第20話 忍びの里の大バトル開幕!

 葬儀は恙なく終了し、早乙女家にもようやく静けさが戻っていた。とはいえ、村人たちはまた何かあるかもしれないと不安だし、早乙女家の中も異様な緊張感があった。

「待つというのも大変だよな」

 夜中、布団の中で焔が現れるのを待ちつつ、文人は緊張がどれだけ続くのが解らないからと困っていた。

「犯人が今までの事件の流れで起ったものとしたいのならば、今日がベストですよ」

 そう答えるのは日向だ。その日向は、毬の制服を着、毬と同じくらいの長さのウイッグを被って文人と添い寝している。

「まあ、そうだけどな」

 答えつつ、大丈夫だと思った昨日の俺を殴りたいと文人はこちらにも自制心が必要で困っていた。なんと、女装した日向は思ってた以上に女の子だった。おかげで、同じ布団の中に入っているというシチュエーションに、文人の男の部分が刺激されてならない。

 相手は男。そう思っていても、日向の身体がどちらでもあることを知っているので落ち着かない。邪な感情なんて起らないと思っていたはずなのに、いざこうしてみると起る自分の気持ちに驚いてしまう。

 しかし、焔を欺さなければならない状況なので、背を向けるわけにもいかず、しかもある程度はくっついた状態で待たなければならないので、もはや苦行だった。

「文人さんって、面白いですね」

 そんな文人の状態に気づいているのだろう。日向がくすくすと笑う。

「うるせえよ。お前は二度と女装はするな」

「ふふっ、そうですね」

 危険が増すみたいですからと、日向は完全に楽しんでいる。が、この野郎と思ったおかげで、文人の中にあった色んな感情も吹っ飛んでしまった。

「いちゃついてるんじゃねえ」

 しかも、どっかに隠れている多聞から、そんな文句が飛んできてくすっと笑ってしまう。多聞もまた、日向の女装にやられた一人のようだ。しかたない。普段は男子として認識できる格好をしているから気づかなかったが、日向は女子としてもレベルが高いのだ。さすが、どちらも持つ人間。

「中性的な人ほど顔は綺麗っていうしなあ」

 思わずぼやくように言うと、ごんっと壁を叩くような音がする。多聞だ。馬鹿なことを言うんじゃねえとばかりのその音は、自らの動揺を隠すためだろう。これは、夏休みが明けてからの高校が大変そうだ。

「文人さんは東京の大学でしたっけ」

「あ、ああ」

 話題を逸らしたくなったのか、日向がそんなことを訊く。それは文人としてもありがたい。

「日向は、大学に行くのか?」

「どうでしょう。今までだったら、行けなかったでしょうね」

「ああ」

 日向は早乙女家に養われている状態だ。そして鬼としての役割を背負わされている。こんな事件がなければ、村で飼い殺しになっているはずだった。しかし今、早乙女家を揺るがす問題が発生し、このままはあり得なくなった。それで、迷っているのだろう。

「奨学金で行けるだろ?日向は頭が良さそうだし」

「ふふっ。まあ、成績は悪くないですね」

「それに、行ってる学校って進学校じゃなかったっけ?本当はずっと受験するつもりだったんだろ?」

 そう訊くと、日向が目を丸くするのが解った。

「その学校を選んだのは、公立だし多聞たちも行ってるからで」

「ああ。そうだよなあ。毬を見て咄嗟に受験生だと思ったのも制服のせいだし」

 自転車で滋賀県を駆け抜けたおかげか、そういう小さな情報も知る機会があったのだ。たまたま寄った食堂なんかで、おっちゃんたちが喋ってくれたのだ。その中に、滋賀県の高校事情というのもあった。だから、毬や日向の制服を見て、瞬時に進学校と解ったというわけだ。

「まあ、受験組に切り替えても、問題はないんです。でも、何を勉強しようか。ちょっと悩んじゃいますね」

 今までは可能性すら考えられなかった。この村で人生が終わるのだと思っていた。それが、皮肉なことに事件のおかげで他の可能性が見えてしまった。それで日向は戸惑っているのだ。急速に日向に変化が出ているのも、もうこの村に縛られなくていいかもしれない。それが解ったせいだ。

「ああ、そうか。将来はどうするか、今から考えないとだもんな。しかも二年で時間がないし。まあ、この際だから歴史とか民俗学から離れたことをやったらいいんじゃないか。法学とか経済とか、理系だったらそれこそ色々別のことが出来そうだし。俺の知り合いにも、何を思ったか三年で理転した奴がいたさ。俺はこれから世界を変える技術を身につけるとか言い出して」

「へえ。その方は」

「大阪の大学の工学部に見事一発合格だよ。まあ、頭のいい奴だったしね。数学とかもともと得意だったし。人工知能を研究するんだってさ」

「凄いですね」

 文人の話に目を輝かせる日向は、今までで一番高校生らしかった。文人はこの危機を乗り切って、もっと大きな未来を見てほしい。もっと色んな事を知って色んな事にチャレンジしてほしいと心から思う。そして、毬や多聞だったら、それをサポートしてくれるだろうと信頼も出来ている。

「っつ」

 しかし、和やかな空気はそこまでだった。素人の文人にだって解る。場の空気が急に緊張した。

「来ます」

 横にいた日向がそう囁き、文人をぎゅっと抱き締める。あれ、これってさっきと思っていたことと逆じゃないかと思ったが、今はそれどころではない。

「――」

 怖かった。これが純粋な殺意というやつなのかと、驚くほどに空気が冷える。身体が、危機的状況を前に寒さを訴えてくる。

「大丈夫」

 震える文人を、日向はぎゅっと抱き締める。が、右手はスカートの中、そこに隠している武器に手を掛けていた。

「――」

 その瞬間は唐突に訪れた。日向が布団を蹴って攻撃するのと、文人の枕元に短刀が突き刺さるのは同時だった。

「ひっ」

 本物の脇差しだと見て取り、文人は短く悲鳴を上げる。これはマジで殺すつもりじゃないか。

「文人さん」

「はっ」

 って、ぼんやり脇差しを見ている場合ではなかった。這々の体で布団から抜け出し、縁側へと転がる。

「ああ」

 そして、部屋の中で行われている戦闘に、思わず嘆息が漏れた。毬の服を借りた日向が構えているのはくない、一方、焔が構えているのは鎖で繋がれた分銅付きの刀。

「マジで忍者」

 思わず呟いたら、誰かに頭をはっ叩かれた。誰だと見ると多聞だ。感心している場合かと、目が怖い。

「いや、だってね」

 解ってましたよ、この村が忍者の隠れ里だというのは。しかし、本当にああいう武器を使うんだと、ちょっと感動しただけじゃないか。今まで隠されていた事実がこうしてはっきり目に出来たというのも感動だ。

「毬、どうして」

 しかし、今は本当にそれどころではない。焔の呟きにはっとなる。毬はと見ると、本物はまだ現れていなかった。つまり、目の前の女装している日向を毬だと思い込んでいる。

「これ以上の殺人は犯させません」

 そして日向。まさかの声帯模写が出来るらしく、毬に似た声を出した。いやはや、さすがは忍者の里の鬼。凄いわ。たぶん、他の技術も人一倍習得していることだろう。

「違う。これは必要なことなんだ?」

「女を絶やすことが?」

「違う。絶やしたかったんじゃない。絶やしたかったのは」

 焔と日向の会話は凄い展開になっている。そういえば、犯行動機に関して、文人はまだ理解しきれていなかった。いや、真犯人が望むのは、この家を壊すこと。この村を壊すことに間違いはないんだろうけど。

「父が手出しするのが怖かった?それとも、父に抱かれた女が許せなかった?」

 そう問い掛けたのは、日向ではなく今度こそ本物の毬だった。いつの間にか焔の背後に立つ毬の目は怖い。しかも今は動きやすさ重視のためか、学校のジャージ姿というのが、何ともミスマッチ。

「ま、毬が二人」

「そして、私が他の男に触られるのも、許せなかったのね?」

 毬はにこりともせずにそう断罪する。焔は後ろを振り返ったまま固まった。その隙を、次期忍びの総代が見逃すはずがない。

「がっ」

 一瞬の当て身で大の男を倒してしまう。その早業と華麗な身のこなしに、文人は思わず拍手してしまったほどだ。

「すげえ」

「当たり前だろ。毬はずっと、総ての能力を習得しようと頑張ってるんだから」

 手放しの文人の賛辞に対し、多聞は我がことのように嬉しそうだ。ああ、将来はいいコンビになるんだろうなと、そんな感慨まで生まれてしまった。

「うっ」

 しかし、すぐに焔が起き上がって、和やかな雰囲気は一気に緊張に変わる。日向が素早く動いて取り押さえたが、思い切り焔は暴れた。

「離せ!毬。あいつを殺さなきゃ終わらないんだ!!」

 そう叫ぶ焔は、どう考えても別人だった。あの斜に構えたクールな男とは異なる。

「相当強く暗示に掛かってるみたいだわ。まあ、そうよね。この人って中心がなさそうだもん」

「おい、毬。こんな時に容赦ないことを言ってる場合じゃない」

「お前がその名前を呼ぶな!」

「ぎゃああ」

 毬と会話をしようにも、地響きのような声で怒鳴られ、文人は怖いと飛び上がってしまう。完全な嫉妬だ。

「これじゃあ埒が明かないわ。文人、繭を確保するわよ」

「え、ええ!?」

「多聞、日向。後をお願い」

「ラジャー」

「早めにお願いします」

 二人からの返事を聞くと、毬はどんっと床を蹴り、一足飛びで文人のいる縁側へとやって来た。そして、まだ転がっている文人の襟首を掴んで走り出す。

「ぎゃああ」

「待て!」

 悲鳴を上げる文人を追い掛けようとするので、日向が足払いを掛ける。

「ぐっ」

「お前の相手は俺たちだぜ」

 転がったところを多聞が蹴りを入れ、武器を弾き飛ばして宣言した。

「邪魔するな。まずはお前からだ」

「あれ?敵認定は俺だけ」

「みたいですね」

 多聞に切り替わった殺意に、だって、君は狙われていましたからと、日向の冷静なツッコミが入る。

「うるせえ」

「鬼は常に対象の外なんです。さ、頑張って逃げますよ」

 日向がするんと多聞の前に立ち、両手にくないを構えたのだった。





「どこにいるか解ってるのか?」

 何とか自分で走る体勢に戻してもらってから、文人は毬を追い掛けつつ訊く。

「ええ。大体の見当は付いているわ。ただ、道なき道を走ることになるわよ」

「うげえ」

「大丈夫よ。あの子が家を出たのは十時半くらいだったわ。だから、向こうもまだ着いていない可能性がある」

「そ、そうなのか?」

「おおい。そんなに慌ててどうした?」

 そこに見回り中の鴨田が声を掛けて来た。もの凄い勢いでダッシュする二人に何か事件かと慌てているようだ。

「どうする?」

文人が問うと同時に毬は行動を起こしていた。ふっと何かを鴨田に向けて噴き出す。すると、鴨田はその場にごろんと転がった。

「ええっ!?」

「殺してないわ。半時ほど意識を失うだけ」

「――」

 忍者の本領を発揮すると本当に怖い。文人は鴨田を気の毒に思いつつ、今は高校生忍者たちが心配なので無視して走る。この村で転がっていても追い剥ぎに遭う心配はなし、夏場なので大丈夫だろう。多少、蚊に刺されるくらいだ。

「繭に術の放棄をさせなきゃ、焔兄さんは暴れ続けるわよ」

「そ、そんなにどっぷり」

「ええ。ほぼ引きこもり、他人との接触は嫌い、そして、家族が総てだという人だとすれば、操るのは簡単だもの」

「――何だろう。いい人なのか?」

 焔の場合は普通の引きこもりに該当しないしなと首を傾げる。おおよそ、引きこもりは家族と上手くいっていないし、家族なんて大嫌いというパターンが多い。が、焔は別に本当の意味では引きこもりではないし、ちゃんとネットで稼いでいる。ううむ、難しい。

「基本はいい人というか、根は正直な人だわ。だからこそ、裏稼業に向いていないの。忍者なんて欺してなんぼ。そして、依頼主とは信頼関係を保ちつつも、こちらがどっぷりと信頼は出来ない。そんなの、正直な心の人には無理なのよ」

「でしょうね」

 つまり、焔が斜に構えているのは、自分の心が負けないようにするためか。ということは学生時代は色々と痛い目に遭っているのだろう。女子と付き合いたくないというのも、そういうのが関係しているのか。イケメンも大変だ。

「そんなところに、妹が危機だって嘘を吹き込まれたらどう?しかも繭から、私が大変なのだと訴えられたら?まあ、その辺はどういう術を使ったのか、まだ解らないけど。下衆いやり方だと、身体の関係に持ち込んで暗示を掛けるってのもあるわ。あの子がもし父に復讐したいんだったら、これかしら。兄との関係を結び、さらに兄によってあれこれ破壊する」

「ああ」

何だかもう、総てが複雑で嫌になる。しかもドロドロ。本当に横溝正史の世界だ。もしくは、繭の心情はかつてあった昼ドラか。どちらにしろ、いいものではない。

「繭が何かおかしいと気付いていて放置した私にも落ち度があるわ。だって――私だって手一杯だったし」

 そこで初めて繭が悔しそうに唇を噛んだ。それは精一杯背伸びをして、頑張ってこの村を、早乙女家を守ろうとした少女の顔だ。

「自分の修行があるもんな」

「ええ。それを、役目から逃げた焔兄さんのせいにはしたくなかった。だって、人には向き不向きがあるもの。中学高校と、どんどん変わっていく兄さんを見ていたんだから、余計にね。面倒臭がりにも拍車が掛かっていくし」

「でしょうねえ」

 そこでこじらせて立ち直れないと辛いもんなと、文人だって解る。多感な時期に受けた傷というのは、かなり深く心に残るものだ。特に、あの焔は全部を背負い込みそうな性格をしていそう。

「もともと、人付き合いの得意な人じゃなかったしね。まあ、色々あったんでしょうね」

 同じく中学高校と進んだ毬も、何か思うところがあるのだろう。何にせよ、日本の公立学校で目立つというのは大変なのだ。それを振り切れる奴はいいが、みんながみんな、そうじゃない。

「俺もまあまあ浮いてたしなあ」

 読書好きの男子というだけで、結構浮く。しかも今、若者の読書離れが著しい。スマホで総てという奴が多い中、スマホに割く時間を読書につぎ込む文人というのは、かなりクラスで浮いていた。それでも捻くれなかったのは、たぶん、本に集中していたせいだろう。

「あんた、友達少ないでしょ?」

「少ないね。だからどうしたって思うタイプだから」

「――兄さんにその図太さがあればよかったのよ」

「いや。それはどうだろう。俺と違って、焔さんの場合は周囲が放っておかないでしょ。運動神経もいいわけだし。何やっても目立つからさ。無視されるってのはないでしょ」

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