第3話

 加瀬梨伊那の出ていった扉を見つめる。

 彼女の旦那、加瀬悠真は確かに生きている。が、個人的にあれが加瀬悠真かと問われれば否定する。あれは加瀬梨伊那のの加瀬悠真だ。もう本来の本人ではない。

 そして彼女も正確には本人ではない。この世界のルールも忘れてしまっている。

 二人は世界に都合のいい仲の良い夫婦になったのだ。


 2日前、正確には3日前日付の変わる頃。彼らは救急搬送されてきた。



 ******


「悠真!! 悠真ぁ!!! いやぁぁぁぁあ!」

「りーちゃん! 大丈夫だから悠から離れて!」


 狂ったように喚く梨伊那は付き添いの男に後ろから引き剥がされていた。その隙に悠真を手術室へ運んだ。

 梨伊那には鎮静薬を打ち込み、スタッフに彼女を何処か空いているところに入らせるよう頼んだ。

 自分も手術室へ向かおうとした時。


「悠を担当する先生、ですか」


 付き添いの男だった。青いとうより真っ白い顔でよほど噛み締めたのか唇に血が滲んでいた。


「そうですけど、君は?」

「悠、悠真の友達、です。頼まれていて、何かあったらって、これを」


 視点は定まらず、差し出した手は震えていた。

 カード。表には加瀬悠真と書かれたそれを受け取る。


「本当は、俺は、渡し、たくはないけど、悠が、悠がそうしたい、から、って。俺に、頼むから」

「そうか」

「どれが、正しいか、分からない」

「そうだな。難しい問題だ。私にも、分からない」


 受け取ったカードを見ながら、自分は無力だなと思う。


「引き留めてしまって、すみません。悠真をよろしくお願いします」


 顔を伏せたまま彼は待合室の方へ歩いていった。




 手術室へ運び入れた、その時点で悠真は血みどろの生ぬるい死体だった。


 合流した私は、大方の血液が綺麗にされた動きのない悠真の体を見て心の中で手を合わせた。そしてゆっくりと丁寧に出血箇所を探った。準備を整えていたスタッフに縫合の指示を出す。


 出生率の下がった今死んでしまった人間を死なせないのはよく取られている手法だ。

 非人道的だとか言われた時代もあったらしいがもうそんなことを言っている場合ではなくなっている。人が生まれにくく、育ちにくい。何か大きな力に阻まれていると騒ぐものもいる。もう人間は存在をしてはいけないと否定されている。あるがままを受け入れるべきだと。

 反して、そんなはずはない、原因は必ずあると言う者達もいるが、彼らの研究の成果は未だない。

 もうかなりの数の人間がを受けている。

 使えるから、使ってしまっている禁忌。死体に無理矢理何かーー血液と説明されるーーを通わせ甦らせる、とされているが詳細不明。


「縫合完了しました。欠落部なし。いけます」

「そうか、用意しろ」

「はい」


 付き添いの男が持ってきた意思表示カード。昔は臓器提供意思などが書かれていたそれは今や死にたいか、生き続けたいかを示すカードとなっていた。

 そして生き続ける場合、そのままの自分として生きたいか、周りとの融和を図り少しも示すことが出来る。


 後半部分何も記述のない場合大概後者が選択される。

 その方が社会的にいいからだ。都合のいい、人間。何に対して都合がいいのか、平和が一番の理由だろうか。何も起こさない、隣人トラブルも戦争も嫉妬も何もかも。


 生き返った人が違う人の様になっていた。というのは良く噂になっているが事実だ。悠真の友人がカードを渡したくなかった理由はこれだろう。

 次に会うとき自分の知っている彼ではないかもしれない。そのままの彼でいてほしい。

 カードには融和が選択されていた。

 渡したくない、でも死んでほしいわけでもない。書き換えてしまいたいが本人の意思を踏みにじりたくもない。そんなところだろうか。


 確かに記憶、性格、常識など全てを変えることが出来る。どう変わるかは選択できないのだが。

 選べるのは2つだけ。変わるか、否か。それだけだ。


「“エリクサー”用意できました」

「こちらも器具の装着完了しています」


 何回しても気が滅入る。絶対に自分はされたくない行為だ。私は死ぬときはしっかり死にたい。

 “エリクサー”は通称で何で出来ているのか解明されることはない、単体では水と変わらない液体だ。専用器具と組み合わせてはじめて効果が現れる。


「確認した。実行」

「はい」


 綺麗になった悠真の体を囲うように金属のフレームが覆っている。

 “エリクサー”を一口含ませる。器具の10ヶ所の窪みにも同じだけ入れていく。

 最後に残りを全て飲ませる。

 1分もすると頭に近い窪みに5センチ程の白い柱が生成される。そっとそれを抜き取る。ぐっと力を入れると綺麗に縦に割れる。片方を窪みに戻し、片方は金属のケースに入れる。戻した白い柱が淡く光っていることを確認する。今回も問題なく機能しているようだった。失敗例はほとんど聞かないが。


「あとは任せた。私は次に行く」

「はい」


 金属ケースを持って梨伊那のいる部屋へ向かう。



 そこには数人のスタッフがいて、梨伊那に悠真が着けていたのと似たフレームを着けていた。彼のものと窪みのある位置と数が違う。あちらは10あったがこっちは1だ。


「良く眠っています。大分安定したのでそろそろ良いかと思われます」


 顔を見れば比較的悪くない色をしている。まぶたの下は動いてはいない。


「では、始める」


 とはいっても先程の片割れを喉の下辺りの窪みに落とすだけだ。

 カン、と小さな軽い音がする。柱は同じように淡く光り出した。

 投げ出された右手のひらを握る。1、2、3……握り返した。


「成功だ。後は彼女が起きるまで待つだけだな」

「そうですね」


 ゆっくりと握られた手は解けていく。暫くしたら夢を見るだろう。現実を歪める夢を。戻ってきた時にその歪みに気付くことはないだろうけれど。


 ******



 さて、死体を甦らせた体には弱くはあるが、何故か生殖機能が生きている。


 今回のケース、加瀬夫婦は子供に恵まれなかった。珍しくない、むしろ普通だ。しかし梨伊那は自分でタイムリミットを決めてしまっていたようで段々とそのストレスでおかしくなっていき、しまいには悠真に当たるようになっていったらしい。


 悠真は自分の何かが悪いのだと思い色々としてみたらしいのだが改善はなかったのだそうだ。むしろ、悪化していったということだ。


 噛み合わない会話が続いたのだそうだ。

 目を合わせない日が続いたのだそうだ。

 理由もなく暴力が、続いたのだそうだ。


 自らの力不足を感じたらしい。梨伊那の思うような自分になりたかったらしい。ついに自分に自分で殺してしまった。


 本来それは、手を取り少しずつ擦り合わせていくものではなかろうか。

 いや、もう何も通じなかったのかもしれないが。自分の体を殺して、自分の心を殺して、そこまでする価値が、彼女にあるのだろうか。いや、悠真本人にはあったのだろう。確かに、間違いなくその価値が。


 誰にも分からないが。




 しかしこれで彼の望みは叶うのだ。




 本来の自分を変えてまで助けたい、寄り添いたい人がいるということが、幸せかどうかは私には分からない。




 この技術を使っているのは、そうしないと人間が近い未来に一人もいなくなってしまうのが分かっているからだ。

 若い死体はそのまま動かして生かす。

 老いた死体は、他の傷付き再起不能と判断された体からパーツを交換して生かす。

 そんなことが当たり前になってしまった。


 医者、と言われている人たちの中にもう医者はいない。ずっと前に起こった戦争の時にいなくなってしまった、と聞いている。

 今使っているこれらはそんな時にふっと出てきたものらしい。

 誰も分からない技術、誰も分からない原理。

 しかし死んでいく人間の山に頼れるものはそれしかなく使うしかなかったようだ。

 それは今も変わらない。


 何ひとつ分からないそれを使って生きている死んだ人たち。彼らは人間として生きている。記憶が繋がっている人も新しい記憶を持った人も人間として生きている。

 低確率ではあるが子供が生まれる。


 果たして、死体から生まれたは生き物だろうか?


 そして、もう“エリクサー”の入っていない人間はいないのではないだろうか。

 自分では生き返ったのか、ただ生きているのか判断が付かない。持っている記憶も変えられた記憶か生まれてからずっと持っている記憶か判断が付かない。


 この技術を広めた者は、一体何がしたかったのか。純粋な種族としての人間がいなくなる未来だろうか? いや、考えても分かるはずもないことなのだが。


 今日も、人々は流されるまま過ごしていくのだ。

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疲れた私と奇妙な休暇 鶫夜湖 @tugmiyako

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