第21話 早乙女家を取り巻く問題
もし、焔が引っ込み思案ではなく、イケメンの自分に心酔出来るようなタイプだったら大丈夫だっただろう。しかし、現実は違ったわけだ。焔は根暗なのだ。もう、目立つだけで苦痛だっただろう。どちらかといえば根暗な文人は心底同情してしまう。
「文人が根暗?見えないけど」
「それはまあ。バイトで鍛えられたおかげかな」
「へえ」
旅費を稼ぐためという目標の下、頑張っていたら性格も直ったというだけなのだ。実際は本を読んでいたいし、それほどアクティブでもない。でも、将来はフィールドワークをしないとと、自分にむち打って頑張っているのだ。
「何事も目標によるよ。毬が、早乙女家を支えるために修行を頑張れるのと一緒」
「――そうね」
毬はちょっと顔を赤らめて、それから走るのに集中した。そろそろ本格的な山道だ。それも明かりなし。非常に怖い。こんな状況でなければ絶対に踏み入れない斜面。
「ひょっとしてここ」
「そう。あなたが転がり落ちてきたところよ」
「やっぱり」
転がり終えて村までの道のりは覚えているので、何だか既視感があったのだ。ということは、目的の場所は。
「そう。紀貫之の墓よ。紀貫之は――早乙女家の大元に当たるの」
「――ああ。なんか、高田崇史が忍者ではって書いていた気がする」
ひょっとしてずっとその名前が出て来たのは、自分たちに関わるからですか。そんな気分になってくる。いやはや、ここは高田先生を褒めるべきなのか。それとも、そんな情報までチェックしているこの村の人たちを褒めるべきなのか。両方なのか。そんな気分に襲われる。それと同時に、今までは物語だと思っていた世界が本当に存在すると証明されたことにもなるのだ。
「そう。わざわざ土佐に行った彼。しかもその航路を事細かく『土佐日記』に記しているのは、それも女性に仮託して書いているのはなぜか。それなのに、文才も認められている不思議。どうして彼が『古今和歌集』の選者なのか」
「あ、あの、その話は平地に戻ってからでいいですか」
しかし、すでに慣れない山の急斜面にぜえぜえいう文人は、そんな難しい話は無理と首を振る。 感動も疲労には勝てなかった。
「そうね。あなたとは長い付き合いになりそうだもの。いくらでも時間があるわ。それよりも繭が先ね」
毬はそんな文人に呆れることなく、少し口元を緩めていたのだった。
「くそっ。何とか捕まえられないのか?」
「さすがにフルパワーの男を相手だと、二人掛かりでもなかなか」
その頃、多聞と日向は焔相手に苦戦を強いられていた。相手は暗示で何としても敵を殺そうとする。それしか頭にない。おかげで殺さないように捕らえたい二人とは戦い方が格段に自由だ。自然と押されてしまう。
「しかも、どうして他の人は来ないんでしょう。繭さんは外にいるとしても」
「あっ」
そうだ。これだけドタバタと暴れているのに、他の早乙女家の連中はどうしたのか。それに杉岡は。
「眠らされているだけだと、今は信じるしかないですね」
「ああ。でも」
あの親父は死んでると思うなと、多聞は直感的に思う。ここで事件を最後にするというのならば、おそらく殺しているだろう。すでに繭は毬と文人に見抜かれていることに気づいているのだ。それに多聞を仕留めていないことも解っている。
状況が不利に傾いてきたからこそ、ついに文人を襲ったのだ。禍をの種として、文人に総てを押しつけるために。奴は外からの旅人。秘密を守るために殺されても文句の言えない存在。だから、そういう役目を押しつけるのには申し分ない。
「ええ。そうでしょうね。もともと、文人さんを引き入れたのは繭さんです。それを、僕たちは誰かに操られてやっていたのだろうと思っていただけで」
「そうだな。あの子が村を滅ぼしたいって思うほど追い詰められていたなんて、誰も知らねえし」
その多聞の言葉に、焔の動きが止まった。どうしたと、多聞も日向も適度に距離を保って焔を見つめる。
「あいつは、追い詰められてなんかいない」
「えっ?」
「あいつは、追い詰められてなんかいないんだ。ただ、壊したいだけだ」
「――」
操られているのが解けた。いや、まだ殺気は十分にこちらに向いている。ただ、焔も抗っているんだ。心の中では、間違っている。止めたいと切に願っている。それでも、強力な暗示に掛ってしまうほど、焔の心は壊れていた。
「壊したいだけ。それは」
無理やり巌にされたからか。と、言葉にするのが難しくて多聞は黙る。こういう時、毬のあけすけさが羨ましくなる。日向もどう訊ねるべきか、相手が被害者でもあるだけに、困っているようだ。
「あの子はずっと解ってたんだ。毬には勝てない。だから、毬の周囲を壊したかった」
「――」
「がっ」
そこで焔の精神力はまた、繭の術に負けてしまう。もがくような声と共に、多聞に突進してきた。
「くそっ。次の世代を狙っていたんじゃない。毬に近い奴らから狙っていただけか」
「みたいですね。となると、麻央さんはとばっちり、もしくはお兄さんを奪う可能性があるからってところでしょうか」
巧みに手裏剣を投げながら、日向が困ったものですねと言う。
「お前はいつでも冷静だな」
「すみません。そうしないと、生きて来れなかったので」
「ちっ。鬼とはよく言ったもんだぜ。ともかく、早乙女家の問題を解決しなきゃ、俺たちに未来はないってことだな」
「ですね」
多聞もこの件を通して完全に日向に心を許したようだ。それが解って、日向は笑ってしまう。が、気を抜くことはない。
「怪我は多めにみてもらうしかないですね」
それまでできるだけダメージが少なくと思っていたが、そろそろ腹を括らないと駄目なようだ。焔の精神力より繭の術が上回っている以上、これはどうしようもない。
「けっ。それもそうだな。この兄さんには悪いが、俺と一緒にギブス仲間だ」
多聞も覚悟を決め、背中に隠していた短刀を抜く。
「急所は外してくださいね」
「解ってんだよ。つうかお前、ホント二度と女装すんな」
調子が狂うんだよ、と焔に突進する前にしっかり苦情を言う多聞だった。
山登りに一時間以上は掛かっただろうか。それとも、苦しいからそう思っただけか。ともかく、文人が転がり落ちた斜面は登るのには適していないのは確かだった。
「くっ、苦しい」
「頑張りなさい。あと少しよ」
毬に叱咤激励されつつ斜面をよじ登る。そう、まさによじ登っていた。毬から借りたくないを適度に斜面に刺しつつ、必死に足場と手を掛けるところを確保しつつ進む羽目になる。毬が先に足場を確保してくれているが、これが難度が高くて文人は別に足場を確保しなければならないから、余計に大変だった。
「ああもう、林道~」
「復旧にはあと一週間くらい掛かるわよ」
「い、一週間で何とかなんのか?」
「ええ。忍びを舐めちゃ駄目よ」
「な、舐めてませんよ」
だって今も、文人はひいひい言っているのに、毬は涼しい顔をして登っていく。このためにジャージだったのかと思うも、たぶん毬は制服姿だってひょいひょいと登っていたことだろう。ということは、文人が転げ落ちた時のためにジャージか。さらに情けなくなってくる。
「あと少し」
「は、はい」
見上げると確かに斜面の切れ目が見えてきた。あれは間違いなく、転がる手前の部分だ。
「繭の姿は」
「まだ見えない」
「ふうっ」
ここまで来て無駄足なんてことないよねと、文人はそっちも心配になる。確かに繭と出会ったのはあの墓だが、だからといって、あそこで待ち構えているとは限らないのではないか。
「待ち構えているわよ。言ったでしょ。紀貫之は私たちの遠いご先祖なの」
「で、でしたね」
そんな説明も忘れるくらいに今が大変なんですけどと、文人は苦しくて仕方がない。単に滋賀と京都を観光しようとしていたはずなのに、どうしてこんな山の斜面にへばりついているんだろう。そんな後悔だって襲ってくる。
「先に行くわ」
「えっ」
しかし、後悔なんてしている場合ではなかった。毬はまだ五十メートルくらい残っていそうだというのに、斜面からびょんと飛んだ。そう、文字通りに飛び上がった。斜面を二度ほど蹴って、さっさと真上に行ってしまう。
「うそっ」
ここからあと五十メートル。自力で登れというのか。というか、毬からすれば、やっぱりこんなにちまちま登る必要はなかったということか。斜面にへばりついたまま、色々と切なくなる。
「俺、必要なのかな」
そんな疑問も生まれるが、もちろんここまで来て結末を見ないなんて出来ない。繭がどうしてこんな事件を起こしたのか。どうやって事件をやり遂げたのか。色々と気になるところだ。
「それに、鴨田さんにそれとなく真相を伝えられるのは俺だけっぽいし。というか、毬もそれが解ってて俺を巻き込んでいるだろうし」
自分にも役目があるよ。そう言い聞かせて頑張って登る文人だ。そうしないと気持ちが負ける。
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