第4話 明かされる不在
「一秒間、ぴったり百回……」
薄暗くした室内で、壁のスクリーンに映る今朝のログを食い入るように見ながら、透吾が硬い声で呟いた。
未理亜はゆっくりと頷いてその隣に立つ。
「その直前直後はほぼ均衡を保っていたんだ。それが突然」
同じ情報を確認していた二人は、一刻も早く詳細データを解析するべく、出勤早々センター内の未理亜のラボへ閉じこもった。
一秒だけ刻まれた連続する1。ワイドスクリーンにログ、グラフ、映像を配置し何度も見た。しかし何度見ても何と比較しても、それは明らかに異常だった。
「……レディが送ってきた映像をもう一度見たい」
言いながら透吾がスクリーンの一部を占有している停止中の動画を少し戻して再生する。ログと連動して流れるそれには、放射線のノイズとレディ・バグ自身の振動、荒れた岩肌が映るのみだ。
「八時五十分〇秒〇〇から一秒〇〇まで。っていうのも偶然にしてはなんともできすぎてると思わないか、父さん」
「決めつけはよくない。これを知ってるのは僕らしかいないんだ」
未理亜は三つのデータを改めて俯瞰し口を開いた。
「乱数発生器のデータ送信数も秒間百回。きっちり一秒狂うなんてことは今までの実験でも起こっていない」
「なにか乱数を送れなくなるトラブルに遭ったとか」
透吾が顎に手をやりながら反論を述べる。それが議論の合図となり、未理亜が早口で重ねていった。
「これは量子力学の不確定性原理に基づいた、量子のゆらぎを感知する装置だ。量子が本質的にランダムであることを利用してる。その上二極しかないシンプルな構造。0と1がほぼ均衡を保つのは、その理屈があるからだ。送れないのならその箇所はノーデータで返してくる。実験でだって立証してる」
「ちょうど1を送ったタイミングで放射線や電磁波などの影響を受けて狂ったとか」
「もっと複雑なものが飛び交う宇宙空間でも同じようにやって問題なかった。このチップだけ特異とは考えがたい」
「単なるバグという可能性は?」
「一秒のあいだ1を送ってくるバグ? 現実的じゃない」
「このあと0が続く可能性もある」
「ないとはいえない。長期的に見たら均衡は戻ると思う。そうすれば平均化はするだろう、けど」
今も脈打ち続けている0と1のグラフを指でなぞるように追いかけ、未理亜は数歩、かかとを鳴らした。
「そうなったからって、この一秒に起きた百穣分の一の確率をなかったことにはできない」
観測した時点で情報が決定する。ごくシンプルな構造が、却って混乱を招く。昨日のインタビュアーも言っていたが、量子の世界の出来事は捉えにくい。
「データとして出てる以上それは事実だけどね。それを正と認めるのも早計だ」
「わかってるよ。だからこうして可能性を潰してる」
言葉の応酬も頭の中で考えたことも、結局どこか虚しいものになった。未理亜も透吾も、共通するひとつの可能性に行き着きたがっている。
気付けば力んで握りしめていた手を、未理亜はゆっくりと開いた。
昨日のインタビューで使ったビー玉がそこにあるかのように、手のひらに視線を落とす。レディ・バグが観測した結果が1だというなら、それが答えでしかない。
「未理亜。これは僕の純粋な好奇心と興味なんだけど」
「なに?」
「
急に脈絡のない話を持ち出した透吾に、未理亜が眉をひそめた。
乱数発生器は元々、ネットワークインフラにおける暗号化などに使われている。処理できる数が多ければ多いほど複雑化し、セキュリティが保持される。人の意識がそれに影響を及ぼす可能性がある、とされたのは、二十一世紀のはじめの頃の話だ。
「それが?」
「いや、それを載せていたらどれだけ1を送ってきたんだろうと思ったんだよ。十分だと思ったから最低限に留めたんだがね。時間と容量の制限が悔やまれる」
太いため息を落として透吾が再び映像を少し戻した。再生をタップし、その瞬間に備えるように目を強く何度か閉じる。未理亜も腕を組んで待った。
映像は頭で再現できそうなほど見たが、それでも諦めずに探そうとしていた。プロキシマbにいるかもしれない『何か』の存在を。
「……ん?」
問題の箇所に行き着く手前でふと覚えた違和感に、未理亜は短く鼻を鳴らす。
「なにか見つけたかい?」
「いや、具体的なものではないんだけど……」
スローにしてもう一度流す。するとますますそれが、気のせいではなかったことを未理亜に確信させた。シャボン玉が風でたわむように、映像の一部がかすかに歪んでいる。画面の左端に見つけた、振動のブレとは異なるたわみ。
「ここ。アメーバ状にほんの一瞬歪むんだ。1を叩く三秒ほど前」
指先で位置を示しながら再生すると、透吾は目を細めて顎を突き上げる。
「本当に一瞬か……。わからないが解析チームに上げておこう」
透吾が自身の端末を開いた。報告は父に任せることにし、未理亜は近くのデスクに腰を預けた。とはいえ落ち着くはずもなく、黒いタイトスカートから伸びる足先を間断なく揺らす。
放射線の影響。一時的な高温の発生。ガラス質のなにかがあり、偶然映り込んだ。考えてはみたものの、思考は自然とその可能性にすり寄っていく。
「仮に。本当に仮にだけど知的生命体だとして、量子に影響を及ぼすほどの明確な意識を持っていると思うかい?」
操作を終え真剣にのぞき込んできた透吾の視線を、未理亜も正面から受け止めた。
意識は空間を浮遊する。
とはいえ人間のそれはとても微弱で、数人単位でただ思考をしていてもなんら影響はない。集団が強い意識を放つことではじめて、観測できるだけの量子のゆらぎが生じる。
興奮、歓喜、動揺、恐怖。だからあの日、モニタルームでも1に偏る結果が生まれた。
未理亜は静かに首を横に振る。
「そればかりはなんとも。それこそ、わかりやすい生命体が映っててくれたらいいんだけど」
「そうだね。そうなると、生命とはなにかという根源的な問いにまで及んでしまう」
「うん。そもそも生命とは有機物である、なんて定義付けたのも人間だ。木星でガスを吸って生きる生物や、土星の環の中を泳ぐ何かがいたって不思議じゃない。それに必ずしも意識が必要ってことでもない。量子のゆらぎに干渉さえできれば、それでいいんだから」
「物理法則を超えてくるものたちか」
透吾が太い息を吐いたのを最後に二人は押し黙った。
待ち望んだ観測結果だが、いざ受け取ると困惑した。加えて四・二光年先にいる相手に対し、地球側からアプローチすることも敵わない。
父娘揃って同じ失意に行き着いたのか、ほぼ同時にもう一度ログに目を向けたその時、
『来客です』
ラボ内を統制しているAIが告げた報せに、二人の肩は大げさなほど跳ねた。
『篠原日向さんがゲートにいらっしゃいました』
顔を互いに見合わせたあと、未理亜は後頭部に手をやり、束ねた髪をばさりと振り払う。
「ヒューのことをすっかり忘れてた。もうそんな時間か」
「ちょうど昼だ。少し休もう」
歩み寄ってきた透吾に念を押すように肩を叩かれ、未理亜は小さく頷いた。
「弱めにライトつけて。ヒューをここに案内するようガイドを」
『わかりました』
未理亜の声にAIが応じて部屋が少し明るくなる。スクリーンからログとグラフを消し、レディ・バグからのリアルタイム映像を大写しにした。
岩肌続きだった大地がなだらかになり、何かが流れたような幾筋もの跡がそこに這っている。
「……父さん」
「ああ、水の痕跡みたいだね」
モニタルームのスタッフたちの驚きに沸く様子が目に浮かんだ。もしこれが確定すれば、太陽系外で初めての水の痕跡の証拠となる。
だが、本来ならばもっと喜べたであろう発見もかすんでしまった。それが伝わったのか、父が力なく笑った。
同じタイミングで背後のドアがすっと開いて、未理亜は顔だけで振り返る。姿を見せた日向に軽く手を上げるも、彼は口を曲げながら室内へ入ってきた。
「コールはしましたよ」
「レディ以外の通知を切っていたんだ」
「そんなことだろうと思った。透吾博士。お久しぶりです」
未理亜の横を素っ気なく通り過ぎ、日向は透吾に手を差し出す。透吾も快く応じ、固く握手を交わした。
「久しぶりだね。未理亜の人使いは荒いだろう」
「慣れましたよ。お二人とも、目が据わってますけど」
どうかしました、と指摘され、父娘で顔を見合わせて苦笑いをもらす。が、日向は表情を硬くして二人の表情を見比べた。
「ニュースを見てそう、というわけではないようですね」
スクリーンを見て嘆息した日向に、未理亜は怪訝な視線を向ける。
「ニュース? なんの話だ」
「やっぱり。切り替えますよ」
日向が呆れ顔でスクリーンに触れ、ニュース番組にチャンネルを合わせた。
画面をL字に囲った情報枠に表示された、『集団消失現象速報』の文字が目に飛び込んでくる。
「先ほどから繰り返しお伝えしております、集団消失現象について、新たな映像が入って参りました」
未理亜も透吾も首を傾げる。映った女性アナウンサーの顔もどこか強ばっているのが窺えた。
「寄せられている多くの通報によると、人が突然目の前から消えた、とのことです。当局でも先ほど、番組収録中に該当と思しき映像を偶然にも捉えました」
画面が変わった。ドキュメンタリーの収録なのか、CG用の緑色のスクリーンを背景にスーツ姿の女性が一人立っていて、未理亜は「あ」と呟いた。先日まみえたあのインタビュアーだったからだ。
その彼女が、画面から突然消えた。音も前触れもなにもなく、彼女を忽然と消し去った。人工的な緑が画面いっぱいに広がったあと、スタッフらしき者たちが彼女の名を口々に呼び、きょろきょろと見回しながら画面に入り込んでくる。
「ほかにも視聴者の方より映像が届いておりますので、あわせてご覧ください」
ナレーション後に映像が変わり、今度は別の動画が流れ出す。
犬と散歩している男性を撮影した、ありきたりの日常風景。撮影者と談笑しながら歩いていた彼だったが、次の瞬間、最初から誰もいなかったかのように消え失せた。
『――あれ? え? え!?』
撮影者の上ずった声が消えた彼を何度も呼んだ。ハーネスの持ち手が地面に落ち、繋がれていた犬もおろおろとその場で回る。戸惑いを表すように画面が大きく揺れて乱れた。
『どこ行ったの!? ねえちょっと――っ!』
映像はそこで途切れ、もとのスタジオに戻る。顔を上げたアナウンサーは、平静を装った声と顔で報道内容の読み上げを続けた。
「日本時間八時五十分。この時間、『人が消えた』という通報が世界中で相次いでおります。ただいま各国が連携して、行方不明となった方々の正確な情報を集めております。身近な方と連絡がつかない、同じように目の前で消えた人を見た、など、どんな些細な情報でも結構です。こちらまでご連絡を――」
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