32「再会」①


 文乃さんの放ったドーム状の巨大な力は、僕たちのいた校舎よりも遥に大きく膨らんだ。丁度大学の中央門付近に到着したところで、三神さんは文乃さんの能力を目の当たりにし、乗って来た自転車から転げ落ちたそうだ。夜空に吸い込まれるようにして消えた巨大な虹色の泡沫を見上げ、三神さん地べたに座り込んだまま、

「うっは~」

 という酔っ払いのような声しか出せなかったという。

 怪異の去った医務室では、元気を取り戻したばかりの辺見先輩が再びベッドに倒れ込み、文乃さんはその場で胸を押さえてうずくまった。

 また、僕には何も出来なかった……。

 医務室に三神さんが現れた時には、文乃さんと辺見先輩はやや持ち直した状態でベッドに腰を降ろしていた。そっと気遣うよにそろりと開いた扉から、三神さんの人懐っこい笑顔が見えた時、文乃さん達は張りつめた顔を綻ばせ、ほっと胸を撫で下ろした様子だった。

 しかし、僕は喜べなかった。三神さんが駆け付けてくれたことはもちろん嬉しい。だが素直に喜ぶ気持ちを上回る程の怒りが、僕の中には生まれていたのだ。

 この夜起きた出来事は、誰にも納得のいく説明がつけられなかった。辺見先輩の携帯電話を媒介にして、リベラメンテの悪霊が僕らを追いかけてきたのだと、もっともらしい怪談話に仕立て上げることはできる。しかし必ずしもそれが正解だとは、誰にも断言できるものではなかった。怪異はただ怪異として、謎がひとつ増えたにすぎないのだ。




 面々が再び一堂に会したのはそれから間もなくのことだ。

 三神さんから大事な話があると連絡を受けた文乃さんが、僕と辺見先輩にも声を掛けてくれた。が、医務室で起きた怪異に触れてからというもの、やはり辺見先輩は体調を崩していた。倦怠感と強い眩暈があり、病院での検査の結果は、赤血球の低下による貧血。ただし貧血というのは症状のことであって、病名ではないそうだ。必ず原因となる病が隠されているため、薬を服用して改善しないようであれば通院が必要となるという話だった。しかし僕も、辺見先輩自身も分かっていた。これはもう、病院でどうにか出来る話ではないのだと。

 文乃さんに呼ばれて向かった先は、長谷部さんのご自宅だった。

 会合の名目が『レジデンス=リベラメンテ』で起きる超常現象であるため、本来であれば現場であるマンションか、そこからほど近い岡本さんの住む集合住宅が好ましいという提案があったそうだ。だが結果的には僕たちの街から遠く離れた場所に住んでいる、相談者であり、リベラメンテの大家である長谷部さんのご自宅が良いのではないかという話に落ち着いた。

 僕は正直、二の足を踏んだ。電話で聞いた長谷部さん宅の住所が単純に遠かったのと、いつどこで何に巻き込まれるか分からない以上、もう辺見先輩を巻き込みたくはなかったのだ。もし、僕がいつも連れていたという女の幽霊が、辺見先輩の想像通り死んだ僕の母であるならば、守護霊や背後霊的な観念を例に出した場合、その加護は僕にしか適用されないはずである。ここ数週間の話に限っても、僕と行動を共にし、なおかつ実被害を受けているのはいつも辺見先輩の方だった。心苦しいだとか、そんな程度の気持ちではすまない申し訳なさが、これ以上の彼女の同行を僕に躊躇わせた。しかし、

「新開くん」

 元気のない声で、辺見先輩は言う。

「モテる男っていうのはねぇ。見えない部分にこそ、優しさを隠し持ってるものなんだよねぇ」

 ぽかんと口を開けて答えない僕に、彼女は微笑んでこう言った。

「君の気遣いは嬉しいけどね。それじゃあ、私の自尊心を傷つけかねない。私は君にこう言って欲しいんだよ」


『僕らは絶対に逃げず、そして必ずや、この難題に打ち勝ってみせましょうね』


 そうだろ?

 笑顔をひるがえして辺見先輩は僕の前を歩き、そして颯爽とタクシーに乗り込んだ。乗車賃は、割り勘だった。




「8LLDKKK!?」

 なんなのよそのふざけた間取りはKが三つってなんだクークラックスクランか!

 僕は慌てて辺見先輩の口を手でふさいだが、誰も彼女の反応を窘めようとしはしなかった。それもそのはずだ。招かれた長谷部さんのご自宅というのが、目の眩むような大豪邸だったからだ。大物芸能人のお宅拝見でしかお目にかかれない規模の、お屋敷と呼ばれるにふさわしい邸宅がまさかのご自宅なのだという。洋館ではなく日本家屋であったこともまた、日本人である僕たちに風格や威厳のようなものを感じ取らせた。

 社会人たちの都合に合わせて設定された集合時間は、午後七時だった。すでに日の沈んだ住宅地に足を踏み入れる事自体、僕や辺見先輩にとってはトラウマである。しかし今回は到着した時点で文乃さん達が顔を揃えており、住所を伝えたタクシードライバーもきっちり長谷部さんのご自宅前まで車を乗り着けてくれた。

 まるで出迎えられたように、家主である長谷場さんをはじめ、彼の友人でもあるマンション管理人の岡本さん、そして文乃さん、池脇さん、三神さん、幻子、全員が揃って立っている玄関前のロータリー(門塀を越えた先にそれがある時点で並のお家ではない)で、僕と辺見先輩はタクシーから降りた。

 背中を反らさねば全体像を視界に収められないその家を見て、「部屋いくつあるのよ」と呻いたのが、辺見先輩の放った第一声である。

「聞いた話だと、8LLDKKKだそうで」

 と答えた大家稼業の文乃さんに対し、辺見先輩は騒がしい声でマニアックな突っ込みを入れた。彼女の口をふさいだ僕自身、これは本当に堅気の個人宅なのかと疑った。

「マンション経営ってこんなに儲かるんですか?」

 と、辺見先輩が文乃さんにすり寄って尋ねる。あれから、二人の距離が大分近づいたように僕は感じている。文乃さんはただ苦笑して首を傾げるにとどめたが、どう考えてもそんなわけはないだろう。

 長谷部さんは敷地面積だの建ぺい率だの聞き慣れない用語を駆使して説明を始めたが、彼が言いたいのは広大な敷地に対して建っている住居部分はそう広いわけではないが、周りに家がなく比較できないために大きく見えるだけだ、という主張だった。上の空間を高く使う洋館に対して横に広げた日本家屋独特のうんぬんかんぬん、しかし長谷部さんの説明には誰一人納得などしていなかった。

 おそろしくデカい家。

 長谷部さんが何をどう説明しようが、その事実は揺らぎようがないのだ。



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