33「再会」②


 僕は目の端に、制服姿の三神幻子の姿を捉えていた。

 長袖の白いカッターシャツに赤紫のベスト。濃淡をつけたグレーのギンガムチェックのスカート。数珠ではなく、赤いヘアゴムでポニーテールにまとめた髪。体の前に回した手に持っている薄すっぺたい通学用カバン。師である三神三歳の横に大人しく立つその姿は、ただの女子高生にしか見えない。

 皆と同じように大豪邸を見上げる彼女の背中を、僕は極力視界に入れないよう気を付けた。タクシーを降りて幻子の姿を見た時に端感じた、胸のざわつきとその理由を自覚していたからだ。

「具合はどうかね」

 と、三神さんが辺見先輩に声をかける。それに合わせて振り返った幻子の視線を恐れるように、僕は先輩から離れて池脇さんの側へ寄った。

「先日は、無理なお願いをしてしまって、すみませんでした」

 眉間に皺をよせて豪邸を睨んでいた池脇さんは、

「いや、こちらこそ悪かったな」

 と僕を見ながら眉を下げた。彼の力強い声を聞いただけで、僕は少し泣きそうになってしまった。

「いえ」

「大変だったそうじゃねえか。何を見たって?」

「僕にも実態は分かりません。ですが今回の事件では初めて、人型の幽霊の存在を感じました」

「初めて?」

「物凄く臭い何か。そこにはいつも実体のない事象だけがあったのですが、ようやくその何かの中心にいる悪意のようなものに触れた気がします。僕の思い込みかもしれませんが」

「岡本さんちで見た子供の霊とか、お前が長谷部さんのマンション近くで見たたくさんの幽霊体だかなんだかってのは?」

 文乃さんから報告を受けていたのか……。

 僕は動揺を顔に出さぬよう心掛けつつ、

「あれは、きっと僕のせいなんだろうと……」

 と目を伏せた。

「ああ、あいつの言ってたあれか?」

 池脇さんは平然と言ってのけ、幻子の方へ顎をしゃくって見せる。「お前が幽霊呼んでんじゃねえかとか、なんかそんなような?」

 僕が黙って頷くと、池脇さんは僕の肩を叩き、

「心配すんな。お前一人にそんな力はねえよ」

 と、笑ってそう言い放った。

 僕に、そんな力はない…?

 僕は自分の背中越しに幻子の視線を感じながら、池脇さんの真意を問うた。しかし彼の語った話は、僕の期待した内容とはすこし趣が違っていた。

 池脇さんは幼少期、地方の、すこぶる治安の悪い田舎町で育ったそうだ。そこでは自身が受けた理不尽な暴力に屈服し、抗えない貧困に腹を空かし、そしてあまりにも身近な人間の死というものを子供ながらに見据え続けた結果、人生に対し、当然のごとく絶望を抱くようになったという。幸福とは縁遠い日常を嘆き、まだ子供だった自分を貧乏神や疫病神のような存在になぞらえ、愚痴をこぼす毎日だった。自分なんていないほうがいい。その方が父親も母親も、苦労をしなくて済む……。そんな彼を見て、池脇さんのお母様が仰ったのが、先程僕がかけられた言葉である。

「俺の母ちゃんの受け売りってやつだ。たかが人間一人に大した力なんてねえのさ。良いも悪いもなるようにしかならねえ。だからどう転んだって後悔しねえように、俺らはひたすら足掻くしかねえんだってな」

 そう語った池脇さんの言葉は、人生経験の乏しい十九歳の僕を救うには十分すぎるほどの説得力に満ちていた。

「ありがとうございます」

 僕はそう答えて頭を下げた。しかし、人生経験が乏しいからこそ、実感を持って全てに共感することも、この時にはまだ不可能だったのだ。

 



 長谷部さんが住まう大邸宅の印象を言葉で表現するなら、「明るい」、に尽きるだろう。僕たちは二十畳ほどもある大きな和室に通されたのだが、ここに来るまでの玄関から廊下から、屋敷の中で一番広く作られたというこの和室に至るまで、とにかく全てが煌々と明るかった。要するに、人がおらず使用されていない部屋も廊下も、その全部に照明が灯っているのだ。池脇さんが目を細めながら理由を問うと、長谷部さんは一同の前を行きながら、ひと言、

「怖いからだよ」

 と、正直に答えた。




「さて」

 と、三神さんが切り出した。

 恐らく団体客用の、普段使用されていない部屋なのだろう。天井からぶら下がっている照明以外、家具類が何ひとつない殺風景な部屋に僕たちは座り、その僕たち一団と相対する位置に座った三神さんは厳かな表情で、皆の顔を見渡した。

「ネタ晴らしをしよう」

 その三神さんの言葉に、僕の目が自然と幻子を捉える。幻子もやはり、僕の事をじっと見つめていた。

 この部屋に辿り着く直前、お手洗いを借りたいと手を上げた幻子の隣に立ち、僕も、と申し出た。特にこれといった反応を示さなかった幻子がやがてお手洗いから出て来るのを待って、僕の方から声をかけた。

「話があるんだけど」

「私もです」

 間髪入れずにそう幻子は答えた。待ち伏せされた事にも驚きはないようだった。しかし予想外の反応にかえって僕の方が面食らい、

「何?」

 と聞き返していた。

「私無駄に話が長いとよく言われますので、この後、先生のお話が済んだ後で時間が残っていたら……それでいいです」

「それでいいです?」

「時間が残っていたら、その時お話します」

「あ、あのさ」

「分かってますよ」

「だからさあ、そういう」

 実はこの時の僕と幻子のやりとりは後に、長谷部さんと岡本さんを除く全員の知る所となっていた。その理由は後述するが、

「遅いよ、うんこなのかい?」

 と、絶妙なタイミングで辺見先輩が割って入ってこれた事とも、無関係ではない。

「ネタ晴らし?」

 長谷部さんがオウム返しにそう言い、岡本さんと顔を見合わせた。

「進展があったんですか?」

 という岡本さんの問いに、三神さんが左の目尻を指で掻いた。

「まあ……あった。うん、あったと言って良いのかな」

 もってまわった言い方ではあったが、少なくとも僕と辺見先輩はこの事件の解決が見えたものと早合点し、期待に胸を膨らませた。ただ一点、「分かってますよ」と僕に向かってそう言った幻子の態度だけが、気がかりだった。



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