第9話 私たちで解決しましょう

「そうですか。まあ、そうですよね。それが安全です」

「ああ」

「それに、歴史を知るのも大切ですしね」

「そうだ。今は、色々と変わりつつあるからな」

「でしょうね。さすがにいつまでも正史しかあり得ないとは言えないでしょう。つまりあなたは、歴史認識が変わることを感じ取ってあえて日本史を専攻していると」

「ああ」

 高校生相手に何の話をしているんだ。しかも、殺人事件が起きている中で。そう思ったが、日向だからいいかと思う自分もいる。

「なるほど。あなたは、とても面白い人です」

 日向はそう言って、今度は本当に嬉しそうに笑ったのだった。





 結局、文人は頭が混乱しただけで日向の家をすごすごと後にしたのだった。というか、そんなことを俺は考えていたのかと謎になった。

「くそっ、多分だが、日向も高田崇史を愛読しているに違いない。そうだ。それ以外に考えられない」

 煙に巻かれたのだと、そう気付いたのは早乙女家の門を潜ってからだった。大体、本当に正史がどうとか、鬼は民俗学しか駄目とか、そういう区分が未だにあるのかさえ謎なのだ。今や何でも総合的にと言いたい時代。歴史学科だって、そういう変化に巻き込まれているだろう。というか、分別している意味が解らない。

「ま、多くの時代において、そうは思われて来なかったんだろうな。特に明治以降、なんかややこしくなっちゃった感じ。いや、その前からか」

 何が正しく何が正しくないか。そんなもの、いつの時代だって見えやしないのだ。自分の目で確かめない限り。

「良かった。無事だったのね」

「え、うん」

 玄関で靴を脱いでいると、毬が慌てた様子でやって来た。それに驚かされるが、毬が心底ほっとしているようなので、心配させて悪かったとも思う。

「悪い」

「いいえ。それにしても、しっかり巻き込まれてしまったわね」

「うっ」

 横にちょこんと座って言い放たれた言葉に、文人はがっくりと肩を落としてしまう。そうだ、これで村から脱出できないことが確定してしまった。

「ひょっとして、あの繭って子が?」

「さあ。それは解らないわ。ただ、あの年頃の子は壮大なことを考えるものだから」

「――」

 それってあれですか。中二病ですかと訊こうとしたが、毬の顔があまりに真剣だったので憚られた。

「ともかく部屋に行きましょう」

「え、ああ」

 毬はすくっと立ち上がって先に歩き始める。それを文人は慌てて追い掛けた。目の前を歩くのは普通の高校生だというのに、凄く足が速い。困ったものだ。しかも足音がしない。追い掛ける文人なんて、どたばたと足音が立つというのに。

「ううむ。これが和風の家に慣れているか否かの差かな」

 廊下は静かに歩くものだろう。特に木の廊下というのは足音が鳴りやすいし、軋む音もする。文人はこういうのも体験しないと解らない事だなと、呑気に考えていた。

「コーヒー飲む?」

「え、うん」

 案内されたのは昨日も宴会が開かれた場所だった。ここが食事をする居間に該当するのかと、改めて家の大きさに驚かされる。毬は一人で奥へと消え、そしてすぐにお盆に二つのカップを載せて戻ってきた。夏だというのにホットコーヒーだ。

「そういえばこの村って、そんなに暑くないな」

 しかし、キンキンに冷えたアイスコーヒーが欲しいと思うほど、暑さを感じていないのも事実だった。

「コンクリートがないから。それと、水田があるからよ」

「ああ、なるほど」

 あっさりとその謎を毬が解いてくれ、文人はなるほどねえと納得した。確かにこの村、一箇所もコンクリートで舗装された道がない。つまりはどこもかしこも畦道なのだ。そして水田。これによって気化熱が発生し、周囲の温度を下げているというわけか。

「それで、芹奈の死体は?」

「あ、ああ。病院に運んであるよ。でも、鴨田さんによると心臓を抜き出されているらしく、詳しい司法解剖が必要だとか。それは、なんとか高木先生が対応してくれるらしいけど」

「心臓を?」

 毬はその綺麗に整った眉を顰める。それはそうか。毬は被害者の友達なのだ。聞かせていいないようではなかった。

「あの、ごめん」

「どういうことかしら」

 しかし、毬はそこから泣き出すこともせず、真剣に心臓がないことについて考えているようだった。それに、文人は予想していた反応と違うなあと困惑する。そこはほら、年頃の女の子にありがちな感情的になるところじゃないのか。

「不思議ね。繭だったら、そんな面倒な方法はやらなさそう」

 しかも、さらっと妹を疑っていた発言をしちゃうのだ。やっぱり何かが違うなと、この村の環境のせいなんだろうかと、文人はコーヒーを飲んで思う。しかもコーヒー、インスタントじゃなくてちゃんとしたコーヒーだった。ああ、金持ち。

 しかし、事件について考えてくれる人がいるというのは心強い。心配して見に行った日向には煙に巻かれたことだし、ここは毬にあれこれ相談してみるのも手か。そういえば、日向の発言が気になる。

「それとさ、日向君が」

「日向――あの子がどうしたの?」

 名前を出して拙かったかなと思った文人だが、毬の反応は普通でほっとした。ということで、あの疑問をぶつけることにする。

「事件は続くみたいなことを言ってたんだけど」

「まあ、それは困るわね」

「――」

 そこに何の疑問もなく同意されると困るんですけどと、文人は次の言葉に詰まってしまう。この村、本当に色んな事が独特だ。

「ああ、そうか。文人は知らないのね」

「はあ」

 あっさり下の名前を呼び捨てにされると、年上なのにとか、相手は可憐な女子高生なのにとか、色んな感情が渦巻く。が、そこはいい。厄介になっている身だ。どうぞ呼び捨てにしてくれ。

「知らないって」

「日向のことよ。あの子は特別なのよ。鬼と呼んでいる連中は、あの子の力が怖いからそう言うだけ」

「えっ」

 なんか、なんか話が違う方向になっているなと、文人は知らずカップを握る手に力を入れてしまう。

「日向君は、この家に服わないからだと」

「ああ。それはね。そう。本当ならば仕えるべきなんだけど」

「――」

「でも、私はそれでいいと思うわ。この家の力なんて、ここ百年で急速に失われている。未だに必要とされることはあるけど、でも、もう大きくなることはないもの。何とかしたいとは思っているけど、勢力の拡大はないわね」

「――」

 えっと、ここは平安時代くらいなんでしょうかと、文人は気が遠くなった。仕えるっていう発言にも驚くけど、家の力ってなんだ。

「ともかく、あの子の予言は絶対だと思って大丈夫よ。つまり、事件はまだ続くんだわ」

「う、嬉しくない保証だな。それにどうして君の同級生が」

「さあ。まだ何も解らない」

「そ、そうだよね」

 ついつい、毬が何でも解っていると思っていた文人だが、事件についてはとんとんだ。

「ねえ」

「はい」

 しかし、いつの間にか毬の方が立場が上になっている気がする。反射的に返事をしてそう思ったから悲しい。

「この事件、私たちで解きましょう」

「は?」

 思わず訊き返した文人に、毬は溜め息を吐く。そしてもう一度、今度は大きな声ではっきりと、それはもちろんわざとだ、言い直してくれる。

「この事件、私たちで解きましょう。いや、他に解ける人はいないわ」

「な、何を言ってるんだ?」

 事件を解決するったって。それも、自分と毬の二人で。そんなの無理だ。

「無理じゃないわよ。それに、これには部外者の視点が絶対的に必要なの。つまり、あなた」

「いや、それは鴨田さんでもいいんじゃあ」

「彼は駄目。ここに来て長いもの。あれこれとルールを知ってしまっているわ」

「はあ」

 そりゃあまあ、鴨田曰く、毎日のようにネットに逃げ込むほどの日々らしいし、赴任して一年以上は経っている感じだ。任期三年だけど次が来るのかと気にしていたことからも、ここ数日というわけがない。

「それに、あなたのことの報告が上がっていた時から、ずっと胸騒ぎがしていたの。あなたがここに来るべきではない、という意味じゃなかったのかしら」

「え?」

 最後は完全に独り言で聞き取れなかった。しかし、どうやら自分の行動は、何らかの方法で毬たちに筒抜けだったらしい。それがびっくりだ。

「ともかく、誰かが解かなければならないのは事実でしょ?」

「ま、まあ、県警本部の人たちが来るには、あの土砂を除けないといけないみたいだけど」

 でも、だからって一般人である自分たちが解く必要なんてないじゃないか。文人は必死に抗議を試みる。

「おそらく道が塞がっているのは一か所だけじゃないわ」

「ふへっ」

「あれは、私たちの誰かがやったことよ。それは間違いない」

「ええっ」

 さらに衝撃的なことを告げられ、文人は仰け反るしかない。やっぱりあれ、人為的なものだったのか。

「そうよ。しかも、その場合は複数個所で起こすのが鉄則なの」

「て、鉄則って」

 どんな鉄則だよと、文人は目の前が真っ暗になるのを感じた。それってつまりあれか。しばらくこの村から脱出することは不可能だということか。

「そうよ。当たり前でしょ」

 当たり前ってなんだよと、文人はもう旅行の計画が総て破綻することに憤りを覚える。が、毬に当たったってしかたない。というか、毬は警告してくれていたのだ。よく解らない警告だったけど。

「大丈夫。私が必ず守るわ」

「いや」

 女子高生に守られるって、仮にも男子大学生たる自分のプライドはどうすればいいのか。もう何もかもが破れかぶれだ。

「ふん。あなたより強いわよ」

 しかも自信満々にではなく、本当に事実であるかのように淡々と言われ、文人は反論する気力まで奪われてしまった。

「そうですか」

「ええ。だからお願い、知恵を貸して」

「――」

 ああもう、駄目押しとばかりに上目遣いに見られちゃあ、男として頷くしかないじゃないか。

「解りました。やればいいんだろ」

「そうよ。それでこそ外界からの客人よ」

「――」

 今また、さらっと時代錯誤というか現代日本では聞かないような単語を聞いた気がする。しかし、文人はもうここは別の時代なんだと、割り切ることにするのだった。

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