第4話 逃げ道の扉
桜井は裏口のドアを少し開き、周りの様子を伺っていた。いいよ、と小声で言う桜井の後を追う。裏口は勿論だが路地裏に繋がっていた。下水と生物の腐った匂いが混ざった独特の匂いに眉を顰めた。
「ここも危ないな。大通りにはまだあの野生動物がいるみたいだし、車で移動しちゃおっかあ」
そんな簡単に、と突っ込む余裕もない。桜井は周りを警戒しながらもいつものおちゃらけた顔して言った。
「車、あるんですか」
「んー? さっき路肩に止まっていた車が使えそうだったからさ」
「え、それってあなたのじゃないですよね」
「えー? だってあんなところに止めて寝ている人が悪くない?」
やっぱりクズだ、と思った。雑貨屋にいた時は少し頼りがいにしていた所もあったし、事実警戒していた時の桜井は良い人とも思っていた。
だけど、もうそれが台無し。野生動物の雄叫びに警戒しながらも大通りに進む桜井はつらつらと言い訳を言っていた。
「あのさあ、その怪我で満足に歩けるわけ?」
「歩けます」
「もし襲われたらどうするの? 今度は殺されちゃうかもよ?」
「だからと言って他人の物を勝手に拝借するのはどうかと思います」
そう、今度は殺される。こんな状態で襲われたら、為す術もなく野生動物の餌食となり得る。だけど、それを逃れる手段として他人の物を使うのは気が引ける。
「俺はさあ、生き延びたいよ? 君にも生き延びて欲しいし」
さっきから同じ会話の繰り返しだ。生きるために悪になるのか、私が踏ん切りがつかないのかもしれない。だけど先程の使えそうだからさ、と言う桜井の言葉が引っかかる。
グォオオオオオオオオオオ!
野生動物の雄叫びが腹の底に響くほどの大音量で聞こえ、私と桜井は同時にピタリと足を止めた。雑貨屋の周りをうろついていた野生動物とは逆方向から聞こえて、お互いに背中を預けるように互いの方角を睨む。
野生動物に捕まっていた時のことを思い出し、傷が痛み出す。鋭い痛みに顔をしかめながらも、周りを見渡す。神経を研ぎ澄まし、どんな物音でも聞き逃さないように。
最初に聞こえた雄叫びに応えるように、今度は雑貨屋の方角から、そしてまたそれに応えるように逆方向から。会話するように鳴く野生動物の声がこだましていた。
「これは……どうするべきか」
「隠れましょう」
「でも隠れても諦めてくれないかもしれないしぃ……」
「何もしないよりはマシです! このまま襲われたくないです!」
渋る桜井に、強く言ってしまった。桜井に対して感情をぶつけるのは嫌だったが、自分の中の焦りが口に出てしまった。
「もう私は隠れます!」
桜井の答えも待たずに、近くの建物に入ろうとした。が、案の定鍵が閉まっていた。焦る気持ちも抑えずに隣の扉、また隣の扉に手を伸ばす。痛みすら忘れて、目の前の死から抗うように逃げ道となる扉を探していた。
「えーちょっとお、さっきの雑貨屋に戻ろうよお」
「そんな悠長な事言ってられない!」
さっきまでいた雑貨屋まで行くにも、時間が惜しかった。それほど、野生動物の雄叫びが近くから聞こえてきからだ。そうこうしているうちにも、野生動物の雄叫びが近づいてくる。
ガチャガチャと扉を開こうとする音が路地裏に響く。音が響くたび、そして野生動物の雄叫びが聞こえるたびに、息が早くなっていく。
早く、早く逃げなきゃ!
ーー ガチャ
焦りから扉を壊してしまったのかと思った。熱いものを触った時のように、パッとドアノブから手を離してしまった。
開いた。がむしゃらに開けようとはしていたが、いざ開いてるとなると少し驚いてしまった。
そっと開くと古い木造の建物特有の匂いが鼻をかすめる。どうやら、ここはお店とかではなく誰かが住む家のようだ。
「ごめんなさい」
お邪魔します、の意味も含めて言う。桜井も待たずに奥へと進んだ。
「待ってよお」
少し進んで、桜井が間抜けな声を聞きパッと思い出したように桜井の方に振り向いた。
「鍵! しめて!」
あまりの剣幕に桜井は文句も垂れず、すぐに反応して鍵を閉めた。閉める間も足は止まらない。背後で鍵が閉まる音がして思わず安堵のため息を漏らしてしまった。だけど、まだ安心できない。とりあえず気配の消せる奥へと薄暗い建物の中を進んでいく。
人が住んでそうだが、誰かがいる気配はない。所々にダンボールや、調理器具などの生活用品が転がっているだけだ。
入ったのは勝手口で、進むとすぐに古びたキッチンが見えた。ギシギシと鳴る床を注意深く踏んでいく。
野生動物の雄叫びが聞こえ、足を止めた。雄叫びは遠くから聞こえたが室内だからそう聞こえたのかもしれない。傷が連動するように痛んできた。優しく傷口をさすると、少しだけ指に血がついてしまった。
「ねーえ、誰もいないみたいだよお?」
家の中央部に位置するリビングにたどり着くと、桜井はようやく口を開いた。桜井の言う通り、人がいる気配もない。耳を澄ましても、たまに野生動物の雄叫びが遠くに聞こえるだけで人の寝息も、息遣いも聞こえない。
人の家を勝手に探索するのは気が引けたが、もうそんな事も言ってられなかった。命の危機がすぐそこに迫っているというのに、抗わない人などいるのだろうか。
そう思うと、さっきの桜井の言葉を認めてしまうことになる。
生きるために逃げるが、手段を選んでいると命を落としてしまう。やきもきとした感情が浮かんで吐き気がした。
逃げるために他人の車を奪うのはいけない事だと分かってる。母にも、学校の先生にも何度も言われた。他人のものを奪ってはいけません、と。
だけど自分自身に命の危機が迫っていたとしたら? 答えは違ってくるだろう。
母ならなんて言うんだろう? きっと仕方ない、後で謝るんだよと言う。
先生ならなんて言うんだろう? きっと命を守る最善の行動をしろと言う。
他人の言葉を借りて自分の行動を正当化するのはまた気が引けてしまう。けれど、私にそれは必要だ。自分の正しさに、抗いたいと思ったのは初めてだから。
家の中を探索し、武器になるものを探す。これは桜井の提案だった。庶民が拳銃を持つのは十年前の国境襲撃事件がきっかけで禁止された。が、未だに罰則が厳しくなっていないために隠し持っている人がいると言っていた。
「あ、やっぱりあったよお」
半信半疑で探していたが、隣の部屋から桜井の声が聞こえそちらへと向かった。タンスの中から楽器ケースのような大きなカバンを取り出していた。
「拳銃、だけど……」
「ん、弾がないね」
さも予想していたように言う。拳銃があっても、弾がなければそれはただのいびつな形をした棒のようだ。桜井が取り出した拳銃は屋台の射的にあるようなものだった。これは確かライフルと言っていたっけ? ……拳銃は全然詳しくないから正式名称が思い出せない。
「どうするんですか? これは」
「んー、脅しに使えるかな。まっ、野生動物にはそんなの効かないと思うけど殴れば痛いし武器にはなるんじゃない?」
桜井はその拳銃でドスドス、と自分の腕を叩く。それに合わせるように二の腕がプルプルと揺れた。
笑ってはいけない状況なのに、プルプルと揺れる二の腕を見ると笑ってしまう。かつて桜井が何かの番組で走ってる時に二の腕が揺れていたのを見て、母が羽みたいだ、と言ったのを思い出した。……確かに、羽のように見える。
笑いを堪えていたのに気づいたのか、桜井は不機嫌そうに何だよ、と不貞腐れていた。
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