第8話 鬼と呼ばれる少年

 そんなことを考えていると、ようやく病院が見えてきた。文人が考えていたものより立派で、それなりの設備が整っているようだ。

「あらあら。大変でしたね。さ、こっちへ」

 で、そんなまあまあちゃんとした病院に着くと、おばちゃんと呼ぶべき看護師さんが出迎えてくれた。どっしり安心感のある女性と言い換えるべきか。看護師さんというよりパン屋のおばちゃんっぽいなというのが文人の感想だが、もちろん失礼だし、今はそんな馬鹿なことを言っている場合ではない。

 病院の入り口で大八車からストレッチャーへと乗せ替える。これは看護師の協力もあったからすんなりと終わった。見た目に違わぬタフさだ。

「ドライアイスのストックがあってよかったわ。あらあらまあ、こんな」

 その看護師、川田留美子はさっと菰を捲って顔を顰めた。それはそうだ。死体は無惨な状態だ。さすがの看護師も、こんな状態は見慣れていない。

「大変だわ。傷の縫合が必要ね。ちゃんと整えてあげないと」

 しかし、その後はすぐに切り替えて必要な処置を確認していく。そしてこちらへと、死体を安置するために空けたという病室に案内してくれる。

「先生。色々と大変ですわ」

 病室ではひょろっとした白衣姿の老齢の男性がいた。もちろん、この人が医師の高木陽一だ。八十代とは思えないしゃんとした姿勢で、死体が来ても堂々としたものだった。

「これは凄いな。まるで虎にでも襲われたようだ」

「虎はさすがにいないと思うんですよね。ツキノワグマはいるんですけど。でも、クマが出没したって話はないしなあ。それにどうして朝方に江崎さんが出掛けていたのかも謎だし。ですので先生、簡単でいいんで警察用に調書を作ってもらえますか」

「お安いご用。しっかりと検案しましょう。死亡診断書も作らないといけないからな」

 鴨田よりもしっかりしている。その様子に、文人もほっとしていた。ようやく、緊張が解けたというべきか。だから、思わず膝から力が抜けてしまう。

「おおっ、大丈夫か」

 そんな文人をひょいっと高木は片手で受け止めた。八十代とは思えない力強さに驚くが、自分の状態にも驚く。

「だ、大丈夫です。疲れたみたいで」

「うむ。それは仕方なかろうな。医者でも驚く状態だ。留美子さん。彼らに温かいコーヒーでも淹れてやってくれ。先に死亡診断書と警察用の診断書を作っておくから」

「はいはい」

 ドライアイスを手早く死体の周囲に置いていた川田が、了解ですと、高木から文人を受け取る。その文人は人生で初めて女性にお姫様抱っこをされるという、そんな貴重体験をする羽目になった。

「あ、ありがとうございます」

 待合室のソファに下ろされた時、恥ずかしくて死にそうだった。それにしても川田、凄く力持ちだ。高木もそうだったが、医療関係者ってタフな人が多いのだろうか。たしかに力仕事は多そうだ。とはいえ、成人男性である自分がひょいっと運ばれてしまった恥ずかしさは残る。

「いいのよ。待っててね。君はえっと」

「古関です。古関文人」

「文人君ね。文人君はコーヒーよりもココアかミロがよさそうねえ。まずは落ち着かないと。どっちかはあったはずよ。鴨田さんと杉岡さんはコーヒーがいい?」

 手早く飲み物の確認をし、川田は奥へと入った。そこがナースステーションのようだ。

「ううん。古い感じはするけど、大きな病院ですね」

 改めて病院を見渡すと、診察室は三つあり、処置室もある。さらに、川田が消えたナースステーションと、なかなかの規模だ。

「ああ。この近くの村の人も利用するらしいからね。といっても、近くの村が恐ろしく離れているけど。あと、山での事故にも対応してくれてるし。昔はこの規模に見合う人数が働いていたらしいんだ。もっと頻繁に人の行き来があったってことかなあ。今は、高木先生と川田さんしかいないけど」

 これは村人情報だけどねと鴨田は付け足した。

「そ、そうなんですね」

 ということは、ほぼ機能していない状態か。地方の病院が厳しいという話は聞いたことがあったが、目の当たりにするとビックリしてしまう。

 そんな話をしていると、すぐに川田がカップを三つ持って戻ってきた。文人はココアを、鴨田と杉岡はコーヒーを受け取り、その温かさにほっとした。

「大変だったわね。文人君はここに来たばっかりでしょ?」

「え、ええ。早乙女さんのお嬢さんに招かれて」

「あらあら。じゃあ、本当に災難だったわね。遊びに来ただけだったのに」

「ええ」

 本当は転がり落ちて成り行きで泊まっているだけで、実際はもっと災難ですと、文人はココアを飲みながら、心の中だけで呟く

「それにしても、どうしてあんなことになったのかしら?山での事故としては妙だし、それにあの無残な状態」

 川田は頬に手を当てて、解らないわねえと呟く。こういうところは普通のおばちゃんと一緒だ。

「それが我々もさっぱり解らんのですよ。朝、いきなり江崎さんのお父さんが来られてね。娘がいないって大騒ぎするんです。で、一緒にあちこち探したんですよ。まだ日も上がり切っていない時間から、一体どこに行ったんだろうって。まあ、ざっと探していないんだったら他のご家庭にお邪魔しているのかもしれないし、また夜が明けてからって話になったわけですよ。で、私はそのついでに見回りに行ったら山道が途絶えているでしょ。いやもう、解らないことだらけです」

 鴨田もようやく愚痴を零せる相手が出てきたと、文人に話す調子で川田にもぼやく。

「えっ、山道が途絶えてるの?」

「ええ。この病院と反対側の」

「あらあら、大変だわ。明日には医薬品が届くことになっていたのに」

「え?何か切れてるんですか?」

「いいえ。でも、包帯の在庫がちょっとね。心許ないかなって感じかしら。まあ、誰かが山で転んで大怪我しない限りは大丈夫でしょう」

 川田はそう言うが、文人は内心、大怪我しなくてよかったと冷や冷やだった。そうだ。斜面を転がって無傷だったのは奇跡だ。背中にリュックを背負っていたのと、転がった場所がよかったのだろう。もしそうでなかったら、今頃この病院のベッドの上だ。

「おおい、鴨田君」

 そこに院長の高木がこっちにと手招きした。鴨田ははいはいと、カップを川田に託して診察室へと向かう。

「鴨田さんっていつもは抜けているけど、やっぱりお巡りさんねえ」

 そんな鴨田の背中を、川田は頼もしそうに見るが、がっつりと巻き込まれている文人は同意しかねるところだ。

「文人様」

「え、はいっ」

 しかし、急に杉岡に声を掛けられ、文人はビクッとしてしまう。様を付けて呼ばれることなんて、人生19年生きてきて初めての体験だ。

「葬儀の手配のため、私は戻りますが、文人様はどうされますか?」

「え、ああ。たぶん戻っても邪魔になると思うから、もう少し鴨田さんの手伝いをしておくよ」

「畏まりました」

 杉岡は頷くと、飲み終わったカップを川田に渡して去って行った。相変わらずの無愛想っぷりだ。

「杉岡さんって、使用人っていうより召使いよね」

「はあ」

 そんな杉岡が去ってから、川田は変でしょとそんなことを言う。召使いって、家来より下に思うのは自分の感覚が間違っているだろうか。いや、日本史に合わせれば下人扱いで、やっぱり格下か。何だか変なことを拘って考えてしまう。

「私もこの村に初めて来た時はびっくりしたわ。なんだかんだで辞め時がなくってね。ずるずるといるんだけど」

「へえ」

「それにお給料もいいのよ。他にも村の人が色々とくれてね。なんか、この村から去りにくくなっちゃたっていうか」

 川田も村の人から色々ともらっているのか。これって田舎あるあるなのだろうか。

「じゃあ、川田さんはここの出身じゃないんですね」

「ええ。京都の出身よ。とはいえ、大原の方だから田舎よねえ。行ったことある?」

「いえ、まだ。三千院のあるところですよね」

「そうそう。いいところだから、是非行ってみて。こことは違ってちゃんと市バスも走ってるし」

「ははっ」

 確かにここはバスどころか車も入って来れないらしいしと、文人は引き攣った笑顔を浮かべる事しか出来ない。そうしている間に、鴨田が診察室から出てきた。

「いやはや、参ったよ」

「どうしたんですか?」

「それがね、心臓を取り出されているんだ」

「は?」

 あまりの言葉に、文人だけではなく川田も絶句している。心臓を?あの悲惨な死体からさらに心臓を取り出しているだと。

「弱ったなあ。どうやら司法解剖に回さなければならないレベルだったらしい。まあ、高木先生が何とかしましょうと言ってくださってるけど。ともかく、交番に戻ってあれこれ連絡しなきゃ」

「わ、解りました」

「ああ、それと。文人君、悪いけど日向君の様子を見てきてくれるか。あの様子から、危なそうだし」

「了解です」

 こうして、川田に頑張ってねと応援されながら病院を後にしたのだった。






 日向の家は特段変わりはなかった。いや、ますます誰も近づかないようにしているということか。あの貧弱な橋の前には、盛り塩が置かれていたほどだ。

「荒井君」

 チャイムを押して文人が呼びかけると、旅館で見るような浴衣姿の日向が現れた。その予想外の格好に驚きつつ、やっぱり男の子かなと、薄い胸に目をやる。しかし、胸元はきっちり締まっているし、帯の位置は男子にしてはちょっと高い。ううむ、解らん。

「おや、昨日の。どうしました?」

 その日向は困惑気味に文人を見た。まさか訪ねてくる人がいるとは思わなかったのだろう。

「いや、その、今朝の事件は知ってるか?」

 あまりに平然としている日向に、文人の方がどぎまぎとしてしまう。

「ああ。江崎さんが亡くなったというやつですね。もちろん知ってますよ。というより、知らないと思います?」

「え、いや」

「ですよね。家の前で起こった事件だし、ここの人たちが、僕を放っておいてくれるはずないから」

「――」

 すでに何かあったのか。文人は瞬時に顔が引き攣った。それを見て、日向は楽しそうに笑う。

「おいっ」

「大丈夫ですよ。彼らは僕を忌み嫌うものの、僕に害をなすことはないですから」

「えっ」

 ますます謎だと、文人は唖然としてしまう。一体どういうことなのか。

「だって、僕は鬼ですから」

「――」

 本人の口から聞くと、衝撃はまた違って大きい。ぞわっと、心臓を鷲掴みされたかのような不快感があった。当たり前に受け入れていいはずがないことを受け入れてしまっている。その異常さが怖い。

「この村に来られたばかりで、僕が鬼と呼ばれているのに違和感があるのは解ります。でも、事実なんで」

「じ、事実って」

「僕はこの村で唯一、服わぬものですから」

「ま、まつろわぬ」

「そう。早乙女家と縁がないともいいます」

「それって」

 縁者じゃないから鬼と呼ばれているということか。それとも、他の意味を含んでいるのか。いや、今までの村人の態度からしても、縁者じゃないというニュアンスだけで鬼と呼んでいるのではないだろう。

「彼らもまた、鬼の一族なのに不思議なことですよ。まあ、違いは大きいんですよね。僕はあまりに特殊なんで」

 日向はにこっと微笑んで、変な村でしょと笑う。その笑みはどこか毒々しくて、頷いていいのか解らなかった。というより、一体日向にどんな秘密があるというのか。ちょっと恐ろしくなる。

「というわけで、僕は江崎さんとは関係のない者ですので、死のうが殺されようが知ったことじゃない」

「それは、君が犯人じゃないってことだよな」

「さあ、どうでしょう」

「おいっ」

 こんな時にふざけている場合かと、文人は思わず怒鳴る。すると、日向は不思議そうな顔をしたが、今度は嬉しそうに笑った。

「古関さんはいい人ですね」

「はあっ?」

「では、忠告しておきます。僕ではないのは確かですが、この事件、これだけでは終わらないでしょうね」

「え?」

 日向の目は真剣だ。だから、聞き流しては駄目だと解る。

「それって、繭って子が言っていた禍と関係あるのか?」

「ええ」

「じゃあ」

「あなたを招いたのは口実ですよ。見知らぬ客が来ると禍が訪れる。もちろん、逆のパターンもありますが、それって神か、もしくは六部殺しの結果でしょうからね」

「君は」

 ひょっとして日本史に、それも民俗学的な部分に詳しいのか。そう言おうとして、なぜか口には出来なかった。というより、それで鬼云々を平然と語れるのかと納得してしまった。ということは、鬼という単語をそのまま考えない方がいい。これはただのイジメなんてものじゃない。

「そうそう。そうやって色々と知っているから、あなたはここに招かれたんですよ。今のぼんやり生きている大学生じゃあ、まず、目を付けられなかった」

「あのなあ」

「そうでしょ?鬼とは何か。それを正確に語れる人の、なんと少ないことか。ま、そういうことです。この村は、あなたの知っている民俗学がどっぷりですよ」

「――」

「日本史専攻は止めて、民俗学に変えてはいかがですか?」

「――そっちは、趣味だから」

 笑い飛ばせたら良かったのだろうが、日向はあれこれと知っている。下手な嘘は吐かない方がいい。

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