34「失せ物」

  

 いわく、三神さんの話は二つあるらしかった。

 一つ目は、『レジデンス=リベラメンテ』で起こる怪異についてだ。

「何が起きているのかというに対しては、説明が出来ると思います。ただ……理由が分からない」

 と三神さんは言った。理由というのは、原因と言い換えてもいいそうだ。つまり、何故こうなったかが分からないというのだ。

「では、今うちのマンションで起こる例の匂いやクレームやなんかの、その正体は分かるんですか? 何が起こってそうなっているのか?」

 身を乗り出して聞く長谷部さんに対し、三神さんは「おそらく」と答えた。

「以前も申しました通り、そこにいる幻子という少女は特異なる力を備えておりましてな。ひけらかすような真似は無粋だと思いますが、どれ、ひとつ、お見せしなさい。その方が話も早かろう」

 話を振られた幻子は別段臆する風もなく静かに頷き、正座したまま目を閉じた。やがて数秒後、太腿の上で握っていた右手を皆に見える高さまで持ち上げて、ひっくり返し、手を開いた。

 そこに何かが乗っていた。

 視線が集まる。

「……それは?」

 三神さんの問いに、

「さあ」

 と幻子は首を傾げた。

「こちらの長谷部さんがずっと探していたもの、ということしか分かりません。これは、なにか家紋のようにも見えますね。なんでしょうか」

 あ、あ、と膝立ちの長谷部さんが口を押えた。

「そいつあ、釘隠しです」

 聞けば釘隠しとは、古くから日本家屋に見受けられる装飾品で、連結する柱を留めるために打つ大きな釘の頭を隠す役割であるという。素材も木材や金物など地域や家によって特徴があるそうだが、長谷部邸で使用されている釘隠しは家紋の彫られた金物で、長谷部さんが子供の頃に親の目を盗んで取り外してしまい、以来どこを探しても見つからなかったそうだ。

「こいつを、一体どこから……?」

 唖然とする長谷部さんに、幻子はニッコリと微笑み、分かりません、と答えた。

「どこにあるのかを見つけるのではなく、そこにあるものをここへ持ってきた。そういう感覚です」

「そこ、とは?」

「これがあった場所です……」

「それは、どこですか」

「それを今探す意味はありますか?」

 三神さんが咳払いをし、幻子に向かって頷いた。幻子は溜息をついて目を閉じ、数秒後、長谷部さんを見た。

「この家の二階の一番奥の書斎。鍵のかかった机の引き出し、下段の筆箱の中です」

「……父の部屋か!父が既に見つけて、イタズラ好きの私に見つからないよう隠し持っていたのか!」

 ほお、と岡本さん、池脇さんが声をあげる。よく出来た手品かなにかを楽しんでいる風に思えた。

「なんならこれ、そこへ戻せますけど?」

 手の上でポンポント弾ませてみせる幻子に、長谷部さんは膝立ちのまますり寄った。

「ありがたい。これは私にとって家宝と言っても差し支えのない代物なんだ。恩に着る。君は本物だよ!」

「そりゃ、どーも」

 幻子は大して嬉しくもないといった顔でそう言い、長谷部さんに釘隠しを手渡した。

「とまあ、この子の力の一端を見ていただいた所で、これはうまくこの場で再現可能なものではないのだが、この幻子はいわゆる予知夢を見る。寝ている間に、未来を見通す事ができるのですな。その夢を頼りに、ワシなりの推測を立てた。それをお聞き願いたい」

 三神さんの言葉に、長谷部さんは興奮気味の笑顔で頷いた。隣では岡本さんが、やや呆れた顔で長谷部さんを盗み見ていた。




「文乃さん、それは?」

 そこへ声をかけたのは、辺見先輩である。先輩は自分の左前に正座している文乃さんの体を覗き込んでいた。文乃さんの右手には、小さな黒い機械が乗っかっている。

「いずれ分かることなので、今この場でお伝えしておきますが」

 文乃さんはそう言いながら、右手に持った黒い機械を右耳の穴に差し込んだ。

「私は今、こちら側の耳が聞こえません」

 バチン!

 三神さんが左手で自分の顔を正面から叩いた。

 大学の医務室で見せた、巨大な霊力。その代償という事なのだろうか。一人離れた位置で胡坐をかいていた池脇さんが、悲しい目で文乃さんを見つめている。質問した辺見先輩は、俯いたまま肩を震わせた。

「聞こえないと言っても全くではありません。こうして補聴器をつければなんとか音は拾えますし、おそらくは一時的なものだと思いますので、どうか皆さまも、そう悲観なさらず……」

 そう話す文乃さんの声を聞きながら、僕は無意識に幻子を見やっていた。すると幻子は固く唇を結び、先ほど長谷部さんに見せた軽薄さを微塵にも感じさせない力のこもった目で、どこか宙の一点を睨んでいた。

「左耳があります。この機械などなくても特に困る事はありませんが、三神さんのお声を聞き逃したくなっかたものですから」

 自分を見つめて困り顔をする文乃さんに、三神さんは何を言うでもなく真剣な眼差しで頷いた。

「初めからずっと気になっていたのは、あの土地に関してなんです」

 しみじみ、といった口調で三神さんは話し始めた。

 それは四十年前まで山であったという、あの土地一帯の履歴のことだろう。文乃さんは知ってか知らずか、感じ入るような表情で三神さんの話に頷いている。彼女もまた土地に対する疑問を抱いてた。その事を知る僕までもが、釣られて三神さんの方へと視線を移す。

「長谷部さんしかり、新開君しかり、書物や古地図を用いて調べてみると、なるほどあの土地が以前山であった事は間違いないと出る。いや、うん、間違いではないんだ。だがね、これは本来ワシなんかよりも西荻のお嬢や、もっと言えば長谷部さんの方がずっと詳しいと思うんだが。……長谷部さんはおそらく、ご自分の間違いに気付いていらっしゃらない」

 間違い?

 失せ物との邂逅に気をよくしていた長谷部さんだが、思わぬ話の展開に眉根を寄せた。

「間違いとはなんです?」

 長谷部さんの率直な質問に、三神さんは答えた。

「新興住宅地、そして土地開発の話ですよ。あなたはあの場所が、山を切り崩して作り替えられた土地だと仰った。だけどもね、長谷部さん。本来宅地開発というのは、都市部近郊の未開発地域や、集落のもともとなかった森林などを開拓して整備される。違いますかな?」

 長谷部さんはぽかんとした顔で、ああ、はい、と頷く。

「そうですよ。いや、にしたって、時にはそりゃ、既に人のいる農村を切り開く場合だってありますよ。平らな土地だけじゃない。山も森も林も、人口の増加にともない様々な土地が作り替えられていきました。それが、何か? まさかあなたは、あの土地が以前山であったから、土地開発の対象にはならないはずだと仰っているんですか? だとしたらそれは違う」

「いやいや、そういう事ではありません。ワシが先日、あなたがあの辺りのご出身であるのかどうかを確認したのを、覚えておいでですか?」

「もちろん。私の家は代々この土地に根を張って来ましたから、地元ではない。そうお答えしませんでしたか?」

「だからあなたは、間違えたんだ」

「間違えたって、三神さんあなたはさっきから何を」

「あの土地は宅地開発の為に切り開かれたわけじゃぁない」

 長谷部さんは面食らい、答えに窮した。

「それは、つまり……どういう?」

「四十年前。あの土地にはやはり、人々の記憶から忘れ去られかけていた、痛ましく悲しい思い出が隠されていたのです」

 三神さんはここで一同の顔を見渡し、はっきりとした口調でこう言った。


「土砂災害です」


 

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