第16話 疑わしいのは早乙女家

 そうしているうちに日向の家に到着した。川に掛かる粗末な橋の前には、相変わらず盛り塩があったが、それは多分、村の誰かが自分の気持ちに整理を付けるために置いたのだろうと、今ならば多少好意的に捉える事が出来る。

「お揃いでいらっしゃると思っていました。さ、どうぞ」

 そして当の日向は、朝見たままの真っ白な着物に袴姿だった。どうやら普段、学校のない日はこの格好で過ごしているらしい。それもそのはずで、後で確認すると村人たちが毎月、新しい着物をくれるのだという。やはり、鬼というより神子として扱われているのだ。

 そして寝間着はあの浴衣。つまりこの間、文人が会った時は何の身支度もしていない姿だったということだ。

 あっさりと家の中に招かれ、文人はそういう事情を知ることになった。家の中もすっきりとした日本家屋で綺麗に掃除されている。違いは祭壇があったり、護摩行をする部屋があったりと、どこかお寺を思わせる造りだということだけだ。ついでに高校生らしさはゼロ。どこにも漫画やゲームはなく、無駄なものが一つもない。

「村人たちの施しで生活していますからね。生活に必要なものと、修行に必要なものしかないのは当然です。たまに沢田君が漫画を貸してくれますけど」

「へえ。そういうところは普通なんだ」

「ええ。村を出ている間は、僕も普通の高校生ですよ」

 にこっと笑う日向は、やはりどこか妖艶だ。男の子の笑顔というより女の子の笑顔。どちらの性でもあるというのは、印象をこうも変えるのだろう。

「それで、わざわざいらしたからには、事件のことで相談ですか?」

「ええ、そう。早く犯人を見つけないと、この村は滅びるわ。解ってるでしょ?」

「そうですね。この事件はこの村の根幹を揺るがそうとしているようですし」

 日向と毬の言葉に、文人もあちこち見物をするのを止めて座った。居間には小さな卓袱台があり、三つ湯飲みがあった。そこには日向が入れてくれた緑茶が入っている。

「この村の根幹、か。確かにね。次の世代が消えるというのは、それだけ術を伝える事が出来ない。やはり、復活の道は消える」

「ええ。特に高校生三人が消えると、次は繭さん。その下はまだ小学生で、しかも二年生と一年生ですからね。非常に伝承が難しい。しかも人数も少なくなる」

「ええ。そして上の世代は高齢化していて。うん。やっぱり村から裏を消したいと思っているのね。でも、誰が?」

「さあ。ここで消えてもいいと願うのは、意外な位置取りの方ってことでしょうね」

「意外、か。私は早乙女家の誰かが怪しいと思っているわ」

「そうでしょうね。壮大なことを考えられるのは早乙女家だけですし。他の家が総代の地位を狙うとは思えませんし、そんな力ももうないでしょうし」

「ええ」

 そんな会話が交わされるのを、文人はぼんやりと聞くしかない。ううむ、やはり特殊だ。というより、この村の裏事情に深く関わる内容だから、口を挟むことが出来ない。

「でも、そうなると意外っていうほど意外じゃないわよね」

「どうでしょう?早乙女家の中に、この村の裏稼業を廃したいと願う方はいますか?」

 日向の核心を突く質問に、頭のいい奴だなと文人は素直に感心してしまう。そうだ、早乙女家が頭領なのだとしたら、誰が廃業を望むのか。それは根本的な問題だろう。

「そうね。誰もいないとは言えないけど」

「焔さんは?」

 文人が横から口を挟むと、毬は顎に人差し指を当てて首を傾げた。

「どうかしら。あの人って裏稼業のお金を運営して成功しているんだし」

「そうなのか」

「ええ。村の些事に関わるのが面倒であることと、裏稼業を本格的にやるのは面倒ってだけで、あの人、根本的には嫌がっていないのよ。ちゃんと技術は身につけているもの。実際、面倒ではない依頼は受けるし」

「どんだけ面倒臭がりなんだ」

 毬の言葉の中に何度も面倒が登場して、それだけでも面倒な性格だと解る。

「そう。焔兄さんは最も早乙女らしい人間なのよ。実際、早乙女が総代と呼ばれるように、指示する立場であって自分からあれこれする立場じゃなかったのよね。まあ、それでは示しが付かないから自分たちもやるってだけで。司馬遼太郎が好きなら、そのあたりも解るでしょ?」

「ああ。なるほど。『梟の城』か」

「ええ。『最後の伊賀者』とかね」

 こんな会話が高校生とさらっと出来るなんてと、妙な感動を覚えてしまう文人だ。が、重要なのはそこではない。司馬遼太郎談義は後だ。

「つまり、焔さんは怪しいような怪しくないようなってところか」

「そうね。繭と麻央さんを操れるという点から考えると、一番怪しいのは焔兄さんになるから、除外するのは間違っているわ」

 毬はそう言って文人の意見に同意してくれる。

「でも、後は両親だろ?」

「ええ。その中で怪しいといえば父ね。引退も見えてくる時期だし、引き際だと考えているのかもしれないわ」

「でも、だからって」

 同い年の子どもを持つ親なのに。という常識的な言葉はここでは通用しないのか。ううむ、解らん。

「巌さんに関しては、ある秘密がありますよ」

「え?」

「何?」

 急に日向がそう言うので、どういうことかと二人の視線が向く。

「あの方は、毬さんには言えないことをやっています。僕が知ったのは、今はたまたまと申し上げておきましょうか」

「一体何だ?」

 この場においても伏せたいことなのか。文人は訝しむ。それは毬も同じだったようだ。

「日向。あなたまさか」

「大丈夫ですよ。逃げましたから。言っておきますけど、両性具有とはいえ、僕は男としての部分の方が大きいんです。だから背も高いし、筋力もそれなりにあります」

「ああ、そうだったわ。ということは、まさか、繭と」

「ええ」

 伏せられていたが、それは文人でもあっさり理解できる内容だった。が、この村に来て、事件以上の衝撃を覚えた。

「ちょっとまて。自分の娘を手籠めにしてるってのか?」

「言い方が古くさいですが、そうですね」

「いや、お前に古くさいって指摘されたくないって、ええっ!?」

 日向があっさり肯定してくれるので、文人は一人でそんな悶えた状態に陥った。ツッコミと驚きが同時に出てくると、こんな奇妙なことになる。

「煩いわね。ま、疑ってはいたことだから大丈夫よ。さすがに私は次期の期待があるから何もなかったけど、繭は見ての通り、不思議な子でしょ?何をされても疑わないのよね」

「――あれか。ちょっと自閉症的とか?」

「さあ。父からのことが原因ならば、そう断言できないのでは?」

「む、難しくなってくるな。って、いつからだよ。それ」

 話が事件とは違う大問題に発展しているだろと、文人は頭を抱えてしまう。いや、この村にまともに警察が捜査に入り込めたならば、色んな事がヤバいとなるんだが、いいのか。だって、親子なのに。

「繭さんとの関係は、繭さんの初潮があってからですね」

「いや。ますます駄目じゃねえか」

「ああ、なるほど。最初が欲しかったのね。じゃあ、あの子に最初の暗示を掛けたのは父か」

「おおい。ポイントをずらすな。いや、ずれてないのか」

 もう何を問題にしていいのか。文人は頭を抱えてのたうち回りたい気分だ。問題が山積しすぎ。

「僕に夜伽を求めたのも、僕に初潮があった時ですからね。ま、残念ながら、僕の場合は未遂です。これでも日々鍛えていますから」

「で、でも、中学生の時だよな」

「ええ。しかし、相手は酔っ払いですから。みんなで寄ってたかって鬼だと呪を掛けている相手に、さすがに素面で襲いかかるわけにはいかなかったんでしょうね。酔っていて間違えたくらいの言い訳は欲しかったのか、本人自身が禁忌に触れることを恐れた故かは知らないですけど。というわけで、逃げるのは簡単でした。ついでに急所に蹴り、他にもあれこれさせて頂いたので、二度とそんなことはないです」

「――」

 にこっと笑って説明する日向に、文人はちょっと怖さを覚える。怒らせては駄目な相手だとは理解した。鬼として排除される日向だが、ちゃっかり技術は身につけているらしい。

「本当にバカなのよね。豪放磊落を間違って覚えている人だから」

「おめえは誰にも容赦がないな」

 毬の評価に、文人は呆れ返ってしまう。冷静な女子ほど怖いものはない。

「というわけで、僕の言葉が真実かどうか。確かめるには夜の十一時頃から二時頃がオススメです」

「勧めんな。いや、確かめなきゃ駄目っていうか、お灸を据えるべきなんだろうけど」

「確かめましょう。そして、父の術がどのくらいか見ておかないと。芹奈が最初に狙われた理由も、似たようなものって可能性があるし」

「ま、ますます最悪だろうが」

 最初に一緒にご飯を食べた時は普通のおじさんだと思ったのにと、文人は悶絶してしまう。とんだ色魔だったなんて。

「あれ?そういうの、奥さん、つまり毬のお母さんは気づいていないのか?」

「気づいているでしょ?むしろ、私に知らせないこと。私に手出しをしないように見張ることをメインにしていたはずよ」

「え?なんで」

 手出ししないように。すでに妹をあっさり渡しているだけに、これはちょっと違和感と訊き返していた。

「何を言ってるの?私は早乙女家を継ぐ立場なのよ。それがどういうことか、解ってる?」

「――ああ、なるほど」

 つまり、色んな能力が毬は高いというわけか。そんな相手の寝所に忍び込むなんて自殺行為。しかも毬は相手が身内であっても容赦しない。ということは、起ることは一つ。

「先に殺人事件か」

「そういうことよ。ま、私の場合は川に放置なんてせず、もっとえげつない上に犯人が誰かなんて掴ませないけど」

「――」

 怖い。本当にこの村の連中って怖い。文人はここに踏み込んだことを初めて本気で後悔した。触らぬ神に祟りなし。知らぬが仏。その二つのことわざが自然に思い出されたほどだ。

「って、それはいいの。父が犯人候補になる得るのは解ったわ。でも、すっきりしないわよね。どちらかというと母がやりそうよ」

「それは、親父さんの所業に腹が立って」

「それもあるけど、あの人ほど我慢を強いられている人はいないでしょうからね。兄が奔放なおかげで私は女としての役目はあんまり振られていないけど、旧弊的な社会の女は大変よ。特に、女であることしか武器に出来ない人はね」

「――」

 何だか心が疲れてくる。そんな内容の連続だ。文人は茶を啜って、思わず溜め息を漏らしてしまう。

「現代の、普通の社会に生まれたことを感謝するよ」

「そうね。それが一番だと思うわ」

「そうですね。その当たり前が一番の幸運だってこともあります」 

 しみじみと呟いた文人の言葉に、より実感しているだろう毬と日向が同意してくれる。ううむ。それもまた切ない話だ。

「それよりも、母の可能性ね。あの人は裏稼業に関わっていないとはいえ、何も出来ないわけじゃないし、この村にいれば習得することも可能だから、完全に白とは言えないわ。でも、父ほど疑いは強くない」

「そうか。殺して川まで運ばなきゃなんないし」

「ええ。それにすっかり忘れているでしょうが、村に通じる道を塞いで警察を足止めするってことまでやっているのよ。相当な力が必要なのは確かね。それと、術に精通していないといけないのも」

「ふうん」

 つまり、雪は割と一般人に近いというわけか。さっきの毬の言い分だと、跡継ぎを生むことを期待されていただけって感じのようだ。

「お父様だとすれば厄介ですけどね」

 そこに、日向が呑気にそう言った。まるで、巌が犯人じゃないかのようだ。だから、どういうことかと文人は日向を睨む。

「ああ。ちょっとあの方と今回の事件の性質が合わないと思ったんですよ。さっきも言ったように、僕を犯そうとするのでさえ、酒の力が必要な人なんです。娘に手を出すことに禁忌としての意識が働かないのは問題ですが、基本、あの人は臆病だと思います。裏の仕事に関しても、とても丁寧だと評判ですからね。それはすなわち、臆病の表れということです。そんな人が、果たして村の次の世代の連中を次々と、しかも術を完全に封じる形で殺しているというのが、どうにも合わない気がするんですよね」

 日向はそう言って小首を傾げる。

「そうか?仕事が徹底されているから、なおのこと巌さんが疑われるってことにならないのか」

「いいえ」

 そう否定したのは毬だった。迂闊だったと、その顔が物語っている。

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