第2話

 白い天井が見える。あの場所の寝室ではない。帰って、来たのだろう。


「おや、おはようございます。ここでは2日ぶりですね。お加減いかがですか?顔色はここに来たときよりはずっと良くなりましたね」


 にっこりと笑って、私の寝ているベッドの足元に立っていたのは白衣を着たあの時のタクシーの運転手だった。

 目覚める時が分かったのだろうか?ずっと居たわけではあるまい。


「先生、だったのですね」

「えぇ案内役はそうなんですよ」


 あの世界への案内役。パニックを起こしてしまった精神を落ち着かせ癒し立ち直る為の世界。そうして受け入れがたいものに対して対抗できるようになるといわれている。


 覚悟をして目覚めたのに、聞くのが怖い。お別れをしたのだ、もうあの人とは。


「さ、私の目を見て」

「はい」


 震える声で答える。


「名前は?」

「加瀬、梨伊那です」

「最後に覚えている日付は?」

「XX34年2月、えっと5日」

「結婚は?」

「しています。XX32年6月6日です。忘れたら嫌だから、とあの人が年数をかけたんですよ」


 つい聞かれていないことまで答えてしまった。目線が下に下がってしまう。泣いてしまいそうだった。


「そうですか。さて、貴女の旦那さんですがね」


 ごくり、唾を飲む。分かっている、大丈夫分かっているのだから。


「そんなに思い詰めないで下さい。大丈夫ですよ。死んではいませんから」

「うそ……」


 先生が優しく笑っていた。


「暫く目は覚まさないと思いますけど安定してきましたよ。良かったですね」


 生きている。あの人は生きているのだ。目頭がじんわりと熱を帯びる。

 先生は立ったまま手に持っていたカルテに何か書き込んでいる。

 私は早くあの人の所に行きたかった。


「一通り貴女の精密検査をしてからですよ?」

「はい……!ありがとうございます!」


 入ってきた看護師さんに促されて立ち上がる。今すぐに駆け出したい気持ちを抑えて先生にお辞儀をした。あの人を助けてくれたのが誰だかは分からないけれどこの病院に勤めている全ての人にお礼が言いたかった。

 顔を上げれば少し疲れた表情の先生と目があった。


「良かったですね。加瀬さん。旦那さんが目を覚ましたらまた仲良く暮らして下さいね」

「もちろんです。まだ子供もいませんしね」


 先生と笑い合ってから病室を出た。

 歩きながら看護師さんがこれから受ける検査の説明をしてくれる。


「終わって少し休憩したらご案内しますからね」


 優しく微笑まれて嬉しくなってくる。

 もうあの人に会えないと思わなくていい。生きているのだから。まだ共に歩めるのだから。いっぱい話をしよう。そしてもっと強くなろう。心も体も今よりずっと強くなろう。目を覚ましたあの人に心配なんてさせたくないもの。がんばらなくてはいけない。


 私は私にそう誓いを立てた。




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