第7話 謎の土砂崩れと殺人事件

「でも、えっと、何がどうなっているんですか?」

 文人は手早く着替えながらも、何がどうなっているのか今ひとつ解らないと、布団を畳んでくれている鴨田に訊く。

「それがさ。朝、いつものように村の見回りをしていたんだよ。で、村から出入りできる唯一の細い林道が、落石なのかな、大きな石と木で塞がれてて」

 びっくりしたなあと、鴨田は畳み終わった布団の上に座ってしみじみだ。

「そんなに細いんですか?」

「そうだな。人一人が通れるくらいだよ。すれ違うには、ちょっとひやっとする道でね。というのも、横が急斜面だから」

「ああ」

 それに文人は自分がごろごろと転げた斜面を思い出していた。あんな感じの斜面が、比叡山の至る所にあるというわけか。大変だ。しかも、転がったら最後、どこかにぶつかるまで転がるし、戻るのは至難の業だ。

「つまり、その唯一の歩きやすい道が消えた」

「ああ」

「――」

 あ、これ、すでに一日二日で帰れないレベルの話になっている。文人は思わずコインロッカーを思い浮かべていた。あれにいくら取られるんだろう。節約のために自転車を使ったのに、ここで首を絞める存在になろうとは。

「でね。大変だって駐在所に戻ったら、今度は娘が行方不明なんですって男の人が駆け込んできて」

「む、娘さんが」

「ああ。毬さんの同級生の江崎芹奈ちゃんって子がいないって。昨日の夜は確かに家にいて、朝、朝食に呼びに行ったらいないって言うんだよ。林道は塞がれているから、この村の中にいるはずだってなんったんだけど、見つからなくてね」

「――」

 さらにややこしい状況だと、文人は着替え終えて腕を組む。しかし、何も解らない。ともかく鴨田を手伝うしかないというわけか。

「ああ、文人さん。おはようございます」

 そこに雪が風呂敷包みを持ってやって来た。朝からばっちり和服を着ている。そして、それを鴨田に渡す。

「これでよろしいでしょうか?」

「ああ、すみませんね、奥さん。じゃ、文人君、顔を洗ったら出るよ」

「え?」

「これ、朝ご飯だから。歩きながら食べられるようにおにぎりを雪さんに作ってもらったんだよ」

「――」

 用意周到ってこういう時に使うんだな。そう思いつつ、文人は鴨田と一緒にまず、林道へと向かうことになるのだった。





「へえ、これが本来の入り口なんだ」

「そう。斜面を転がらなくても来れるんだよ」

「放っておいてください」

 鴨田のからかいに、文人は顔を赤くして反論した。それにしても、林道とはよく言ったものだ。いや、山道の最も細いやつと思うべきか。

 村を下り、川を渡るのではなく川沿いに東へと歩いて行くと、この林道と出会うようになっていた。やはり、日向の家は別枠になるんだな。そんなことを思いながら、おにぎりを頬張りつつここにやって来たわけだが、いやはや。

 途中まではあった林道は、岩と木と土砂に覆われていた。まるで土砂崩れだ。しかし、不思議なことに、どこかが崩れている様子はない。斜面は綺麗なままだった。それなのに、まるで通せんぼするかのように、道があった場所だけが埋まっている。

「人為的なわけはないですよね」

「そう信じたいところだね。一応、県警に連絡を入れてあるから、土砂を除ける手配をしてくれるはずだ。問題は、この下に行方不明の江崎さんがいないか。それが心配だよ」

「ああ。朝、ここを歩いていて巻き込まれた、みたいな」

「可能性としてはゼロじゃないだろ?」

「たしかに」

 もしこれが自分の上に降ってきたら。そう思うとぞっとする。おそらく窒息死するだろう。

「で、でも、まだこの下にいるって決まったわけじゃないですよね」

「も、もちろん」

 鴨田も想像してしまったのか、青い顔をしつつ頷く。そうだ。一応は捜索したというが、もう一度、丁寧に探してみるべきだろう。もしかしたら同級生の毬の部屋に入り込んでいるのかもしれない。

「まあ、江崎さんの行方も気になるんだが、この土砂崩れも気になるだろ?というか、土砂崩れなのか」

「そうだと思いたいですけど」

 人為的ではないと口で否定してみても、どうにも不自然さが拭えない。これをどう説明すればいいのか。まるで上から土砂を流し込んだかのようだが、そんなこと、夜の間に出来るはずがない。文人は安全を確認しながら近づいてみた。

「ん?」

 土砂に挟まるように何か布が見えている。何だろうと引っ張ってみると、スカーフのようだった。細長い薄手の布である。

「何でしょう?」

「さあ。女性の持ち物って感じはするね。ひょっとして江崎さんの」

 と言って、鴨田はどうしようと、ムンクの叫びのようなポーズを取った。確かに、この下にいる証拠だったら困る。

「と、ともかくご両親に確認を」

「そ、そうだね」

 鴨田は制服のポケットからビニール袋を取り出し、文人から受け取ったスカーフを仕舞った。証拠品として扱うためのようだ。

「それと、この木。伐採されたものみたいですね」

「え?あ、ホントだ」

 文人の指摘に、鴨田は慌てていて気付かなかったと、土砂に混ざっている木を真剣に見つめる。いくつか混ざっているそれらはチェーンソーで切られた跡があった。断面も綺麗に直線になっている。

「ひょっとして、林業をされている方が積んでいた木が、上から落ちてきたんでしょうか?」

「ああ。転がっている間に石や土を巻き込んでってことかい?なるほど、それだとやっぱり自然のせいだな」

「鴨田さん。あくまで自然のせいにしたいって感じですね」

「まあね。俺一人しかいないのに事件なんて止めてもらいたいよ。ただでさえ、行方不明とか、事件になりそうなことが起こってるのに」

「そうですね」

 確かに、ここに警察官は一人しかいない。駐在所にいる鴨田以外にここに頼りになる人はいない。しかも、道が塞がれてすぐには応援を呼べない状況だ。

「ともかく、ここは県警に任せるのが妥当っぽいな。もし林業関係者のせいだとしても、今、俺たちに調べる方法がない。うん。林業関係者かもしれないって報告だけ上げておこう」

 鴨田は最低限の仕事はしているからと、うんうん頷いている。確かにそうだ。いくら警官とはいえ、一人で出来ることは限られている。文人もそれは雑な捜査ではとツッコめるはずがなかった。

「じゃあ、江崎さんを探しに行きますか」

「ああ」

 二人がそう頷き合って来た道を戻ろうとした時――

「鴨田さん!」

 向こうから大声で鴨田を呼びながら近づいてくる人がいた。男の声だ。二人が振り向くと、高校生らしいスウェット姿の少年が猛ダッシュしてくる。

「ああ。沢田君。こっちだ」

 鴨田はやって来た少年、沢田多聞を手招きした。多聞は昨日、宴会の時に両親とともに挨拶にやって来ていたので、文人もすでに知っている。毬の同級生の一人だ。

「あっ、古関さんまで。大変なんです」

 多聞はわたわたと手を振って説明しようとするが、言葉が出てこないらしい。それだけ異常事態が発生したということだろう。

「な、何があったんだ。ともかく落ち着きなさい」

「そうそう。深呼吸」

 二人で宥めて、多聞はようやく荒い息を整えた。しかし、宥めつつも二人だって焦りを覚える。一体何があったのか。多聞が落ち着いて話せるのをじりじりと待つ。

「せ、芹奈が、江崎が川に」

「川?川ってあの」

「そう。ともかく、来てください」

「あ、ああ」

 これはただの行方不明者が発見されたという報告ではない。文人と鴨田は大事件が起きてしまったらしいぞと、青ざめながらも急いで村へと戻ったのだった。





「なっ」

 そして川にて。想像を超える状態が待ち構えていて、文人は声が出なかった。

「い、一体誰が?いや、人間の仕業なのか」

 警官である鴨田も、そう呟いて絶句してしまう。それはそうだ。川に放置されていた江崎芹奈の死体は、まるで食い荒らされたかのように、あちこちの肉が食いちぎられていた。内蔵もはみ出していて、一言で言うならば無残である。唯一、顔には傷がないが、苦悶に満ちた顔で固まっている。服もぼろぼろで、どうやらパジャマだったらしいことしか解らなかった。

 そして、そんな身体から流れ出た血が、川を薄く赤色に染めていた。しばらくこの川の水を使う事は出来ないな。そんなことをぼんやりと文人は思う。

「鬼だ。鬼の仕業だ」

「おいっ」

 騒ぎを聞きつけてやって来た村の住人の一人が、そんなことを呟くので、反射的に鴨田は窘めていた。この村で鬼と表現されるのは一人しかいない。そんな勝手な決めつけは見過ごせなかった。

 しかし、何とも言えない空気が漂っているのは確かだ。こんな殺人事件を一体誰が起こすのか。日向もまた高校生で、普段からこの村に不満を溜め込んでいるはずだ。事件を起こすならば彼しかいないのでは。そんな空気があっても仕方がない。いや、全員が顔見知りで、しかも閉鎖された場所だからこそ、他の奴がやるはずがないと、そう決めつけている感じさえあった。

「と、ともかく、死体を川から引き上げましょう。このままにしておくわけには」

 文人はそんな空気を打ち破るように、まずは死体を川から上げようと提案した。それに反射的に鴨田も頷くが、その前に写真を撮らないとと慌てた。彼も殺人事件には慣れていない。それはそうだ。村の安全を見守ることが仕事だったのだ。ここでこんな大きな事件が起こるなんて想定していない。当然、初動捜査をどうすればいいのか。鴨田だって困ってしまう。

「現場の状態を記録しておかないと死体は動かせないぞ。せめて写真を撮らないと」

「スマホで撮って、それを本部に送っては」

「ああ。それだ。古関君、グッドアイデア」

 鴨田はやっぱり手伝いに君を指名してよかったと、そう言いながらスマホを取り出す。そして、漏れがないようにといくつか角度を変えながら写真を撮った。まったく、冷静なのかそうでないのか、解らない警察官である。それが終わって、ようやく引き上げ作業となった。

「沢田君は、無理だろうな。誰か、手伝ってもらえませんか?」

「私がやりましょう」

 鴨田の呼びかけに、杉岡が名乗りを上げてくれた。ということで、文人と三人で川から死体を引き上げる。

 死体はずっしりと重く、また、ところどころが食いちぎられているせいか、持ち上げにくい。あれこれと試行錯誤し、なんとか他の村人が用意してくれた茣蓙の上に置くことが出来た。

「このまま放置しておくわけにはいかないですよね」

 しかし、問題はここからだ。今は夏。それも八月の猛暑の真っ最中だ。ここに死体を放置しておけば、一気に腐敗が進んでしまう。さらには虫が湧く可能性もあった。衛生的にもよくない。

「そうだな。ここは病院に置いておいてもらうのが一番か」

 鴨田も放置できないと、村で唯一の病院に保管してもらおうと提案した。

「じゃあ、高木先生に連絡してきます」

 ショックから立ち直った多聞が名乗りを上げたので、連絡係を頼む。すると多聞はまた猛ダッシュで病院方向へと走っていった。霊安室はないそうだが、何とかなるだろうと鴨田も一応はほっとしたようだ。

「霊安室はないんですか」

「ああ。だってこんな小さな村だからね。病院で亡くなるってのも、それは市内の大病院に移動させた後だし、こんな殺人事件もないような村だからさ」

「ああ」

 つまり、病院と言っても診療所ということか。それにしても、この騒ぎでその高木先生はやって来ていないのか。

「それはね。高木先生はもうお年だから。八十越えてるんだよ。あの先生がいなくなったらここの医療はどうなるのか。それも今から不安な要素だよね。ま、過疎化している村にありがちというか」

「へえ」

 そんな話をしている間に、死体を運ぶために誰かが大八車を持ってきてくれた。それにまた三人で乗っけると、村の西外れにあるという診療所に向かうことになった。なるほど、昨日、診療所なんて見かけなかったはずだ。というか、この村は色んなものの間隔が広い。これも田舎ならではだろうか。

「そういえば、この江崎さんのご両親は?」

 ここまで非常事態で忘れていたと鴨田は周囲を見渡す。

「奥さんが倒れられて、旦那さんは奥さんの面倒を見ている状態です。俺が知らせてきますよ」

 そこに、遅まきながらやってきた焔が、このくらいは手伝おうと言った。まったく、イケメンは体力仕事とは無縁ってか。羨ましい。

「そりゃあ、仕方ないか。解った。じゃあ、落ち着いたら高木病院に来てくれと伝えてもらえますか?古関君、悪いけど病院まで付き合ってくれ。それと、村の方々は葬儀の手配を」

 鴨田の指示で、ひそひそと話していた村人たちも、忙しくなるぞと去って行った。そして、死体の載った大八車は文人と鴨田、そして杉岡の三人で引っ張ることになる。

「葬儀、やっちゃっていいんですか?こういう事件の場合」

「ああ。そうだね。本当ならば解剖とか色々とやらなきゃ駄目だけど、村への入り口があの状態だからなあ。本部には連絡を入れるけど、正直、葬式は先にやっちゃうことになるだろうね。この村はヘリを止められるような平坦な場所もないし、吊り上げるのもねえ。急病人だったらその手段を取るけど、今はこの無惨な死体だろ。警察だって手早く済ませることに同意しちゃうよ。ここは高木先生にちょっと頑張って貰うしかないかなあ。それに昔ながらの村だから、葬儀のしきたりも多いしさ」

「へえ」

 すでに何度か経験しているという鴨田は、お経の長さにびっくりすると言った。ということは、お坊さんもいるのか。

「いや、本職の坊主はいなくて早乙女巌さんがやるんだよ。あの人、在家のまま得度しているとか何とか。俺はそういう宗教関係はよく知らないけどさ。ま、坊主としての資格を持っているっていうか、修行したことがあるんだとかで」

「へえ。ここだったら、修行されたのは比叡山ですかね」

「そうです」

 そう答えたのは、そこまで黙っていた杉岡だ。あ、そうか、こっちに訊けばよかったと、文人は苦笑する。鴨田がお喋りで、そして杉岡が寡黙なものだから、どうしても鴨田に訊ねてしまう。

「一応、高木先生に死体を検分してもらって、調書は取らないとなあ。しかし高木先生も司法解剖はしたことがないだろうし。ううん。難しい」

 鴨田は必死に最善策を考えているようで、そんな独り言を漏らしていた。たしかに葬儀を手早くするのはいいとして、何の捜査もしないわけにもいくまい。これは明らかに殺人事件だ。

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