第5話 警察官・鴨田

「長閑だなあ」

 無事に玄関に到着し、さらに大仰な門を抜け、文人は再び村の中を歩いていた。道の両側には棚田が広がり、穂を付けた稲が夏の日差しを浴びている。民家はどれも日本家屋で、日本の原風景を止めていた。瓦屋根って久々に見たなと、文人はそんな感慨にも浸ってしまう。

「にしても」

 ここは一体どこなのか。文人はGPSを起動するとマップ検索をした。

「え?」

 しかし、示されたのは比叡山の山中であるという情報のみ。ここに村があるという表示はない。

「え、うそ、ええっ」

 地図にない村。そんな馬鹿な。ひょっとして狐に抓まれているのか。そんなことを思って思わず自分の顔を抓ってしまうが痛いだけだ。が、冷静にはなれた。

「――」

 某大手検索サイトもこんな山奥まで調査していない。それが出た結論だ。比叡山というでかい山。それで一括りなのだろう。なんということだ。みーんみーんと呑気になく蝉の声が、この村の隔絶具合を示しているようで怖い。

「と、ともかく散策だ」

 若者も住んでいる普通の場所なのだ。ネットのマップに載っていないくらいで何でもない。うんうん、大丈夫。

 そんなことを思いつつ、早乙女家から繋がる道を下っていたら何と駐在所があった。よかった、下界と完全に繋がっていないわけではない。

「おっ」

 しかも丁度良く、駐在所から警察官が出て来た。夏の制服をだらっと来た警官は、外に出てくるなり伸びをする。年齢は三十代後半くらいか。

「あっ」

 で、誰もいないと油断しきっていた警官、文人と目が合ってビックリしていた。慌てて開け広げていた制服の前のボタンを留め、ごほんと咳払い。

「こんにちは」

「こんにちは。ここ、ちゃんと駐在所があるんですね。安心しました」

 姿勢を正して挨拶をしてきた警官に、文人も笑顔でそう声を掛けた。すると、警官はそうだろうと頷く。

「あ、俺はここで唯一の警察官の鴨田秀之。ここ、凄いだろ?だって、僻地手当出るからね」

「や、やっぱり」

 明らかに交通手段が限られている。車は一台も通っていない。納得の僻地扱いだ。

「俺は古関文人っていいます。その、あの大きな屋敷の早乙女さん。そこの娘さんを追い掛けていたらここまで来ちゃって。しかもゆっくりしていけと、早乙女さんたちに引き留められているんです」

「へえ。それ、どういう状況?」

 文人の説明に、一切解らんという鴨田はめちゃくちゃ普通の人だった。よかった。この村に来て初めて現代的かつ常識的な人と出会った。ということで、かくかくしかじかだと説明する。

「ふうん。ま、俺もこの村に関してはよく解んないからねえ。俺もわりと田舎出身だけど、ここまで山に囲まれた田舎じゃなかったよ。ま、雪深い地域ではあるけど」

 鴨田はまた解らんルールが出て来たなと頭を掻いた。

「あ、やっぱ、因習が多くあるんですか?」

 文人がそう訊くと、そうなんだよ、聞いてくれよと鴨田は駐在所の中に招いてくれた。手前はどこにでもある警察署だが、奥は鴨田が生活するエリアなのだという。その奥から、鴨田は冷えた麦茶のペットボトルを二つ持ってきて、一つを文人にくれる。

「しばらくいるんだったら、俺の話し相手になってよ。もう、変になりそうだよ。僻地手当につられて来たけど、こんな変な村だったとは。事前に解っていれば来なかったのに。もう、毎日のようにネットに逃げる日々だね。こんな村じゃあ、事件なんてないし。とはいえ、君みたいに外からやって来る人がいるから、一応は警官がいるんだけどね」

 鴨田もようやく常識の通じる人が現れたと思っているようで、一気に愚痴をまき散らした。そして、冷えた麦茶をぐびぐびと飲む。

「まあ、そうなりそうですね」

「ああ。一応は三年で交代なんだけどね。次の人が来てくれるかなあ。みんな嫌がるだろうなあ。俺も前の警官が定年で、どうしてもっていうので来たからねえ」

 定年までは嫌だなあと、鴨田は頭を掻く。どうやら癖のようだ。

「ネットの地図にもないですもんね」

「まあね。でもあれって、車で走り回ってデータを取ってるんでしょ。ここは無理だね。車は途中までしか入れないんだ」

「ま、マジっすか」

 そんなに田舎なんだと、転げてやって来た文人は仰け反ってしまう。

「いや、俺も初めて来た時はびっくりの連続だったね。本当に。ここって明治くらいから時間が止まってるって感じだろ?常識が違うんだ。君も、あの早乙女さんにお世話になるんだったら、ここは別次元と思い込むことだね」

「はあ」

 それは、すでに何となく実感していると、文人は曖昧に頷いた。というか、村の駐在さんがそう思っちゃうレベルなんだ。大変すぎるだろというのが正直なところである。

「それで、繭さん。彼女のせいでここに来たんだって?」

「ええ。それも禍がどうとか」

「へえ。禍って何だろう。天変地異とか」

「いや、どうでしょう」

 それはこっちが聞きたいことなんですよと、文人はより曖昧に答えるしかない。なぜだ、なぜ誰も理解できない状況なんだ。

「あの、早乙女さんのところって、女子高生もいますよね?」

 それよりもと、文人は助けてくれそうなあの少女を思い出して訊ねる。

「ああ、いるいる。たしか毬さんだろ?あそこの一族、みんな名前が漢字一文字なんだ」

「へえ。そう言えば、お兄さんは焔さん」

「そうそう。めっさ怖い感じの綺麗な人ね。モデルでもやってるのかと思ったら、青年実業家ってやつらしいよ。株とかで儲けてるんだって」

「へえ」

 そんな個人情報を警察が喋っていいのかと思いつつ、ここは別次元カウントだからいいかと思い直す。

「あの、早乙女一族以外にもここには住んでいる人がいるんですよね。日向君って子に会いましたし」

 こうなったら鴨田から聞き出せるだけ聞き出そう。そう思って質問してみると、ああ、あの子ねと頷いてくれた。

「あの子って、性別はどっちなんですか?」

「さあ。俺も確認してねえなあ。でも、今ってそういうの、あれこれ認めろって流れだし、何もないのに聞き出すのはセクハラだからねえ。俺も曖昧にしておくべきかなって思ってるんだよ」

「そこは常識的対応なんですね」

 意外にも日向に対して気を遣っている鴨田に、文人は苦笑したが、鴨田は真剣だった。

「いや、あの子を守れるのは俺しかいないし」

「え?」

「なんか、あの子、この村で浮いているだろ?みんな彼には冷たいし」

「え、ええ」

 やはりかと、文人も真剣な顔になる。その理由も知っているならば教えてほしいところだ。そう言うと、鴨田はここだけの話と声を潜めた。どうやら拙い内容らしい。

「一度、理由を訊ねてみたんだ。すると、奴は鬼だからって」

「鬼?」

「そう、鬼。このご時世にだよ。ホント、明治とか江戸のレベルだよね。どうやら村八分のような扱いらしい。で、男女が曖昧な彼は鬼なんだって」

「は、はあ」

 確かにそれは明治や江戸だなと、文人は唾を飲み込む。そして鴨田がはっきりと性別を確認できない理由も察知してしまった。そうか、他にそういう配慮をしてくれる人がいないと知っているからだ。

「しかも彼、あ、一応は男ってことで話を進めるけど、荒井日向君っていうのがフルネームなんだけどね、この村に一人で住んでるんだよ?考えられないだろ?まだ十七歳だと思うんだけど」

「そ、そこも曖昧なんですか?」

「ああ、本人が年齢に関しても語ってくれないんだ。でも、高校の制服、あれって滋賀県でも有名な県立高校の制服だし、それを着てるんだから高校生で間違いはないんだけど」

「はあ」

 たしかに高校生だろう。顔も美人だが幼い感じだし体格も華奢だから、高校生だろうと思う。

「ま、あれこれと喋りかけているんだけど、彼も村での扱いを理解しているから、あんまり多くを喋ってくれないんだよね。俺と喋っていても、村の誰かが邪魔してくるくらいだし。仲良くさせたくないっていうか、味方を作らせたくないっていうか」

「ああ。俺の時も杉岡さんに邪魔されましたね」

「早乙女の人ね。使用人だっけ。言葉遣いだけ聞いてると家来だよね、あれは」

「ええ、まあ」

「ま、村の誰もが早乙女を敬ってるというか絶対服従だから、日向君となかなか喋れないわけだよ。でもまあ、晩飯を差し入れたりしてるんだけどね。見回りついでに。この村の人口はこれでも二百人はいるんだよ。ま、家は点在しているし、中には山中に住んでいる人もいて、まさに隔絶社会。農業と林業で成り立ってるってところかな。意外と裕福なのにはびっくりだけど」

 鴨田はそこまで一気に喋って、ぐびっと麦茶を飲んだ。まるでビールを飲んでいるみたいだが、そのくらいの勢いがなきゃ喋れない内容でもある。

「日向君は、村で冷遇されているのに、ここで一人暮らしなんですね」

「ああ、そうそう。彼も出て行くつもりはないみたいだしねえ。変わってるといえば変わってるよ。でも、冷たくはされているけど、イジメられているわけじゃないって感じなのかなあ。いや、イジメられているようにしか見えないけど。でも、家は立派だし食べ物や生活に必要な物に困っていることもないしねえ。親族に関しての情報がないから解らないけど、生きていくのに困っている感じはしないんだよ。ま、差し入れするけど」

「ははっ」

 何かと優しい人だなと、文人は鴨田により好感を持った。これならば、万が一ここに長期滞在することになっても大丈夫だろう。ちょっと安心する。なぜか、すんなり出て行ける気がしないのだ。焔の脅しもあることだし。

「何もないからねえ。ここに住んでると料理が趣味になるよ。コンビニないし。村の人が野菜や魚をくれるから、調理するしかないし」

「な、なるほど」

「ホント。出るのが大変なんだよね。入ったら最後みたいな。いや、出られるけどさ。出るのが一苦労なんだよ」

「はあ」

 なんか、嫌なことを聞いたなと、文人は顔を引き攣らせた。それからしばらく、あれこれ情報交換し、LINEのアカウントも交換してから駐在所を出た。

「さて」

 意外な情報源をゲット出来たのはいいが、この村が変だということしか理解出来ていない。そもそも人口二百人はいるはずの村で、まだ四人しか出会っていないこのビックリ度合い。

「昔は、こういう感じだったのかなあ」

 人が疎らにしか住まず、出会うのも稀。だからこそ噂が必要で、それを頼りに生きていた。

「とはいえ」

 今はネットがある。情報に関しては噂に頼る必要はなくなっただろう。しかし、人と出会わない。

「おっ」

 駐在所からさらに下った場所に小さな川が流れていた。田んぼに活用されているのだろうか。その水はゆっくりと村を横に進んでいく。

 そもそもこの村は比叡山の山中、ちょっと開けた場所を利用している。だから全体的に斜面で、田んぼは棚田。こうやって川のところから見てみると、早乙女家を頂点にして村が構成されているのがよく解る。

 すなわち、早乙女家がトップであることを否応なしに感じて生活しているわけだ。

「川は、上にもあるのかな」

 ここだけでは用水路として大変そうだ。ひょっとしたらこの川は上から流れてきた水の合流地点なのか。そんなことを考えるのは楽しい。人の営みを垣間見た気分を味わえる。

 そして、川を挟んで下に目をやれば、一軒の家があった。こぢんまりしたその家は、しかし都会の中にあれば大きな部類に入るだろう家。

「ひょっとして」

 村の一番下にあたる家に住んでいるのは日向ではないか。そう思うと、文人はそちらへと足を向けた。家の近くには木の板で作った、人一人しか通れない心許ない橋が架けられている。

「あら、旅の方?」

 しかし、その橋を渡ろうとする手前、誰かに声を掛けられた。振り向くと、二十代だろう女性が立っていた。ジーンズに白いシャツと、とても活発そうな身なりは、この辺りの環境を反映してか。その女性はどう考えてもワンピースやしとやかな格好が似合いそうな、大人しそうな印象を受ける人だった。ついでに美人。この村、やたら美人が多いらしい。

「そ、そうです。早乙女さんのところでお世話になってます」

 もはや紋所のようにそう告げると、女性はまあと笑顔になった。

「焔君のところね」

「え、ええ」

 まさかのあの兄貴と知り合いか。ちょっと顔を引き攣らせつつ文人は頷く。

「私は駒形麻央。焔君とは高校の同級生なの」

「へえ。俺は古関文人です」

「よろしくね。きっと、しばらくはここにいらっしゃるでしょうから」

「――」

 なぜ、なぜみんな長期滞在を前提に話を進めるのか。いや、自分もどこかでそうなりそうと思ってはいるけど、複雑な気分になる。

「長閑で何もなくてびっくりしたでしょう」

「ええ、まあ。でも、歴史を勉強しているので、こういう風景に出会えるのは嬉しいです。どうしても空想だけでは解りにくいというか」

「あら。変わった人ね」

「よ、よく言われます」

 マイナスイメージだけじゃないというのを伝えようとしただけなんだけどと、文人は頭を掻く。ううむ、難しい。

「歴史を勉強されているのなら、この村はいい場所よ。とても歴史があるし、今でも色んな事が残ってるから」

「そ、そうみたいですね。さっき鴨田さんに聞きました」

「まあ、鴨田さんと。あの方って面白いわよね。警察官らしくないっていうか」

「それは確かに」

 頷きつつ、何だか会話に空々しさがあるのは何故だろうと思う。しかし、麻央はにこやかに微笑んでいるだけだ。これが、普通とは違うというやつか。いや、表の顔というべきなのか。ともかく、自分のテリトリーに踏み込ませない雰囲気がある。

「そうだ。これから畑に行くんだけど、古関さん。農作業には興味ありますか?」

 しかし、そんなお誘いを受けることになり、文人の疑念はどっかに行ってしまった。ちょっと嬉しい。

「も、もちろんです。いいんですか?」

「ええ。サツマイモを収穫しようと思ってたから、男の人がいると助かるわ。それに、川から向こう側には行かないようにしないと」

「――」

 あ、今、さらっと奇妙なルールが出てきたぞ。いや、違う。この川の向こうには村の人が鬼と呼ぶ日向しかいないからだ。疑念はすぐに舞い戻ってくる。

「さ、行きましょう。あっちよ」

 誘ってくれたのは、単純に男手が欲しいからじゃなかったか。文人は頷きつつも、ちらっと日向の家を見た。しかし、日向が出てくることはなかった。

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