23「奇譚」②
岡本さんのご自宅からの帰路、バスの中で僕と辺見先輩は口をきかなかった。しかし僕が停留所で下車する間際、ひと言だけ辺見先輩はこう言ってくれたのだ。
『よし。元気出していこうか』
その時も彼女は、弱々しい声で言いながら、力強く僕の背中を叩いた。
「助けてください」
それは僕の口を突いて出た。
「辺見先輩をどうか、助けて下さい」
僕はせっかく座らせてもらった椅子から滑り落ちるように膝を付き、そのまま両手を床について頭を下げた。誰にというわけでない、全員であある。あるいは人ではない何かにも、今はすがりたい気持ちだった。
僕には何も出来ないのか。
ただ視えるだけなのか。
「助けてください…」
情けない声を出しながら、僕は何度もそう願った。
「どれ、休憩はこれくらいにして、幻子の手伝いにでも行こうか」
三神さんは鼻をすすってそう言うと、勢いをつけて立ち上がった。
「あっちから来たぞ」
池脇さんの言葉に振り返ると、幻子が廊下の端に立ってこちらを見ていた。
「そこの大きい人。ちょっと、あなたのそれに力を貸して下さるよう、口添えしていただけませんか」
幻子は池脇さんを指さし、理解しがたい言い回しで助力を申し出た。池脇さんは困惑した顔で、一瞬背後を振り返った。
「この御仁にそういった話は通じんよ。何せ一切の自覚がないからな」
三神さんがそう言いながら、幻子に歩み寄る。あるいはそのまま辺見先輩のいる処置室へ向かうのかと思われたが、不思議そうな顔をして首を傾げる幻子を見やりながら、三神さんは立ち止まってこう尋ねた。
「お前にはあれが何に見える?」
「……神」
と幻子は答えた。
「新開君。お前さんには、見えるかね?」
僕は驚いて池脇さんをじっと見上げる。相変わらず驚く量の、強い陽の気が見える。しかし正直、それが何に見えると尋ねられても困るのだ。何かには見えない。ただ強烈な光としか形容出来ないからだ。
三神さんは言う。
「人は実存する物体を見る時、光の存在無くして捉えることはできない。だが言い換えれば、光がある場所でなら人は、すべからく同じものを同じように見る事が出来る。それは学生である君に問うまでもないだろうね。しかし光なき存在、この世に非ざるものを見る時、意外な程これが、見る者によって知覚する外殻が違っていたりするものなんだよ」
それは、聞いた事がある。例えば文乃さんが幽暗に潜むものを『道化師』と捉えても、僕はそれを『踊る人』と見るかもしれない。あるいはそれを『妖』と呼ぶ者もあれば、または『神』として奉られることだってありえるのだ。
「このワシも幻子同様、池脇のが背負っているものは決して人が到達する事のできない、想像を絶する量のエーテル体だと見ている。お前さんらにはさしずめ強い光、太陽とか強烈なオーラとか、そのように知覚出来はしまいか?」
「その通りです」
僕の答えに三神さんは満足したように頷き、
「辺見嬢はおそらく初め、この池脇のが恐ろしかったのだと思う」
と言った。「彼女のように自らの潜在力を持ってして、原始的とさえ言えるやり方で悪霊を払いのけて来た者にとって彼は、きっと初見では正視するのも嫌なほど人智を越えたなにかに見えたはずだ。どう足掻いでも太刀打ちできないものが、そこにいるわけだから」
辺見先輩のおかしな態度を思い起こせば、三神さんの話でぴたりと辻褄が合う気がした。だが当の本人、池脇竜二という男性自身がその事については全くの無自覚だという。そんな事が果たしてまかり通るのだろうか。
「なんだっていい。横にいるだけでいい」
と、幻子は言った。三神さんと幻子の視線を受け、池脇さんは俯いたまま頭をボリボリと掻いた。
「馬鹿にしやがって」
その口振りからは、あからさまな怒りが漏れ出ていた。いや、僕らに対する嫌悪感かもしれない。
「お前らが何をどう言おうと、俺は担がれてるとしか思わねえよ。言っとくぞ、この場に文乃がいなきゃあそもそも俺はお前らとつるんでなんかいねえ。そこを履き違えるなよ」
「だから私はここにいるじゃない」
文乃さんが笑顔で言う。この期に及んでもまだ、池脇さんが羨ましくなるほどのあたたかな笑顔だった。
「ッチ!」
池脇さんは舌打ちし、誰の後を追うでもなく自らの意志で歩き出した。その時だ。
「じ、……じゃあ僕は!」
僕の声に、皆の視線が集まった。
幻子の目が細く狭まり、警戒するような顔を見せた。
文乃さんが立ち上がり、僕のすぐ斜め後ろに立った。それが何を意味するのか分からなかったが、ここで聞いておかねば機会を失う気がして、僕は言葉の続きを口にした。
「三神さん。……僕は何者ですか」
だが返ってきたのは沈黙だった。
辺見先輩が己の霊感や潜在的な能力を隠し、僕の側にいながら悪霊の類を祓っていたという話が事実だとして。三神幻子の遠視によって選ばれたのが辺見先輩と僕だと言うならば、ならば僕は一体何なのだ。見るだけなら、経験豊富でそれを生業とする三神三歳がいる。祓う力ならば辺見先輩が持っている。神クラスの光を背負うという池脇竜二さんがいる。空気を操作できる超能力者、西荻文乃が陣頭に立っている。極めつけは人を呪うという十七歳の少女だ。千里眼を持ち、未来予知まで可能という、まさしく人智を越えた存在のオンパレードだ。
どうして。
ならばどうして僕は、選ばれたというのだ。
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