第2話 小さな声


 家に戻っても両親は起きていない。寝返りを打って、少しキツそうな体勢になっていただけだった。何か悪夢でも見ているのだろうか、体勢のせいなのか、母の眉間にはシワが寄っていた。

 首元にある手を動かし少しだけ楽になったのか、眉間のシワがなくなっていった。

 苦しくても起きないなんて……。

 体を軽くポン、と叩きリビングへと向かった。

 簡単に食事を済ませ、またスマホを見始めた。いくらリロードしても更新されないタイムラインはもう飽きてきたほど。西国の友達はダメ、じゃあ東国は?

 いや、東の友達とは連絡が取れないんだっけ。

 スマホをゴトン、と机に置き背伸びをした。いくら考えても答えは堂々巡りだ。

 壁にかかった時計を横目で見る。夜中の十一時、もうかれこれ十二時間以上も両親は……いや、町中は眠ってしまっている。焦りと恐怖がまた滲み始めてきた。それを拭おうと肩を回した。

 明日は国境の町へと向かおう。そこに行けば人はいるはず。……寝ていなければの話だが。


 その日の夜はなかなか寝付けなかった。暗闇が怖いのか、またあの恐ろしい戦争が始まってしまうことが怖いのか分からない。ただ、言葉にできない感情が渦巻いて眠れなかった。

 浅い眠りについた時、恐ろしい夢を見た。

 何もかも真っ白な中で私だけがいる夢。

 現実でもまさにその状態に似ているけれど、それ以上に真っさらな何もない空間にただ私だけがいた。

 怖い、怖い、怖い!

 息切れをしながら飛び起きてしまった。時計は朝の六時を指していた。

 まだ早いがもう動いてしまおうと、息を整えながら汗まみれのシャツを脱ぎ捨てシャワーブースへと入った。


 東の空には朝日が昇り、ひんやりとした空気が額をかすめた。寒さは忍び足でやってくる、とはよく言ったものだ。日に日に寒さが増していく。

 上着のポケットに手を突っ込み、周辺を見ながら鳥の音しか聞こえない街中を歩いていく。もう車の音がしないのも、慣れてしまった自分がいる。

 遠くに空調機の音がして路地裏を進んでいく。この先は確か公園があるはずだが、勿論誰もいなかった。

 子供の声が響かない公園はどこどなく寂しい。風で揺らぐブランコの音が静寂を消していった。

 あの空調機の音は公園横のビルから聞こえるようだ。ビルを仰ぎ見ると三階あたりに電気がついているのに気づいた。

 ビルへと近づくと、あの独特の匂いが鼻をかすめた。戦争のせいで路上生活を余儀なくされた人たちのあの匂い。焦げ臭いような、生ゴミのような匂いに思わず鼻をつぐんだ。

 もしかしたらと、ブルーシートで簡易的に作られたテントらしきものを覗く。強くなる匂いに眉をしかめながらも薄暗い室内を見渡す。奥に人らしきものが見えたが、あまりの匂いに足早にビルへと向かった。

 あの匂いは昔から嗅いでるけれど全然慣れない。周りの人も口々に文句を言っていた。けれど国は何の対処もしていない。国内のことなど、もう気にしている必要がないようにも思えた。

 国は戦争を終えてからの経済成長の裏に再び東と戦争をするために軍事力を強めているとの噂だ。バイト先のおばちゃんなんかその事ばかり話していてうんざりしていた。税金が軍事力のために使われていると言ったのには賛同していたが。

 もう戦争なんて嫌、その思いだけが私の歩みを早くしていた。


 ビルの三階は何かの会社の事務所みたいだ。中に人はいるが、寝ている。何故ならドア越しに大きないびきが聞こえてきたから。

 念の為事務所内に起きている人が探したが、もちろん全員眠っていた。

 もう他の人の家などに無断で入ることに抵抗はなくなっていた。もう二日目だ。これだけ探しても起きている人などいない。

 涙が出そうになるのを堪え、事務所を後にした。


 ビルから出ると太陽は真上あたりに来ていた。そんなに時間がかかったのか、スマホで時間を見ると昼の十二時近くを表示していた。

 小さくため息をつく。まだ昼間だというのに疲労が体を襲っている。

 ガードレールに腰掛けると、目を休ませようと目を閉じる。

 国境の町は隣町だとはいえ、電車で二駅分。歩くとなると今の体力では持たなそうだ。

 家に帰って休むか、それとも……。

 などと考えているうちに、耳に小さな話し声が聞こえた。


 人だ! 誰か起きている!


 ガバッと体を起こすと、疲れなんて吹き飛んだかのように走り出した。

 段々と大きくなる話し声、男の人の声だ。万が一の事を考え、ズボンのポケットにしまいこんでいたフルーツナイフを取り出す。

 路地裏に男の人がいる。一人で何か喋っているようだ。

 角から覗くように路地裏の様子を見る。少し小太りの男性が周りを見渡しながら少し苛立った様子で歩いていた。


「んもぉー、何で誰も起きていないのぉ? ドッキリでしょ! ねえ、ドッキリならもう分かってるから!」


 この声、何処かで聞いた事ある。テレビで良く見るタレントの誰か……。


「桜井、さん?」

「えっ、人? 嘘でしょ! 本当に起きてるの?」

「えっと、どうしてここに?」

「俺もわかんない! ドッキリか何かだと思う」


 小太りの男性、桜井ヒロトという人は私もテレビで何度も見た事がある。

 バラエティ番組でおかしな発言をして周りを笑わせたり、独特な反応が面白いのか良く番組でドッキリを仕掛けられている。

 ここまで聞くと少しお茶目なタレントだと思うが、この男は


「ドッキリならもっと可愛い女の子に話しかけてもらいたかったなあ」


 根っからのクズなのである。

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