第2話
『でも、どうしたの? 急用だから掛けてきたんでしょう』
思わず抱きしめたくなるような、甘ったるい声に、孝介は手で顔を覆った。
そうだ、指輪。今夜は他人の送別会だが、次は美弥子を主役にしなければ。
「あのさ、じつは」
その直後、歓声と拍手が、沸き起こった。美弥子の関心が、他に移ったのを感じる。
こうして話すのも、美弥子な迷惑になりそうだった。でも、都合がつく日でいい。会う約束だけでも、取り付けたい。
孝介が言いかけたところで、
『兵藤さん。ここにいたんですか』
やたらと人の女に馴れ馴れしい、美弥子の後輩。
『
『何してるんですか。先輩がいないと、寂しいじゃないですか』
『悪いけど、今、電話中だから』
「しっ」と、唇に指を立てたような声が、微かにした。どうやら美弥子が静かにと、神木を制したようだ。当然だろう、失礼にも程がある。酒でも回っているのか。
『ダメです。僕たち幹事なんですよ。兵藤さんらしくない事、言わないで下さい』
電話の向こうで、何やら揉めているような音がする。時々、神木を
『すみません。今、僕たち忙しいんです。話は後にしてもらえませんか』
なぜ、神木が美弥子の携帯電話に出るのか。孝介は「はっ」と声を上げた。
突然、間に入ってきておいて、
『先輩は頂きます。悪く思わないでくださいね』
背筋を冷たいものが走った。どうやら
『孝』
美弥子が、すまなそうに出た。
「そっか、幹事だったんだ。ごめん、邪魔したよね」
『そんなことない』
「彼は?」
『先に行ってもらった』
会社の先輩、後輩だとしても、随分、仲がいいものだ。
『孝?』
何か話さなければ。そう思っても、汚い言葉が口を
美弥子が傷つくことを、ふたりの関係に響いてしまう言葉を。
ぐっと飲み込んで、口を真一文字に結んだ。
『あのね、これから余興するの。ほら、私って感が鋭いでしょ。なんでも当てるから、頼まれちゃって』
送別会で、占いって。悪い結果がでたら、どうするんだ。
場の雰囲気が悪くなることを懸念したが、それが、あらぬ心配だと、すぐに気付いた。美弥子のことだ。そんな未来が来ない前提で、受けたのだろう。
『あっ、あのね』
電話の向こうで、美弥子が言葉を選んでいる。
『あの、話って』
恐る恐る
このタイミングで話せるのか。
力なく項垂れ、ぎゅっと拳をつくると、大きく息をついた。
「いい。長くなるから、やめとくよ」
『じゃあ、終わったら孝のところへ行く。その時、ゆっくり話そう』
無理に明るく話す美弥子に、怒りさえ感じてしまう。機嫌取りなど、しなくていいのに。
「2次会もあるだろう。疲れてるだろうし、休みなよ。また今度にしよう」
ぼんやり宙を見上げながら口から出た言葉は、感情も何もない、うわべだけの軽い台詞だった。
『そんな。私は、いいのに』
「楽しんできなよ。じゃあね、おやすみ」
一方的だった。美弥子に八つ当たりしても仕方ないのに。子供染みた態度で、電話を切ってしまった。
よろよろと立ち上がり、冷蔵庫がらビールを取り出す。無表情で缶の半分ほど一気に呑むと、あの、いけ好かない神木の顔が目の前に、ちらついた。
きめのこまかい色白の肌。それが似合う小顔と、孝介よりも高い身長。認めたくないのだが一般的に、いい男なんだろう。
何度か、美弥子と神木が並んで歩いてるのを見掛けたことがある。とても親しげに、付き合って間もないカップルように仲睦まじかった。
(うちの部署に配属されたばかりなの。だからクライアントへの挨拶回りを兼ねて、いろいろ教えてるの)
紹介された当初は、美弥子の話を鵜呑みににした。ただの先輩後輩だと。しかし、神木は違うようだ。
孝介に対して、見下すような言動。それに、あの目だ。熱を持った、ギラついた目。明らかに敵意を持っている。そして今夜の一件だ。
「
孝介は、ビールの缶を机に叩きつけた。
「美弥子」
大の字になって、天井を見上げた。
美弥子が選んだ、ライムグリーンのカーテン。ベットの上で枕がわりに使っていたクッションは、去年、ふたりで行った水族館で買ったもの。
台所の椅子に掛けられた、薄紅色のエプロン。持ち込んだまま、持って帰ろうとしないカーディガンやマグカップ。みんな彼女の匂いがする。
「今までが、幸せすぎたんだ」
成績優秀、容姿端麗。仕事もできて、上司の覚えもいい。不思議なくらい、願ったことは次々と叶えられるという幸運の持ち主だ。
逆に孝介は高卒で、そこそこの給料。これから出世する見込みもない。指輪ひとつ買っただけで、貯金が殆ど無くなる始末。
他の男に取られても、仕方ない。
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