二、三歳下ぐらい。女子高生といったところだろう。


 本能寺の変の際に、信長の正室せいしつ(正妻)の帰蝶きちょう濃姫のうひめ)は、信長と運命を共にしたとも、変の前に早死したとも伝わっている。

 腕の中の美少女が信長正妻の帰蝶なのか分からないけれど、一緒に布団で寝ていたのだから、ごくごく親しい仲なのは確実だ。


「姫……おれは……おれは……」

 彼女をどう呼べば分からないので、単に姫と呼んで震える彼女の身体をさらに強く抱きしめる。


「ふふふ……。ヌシは斯様かようなときにも姫と呼ぶのか。だが、よかろう。普段どおりであるからな。冥土の土産をもらっておくのじゃ!」

 美少女は不敵な笑みを浮かべて大きく背伸びをすると、おれの頭の後ろに腕を伸ばして、激しく唇を重ねてきた。

 冥土の土産、と彼女は物騒なフレーズを口にするが、甘酸っぱい果実のような香りが心地よく、本能的に彼女の唇を貪る。

 彼女もおれの行為に応えて、更に愛情を感じさせるように激しく。


 ――だが。至福の時間は、唐突に破られた。

 狭い部屋の外の木張りの廊下から、数人の荒々しい足音が聞こえてくる。


『こっちか!?』

『おいっ! 先ずは左の部屋を探せ!』

『承知!』

 ガタンッ!

『上様、お覚悟!』

 足音の様子から想像すると、四、五人のようだ。敵は建物内をしらみつぶしに、おれを探し当てるつもりなのだろう。


「おれたちを探しているようです……。抜け道などは?」

 彼女の耳元にそっと小声でささやく。絶体絶命のピンチからなんとしても脱出したい。

しまいのようだな。是非もなしなのじゃ。あの日向に抜かりがあるわけないわっ!」

 美少女は吐き捨てる。そして、さっとおれから離れると、室内に貯蔵されていた小ぶりの樽を一つ転がして、提灯を投げ捨てた。樽の中味は灯油だったようだ。引火して炎があがる。静かに確実にオレンジ色の舌が、めらめらと周りを舐め回し照らし始める。


 火炎に映える美少女は、はっと息を呑むほど美しい。

 いや、待て。どう考えても彼女は天運が尽きた、と自害するつもりだろう。

「姫……逃げよう!」

 彼女は答えず、ふっと微笑むと再びおれに抱きついて、耳元で小声で呟くように言う。


「あの世とやらで、ヌシとまた会いたいものじゃ。先に逝くぞ!」

「待って! ダメだ!」

 翻意させようとしたおれには構わず、

「クッ!」

 美少女が小さなうめきをひとつして、倒れ込んできた。胸には短刀が深々と突き刺さり、黒い染みがみるみる広がっていく。

「姫、なんてことを!」

 いけない。死んだらいけない。


 部屋のすぐ外の廊下から、辺りに響き渡るような数名の足音が聞こえてきた。

『ここは探したか?』

『これからです!』

『開けるぞ。槍を構えておけ』

『はっ!』


 ――ガタガタガタッ!

 棒で固定してある引き戸を乱暴に開けようとしているようだ。

「もう、やめろぉお!!」

 すっかり生気が抜け脱力した少女を抱きながら、大声で怒鳴った――――。

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