49「呪い」②
「馬鹿な!呪いをかけたと言ったのはお前の方じゃないか、何を適当なでたらめをべらべらと!」
詰め寄ろうとする岡本さんに、三神さんが右手を突き出す。
よほど触られたくないのだろう。岡本さんは飛び退り、自ら管理室の扉に背を当てた。
「ワシは呪いを仕込んだと言ったのです。仕込んだ呪いが発動するかどうかはあなた次第です。実を言えば、あの若者を前にして言いにくい事ではあるが、このマンションにて人が亡くなっている事は調べがついていました」
途端、岡本さんの視線が長谷部さんを睨み、長谷部さんは怯えた顔で頭を振った。
「ああ、長谷部さんから聞いたわけではありませんよ。ネタ元は後で明かしてもいい。だがその前に、ワシの推測にも耳を傾けて貰わねばなりません。思うに、岡本さん。救急車を何度も手配していたあなたはしかし、どうしてもこのマンションから死人が出る事を嫌っていた。人が死ねば怖がって退居する住人も出てくる。そして不審死が相次ぎ警察沙汰ともなれば当然マンションと土地の価値が下落する。商売人としてはなんとかそれだけは避けたい。そこで運よく長谷部さんが西荻のお嬢と知り合いだった事もあり、怪なる現象についての調査依頼を出した」
三神さんは言葉を切り、一度僕らを振り返った。
いや、僕らではなく、文乃さんだったかもしれない。
三神さんは、こう言ったのだ。
「そして岡本さん、あなた方は考えたのだ。まずは」
住人ではなく外部の人間に死んでもらおう。
文乃さんがさっと顔を伏せた。
僕は三神さんの言葉の意味が理解できず、頭の中が真っ白になった。
「今回の現象で顕著なのがまずは悪臭。そして突如出現する生ゴミ。次いで外部の人間にはいまだ知られていなかった、住人たちの死。何故なのか理由は分からない。だが霊障を受けた住人はかならず体調を崩し、悪ければ数日のうちに命を落とすとあなた方は知った。ただし退居後であれば、ニュースになっても報道される住所はその死亡者の転居先だ。だが当然いつかは警察の捜査が介入し、被害者たちが『レジデンス=リベラメンテ』の元住人であるとやがてはバレてしまう。そうなる前に、まずはマンションとは関係のない人間に同様の状況下で死んでもらい、初動捜査の目を攪乱しようと考えたのだろう」
何を根拠にそんなでたらめを!
叫ぶ岡本さんに向かって三神さんが指を差した。
「気を付けなさい。己を顧みない人間は呪いを受けやすいぞ」
ググッ。
怯えた目に怒りを滲ませ、岡本さんは更に後ろへ下がろうとした。
下がれる空間がないことは、とっくに背中で感じているはずだ。
それでも彼は、後ろへ下がろうとした。
「それがとてつもなく短絡的でなんら功を奏さない愚行である事は言うまでもない」
三神さんは続けた。「だが、気持ちは分からんでもない。あんたは根っからの商売人なんだろうな。全ては土地。全てはお金。少しでも自分達の不利を減らして言い逃れを用意したい。だが警察とて馬鹿じゃない。最初の不審死が我々であれば確かに捜査の開始地点は、ワシらの身辺だろう。だがいずれこのマンションの元住人たちの間でも不審な連続死が相次いでいる事が知られ、結果的には大きく報道されて壊滅的な風評被害を受ける事になるだろう。であれば、考えられる動機は一つしかない。要するにはこれは、時間稼ぎなのだ。いや、心のどこかでは、この怪異が沈静化すれば尚良しとの思いもあっただろう。人としてそれは当然あるだろう。だが、商売人としての本心は、時間稼ぎ。……違うかね、岡本さん、長谷部さん」
時間稼ぎ?
商売人?
僕には三神さんの話の内容が理解出来なかった。
岡本さんは管理会社から委託されて来た、ただのマンション管理人じゃないのか?
「あなたは既にこの土地と建物の所有権を、誰かに譲渡しようと目論でいるはずだ。売りに出している。十年以上前、もともとこの土地の所有者だったという男から、偽造書類にて資産を騙し取った地面師。……それはあんただね、岡本さん」
眩暈がした。
ここへ来て地面師?
……岡本さんが?
混乱する僕の目の前で、信じがたい光景が繰り広げられた。
「なぜこの男がそれに気づくんだ!お前さては!」
と、岡本さんが厳しい口調で長谷部さんを責めたのだ。それに対し長谷部さんはおろおろしながら、
「私じゃないよ、信じてくれ!」
と今にも泣き出しそうな顔で訴えかける。
お会いした当初にお二人から受けた関係性の印象が、目の前で逆転した。
この野郎!
突然喚いて、岡本さんが長谷部さんの頭を殴りつけた。
「どーーーん!それだ!幻子が見たのはそのシーンだ!」
はしゃぐ子どもように三神さんは興奮し、岡本さん達を指さした。三神さんから発せられた思わぬ大声に、岡本さんはぎょっとして長谷部さんを殴る手を止めた。三神さんが続ける。
「あなた方には大誤算だろうがね、ワシは言うた筈だな、うちの娘は未来を視るのだよ。ここのマンションから死人が出ていることも、既にあの子が見ていた。だがそれが何故なのかという理由までは分からなかった。しかしながら、ワシらがこの事件に関わる以前から既に死者は出ておったのだ……違いますかな?」
岡本さんはまたしても、自分の背中をピタリと管理室の扉に押し当てた。傍らでは、長谷部さんが両膝を地面について項垂れる。
「お二人と出会う前、ワシは幻子から忠告を受けていた。本当ならこの事件には関わって欲しくない。どうしても関わるなら、岡本さん、あんたには気を付けろ、そうも言われていた」
その言葉に、岡本さんはやや青ざめた顔を上げて三神さんを見返した。自分の何がおかしかったのか、疑いの目を向けられる理由が全く理解出来ていない様子だった。もちろん、僕にだって幻子の真意は理解出来ない。
「あの子がそう言う以上ワシも二の足を踏んだがね、他ならぬ西荻のお嬢からの頼みは断れぬ。しかもだ、ここへ初めて訪れた日、あの場には池脇のがおってくれた。あの御仁を見た瞬間、ああ、これならばなんとかなるだろうとワシも安心したもんだ」
思い起こせば確かにそうだった。
初めて三神さんが池脇さんと出会った日、彼は池脇さんをしげしげと見つめてこう言っている。『あんたがおるんなら、おう、ワシも付いてたっても構わんな』
「そこでワシは考えた。この事件での一番の脅威とはその事象よりもまず、何故、という動機が掴めない点にある。この地を調べて四十年前、悲しくも逃れがたい天災によって多くの死者が出てしまった事もまた、ワシの目を眩ませた。だがここへ来て岡本さん、何故あんたは自ら地面師の話をワシらにして聞かせたのだろうか。そこを考えた時、今ワシが申し上げた推測へと辿りついた。あんたはワシらにこの事件から手を引いて欲しくなかったんだ。それは長谷部さんの為じゃない。ワシらを被害者にしたいという当初の思惑を達成するため、危険を冒してまでこの土地の来歴を明かし、長谷部さんへの同情を引いたのだ」
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