第2話 生の聖女と死の悪魔


 この町も静か。何の音もしない訳ではなく、遠くに鳥の声、そして小さく空調機の動く音がするだけ。

 いつもなら活気あるBGMが流れる商店街も、シャッターばかり降ろされている。商店街を抜けると国境の町はもう目前に見える。


 アーケードの商店街を抜けると太陽が差し込み、目を細めた。

 東国の境界に接する町、桜町。その町は昔から国内外を問わず様々な人が住み、貿易の町とまで呼ばれていた。

 自分の住んでいる町とは違う雰囲気に、いつもなら胸が踊るはずが今日は全く胸が踊るような雰囲気ではなかった。

 想像していた通りこの町も、静まり返っていた。

 人は歩いておらず、道端に寝っ転がる人はいれど動き回るような人はいない。


 遠くを見ると1000mをも超える山々が連なる山岳地帯があり、それがまるで壁のように聳え立っているところから、その山岳地帯は国境の壁と呼ばれている。あの山々を超えればお隣の国、東国。同じ服装をし、同じ言語を喋るのに別の国。昔、私の祖母が子供だった頃はまだ東国も西国もなく、一つの国だったと言う。世界大戦後のとある内戦のせいで二つに別れてしまったらしい。


「あー、東国遠いよお」


 少し歩いただけなのにもう息切れしている。テレビに出るような芸能人は動き回っているイメージがあり、そこまで運動不足だとは思わなかった。

 ちょっと待って、と言う桜井を横目に壁を目指して歩き続ける。壁と呼ばれる山岳地帯の麓には軍事基地があったはず。軍事基地、と言う言葉だけでふと思い出してしまうあの記憶を、無理矢理頭の隅に押し込む。

 街中を歩いているとガサ、と言う音に足を止めた。何かがゴミを漁るような音だろうか。音がした細い路地裏へと続く道を見る。太陽の光が差し込まないほどの距離まで目を配らせた。

 ガサガサ、と音が大きくなる。人が起きているかもしれない、と期待に胸が膨らんでいく。息切れしながら近づいてくる桜井を待ってから、路地裏に入っていこうとその場で音を背にして桜井を見ていた。

 桜井に気を取られてその音が近づいているのに、気づけなかった。


「っ! 後ろっ!」


 私の後ろを見て目を見開いた桜井の声に振り向いた、その瞬間。牙が視界に入り、一瞬にして視界が闇に包まれてしまった。

 生暖かい何かが顔全面にかかり、振り払おうと頭を降る。とても気持ち悪く、吐き気までしてくる。突如として景色が変わったことに、頭の中では何がおこったのか分からなかった。


「何か、その! えーと、……刃物! そう、刃物取り出して!」


 慌てふためく桜井の言葉でさえ聞こえないほど、パニック状態だ。ねっとりとした感触の何かが上半身全てを包み込むようで、鳥肌が立つ。視界は赤黒く、耳が何かで塞がれているように物音や桜井の声もこもって聞こえていた。まるで生暖かいモノが入っているよう。

 気持ち悪い……!

 体の奥に響くような轟音が聞こえた。動物の雄叫びのような音で、その音の出所も分からない。

 本当に何が起きているの……!

 身動きができない中、ポケットに忍ばせておいたフルーツナイフを取り出そうとしていた。が、突如として私の体を覆う生暖かく心地が悪い何かは鋭く私の体を貫こうとしているようだ。自分の体がちぎられそうな激痛が襲いかかる。

 痛みと、生暖かい何かが体を覆い尽くす。

 だ、め、痛みで、意識が飛んでしまう……!

 ギチギチ、と自分の体を締め付ける音がする。今まで味わったことのない痛みで、視界が白くなっていくのを感じる。


「……!」


 遠くで何かが叫んでいるように聞こえた。桜井だろうか。イントネーションでさっきの轟音とは違うものだと分かった。

 桜井が呼んでいる、そう思った。闇に消えていきそうな意識を繋いでくれる人がいる。

 私は襲いかかる何かと抵抗しながら、僅かに動く右腕を動かす。動かす度に鋭利な何かで腕を引き裂かれているような痛みが走る。お尻のポケットに忍ばせてあるお守り代わりのフルーツナイフに手を伸ばした。

 あまりの激痛に、声も出なかった。だけど私は最後の望みをかけて、フルーツナイフのカバーを片手で外す。

 このまま意識が飛んでたまるか、と無い力を振り絞りナイフを持った右手を思い切り天へと突き上げた。


グォオオオオオオオオオ……!


 間近で獣の雄叫びのようなものが聞こえたが、反応できずに意識は飛んでしまっていた。





 驚いた。小娘に、こんな力があったなどと。

 誰かが差し向けた刺客に、あっという間に奪われる命だというのに。

 人は何故戦うのか、人は何故人の命を救おうとするのか。

 命など飴細工のよう。美しく、脆い。


 私は彼女の元で跪く。彼女はいつだって前を向いて生きていた。絶望に顔を歪ませようとも、彼女は未来を見つめる。それが泥水のような日々を送っていた私にとっては、苦痛でしかない。透き通るような肌を見て、反吐さえ出る。


 物心ついた時には両親と呼べる者はいなかった。東と西の国境もあやふやなあの施設で、同じ境遇の者たちと暮らしていた。親を亡くした者たちは善き人もいれば正義感が強すぎる者もいた。その施設を支配していたのは後者で、正義という鎖で私たちを縛っていた。

 それで良いとその頃は思っていたが、ある日私のルームメイトがその支配者たちに歯向い、消されていた。それを境に、善き人でさえ正義を振りかざしていた支配者が悪者だと決めつけ歯向い消えていく。

 幾多のルームメイトが流す血溜まりを見て、ああ、これが正義の行く着く果てか、と思っていた。


 まだ寒さも残るある日、西の国が東の国に宣戦布告した。

 お互いに掲げる理念はお互いの正義。正義が人を殺す。その瞬間を目の当たりにしても尚、私の心は揺れ動かなかった。

 いずれ失う人の命。なら私は何故生きているのだろう?


 答えも出ないまま、私は生きていくためだけに道化師になり、笑われる立場になっていた。それでも尚、生きている意味を見出せないまま。

 流す血は何だ、見る景色は何だ、感じる感情が乏しいのは何故だ。

 

 生きる意味も分からぬまま生きるためだけに、人の命を奪ったこともあった。

 死にたい、と言っていた人も最期は生きたい、と言っていた。

 そうか、死か。

 死ぬことが生きる意味ならば、私は……。


 少女の瞼が微かに動く。顔を覗いてみると、眉間にしわを寄せ痛みに耐えているよう。致命傷に見える傷から止め処なく流れる血を拭う。

 止血にと勝手に拝借した少女が持っていたハンカチも、血を吸って赤黒く染まっていく。……私はあの時の少女みたいに、必死になって生を繋ぎ止めることもしない。

 しかし少女は混沌としたこの世界で、必死に『生きている』。

 血を流しても、痛みに悶えても。その生を人に与え、救う。まるで歴史に残る聖女のよう。



 −− ならば、私はそれに抗う悪魔となろう。

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