22「奇譚」①


 三神さんは言う。

「お前さんについては、幻子から聞いて話だけでは納得できない部分があった。ただ霊が見えるというだけなら、ワシがいれば事足りよう。だが仲間は多い方がいい。年恰好も近いお前さん達になにか魅かれるものを感じて、あの子はこのワシに進言したのだろう。だが、実際に現れた二人組はなかなかどうして」

 三神さんはそこで一旦言葉を切り、通路を挟んで反対側に座る文乃さんを見た。おそらく三神さんは僕と辺見先輩についての話の中で、本人も知らないような事柄について触れようとしている。しかし先程、本人の意思を尊重すべきだと、第三者が口を滑らせることについて文乃さんより注意を受けたばかりだった。三神さんが送った視線は、その為だろう。

 文乃さんは黙して動かず、ただ険しい表情を浮かべているのみのだった。賛成はしない。だが止めるべき状況にもない。そういった複雑な考えが、彼女にはあるように思えた。

「お前さんと、あのレディ」

 三神さんは言う。「名前は確か辺見さんだったな。お二人はつまりその、あれだろうか」

「交際はしていません」

 と僕は答えた。「同じ大学で、同じサークルに所属する先輩と後輩です。彼女は僕と違って明るく社交的な人ですから、交友関係も広いと聞いていますし、僕に対して特別な感情はないと思います。ただ」

「ただ?」

「僕の、『視える』体質を面白がってくれる人ではあります。僕たちはオカ研……オカルト研究会ではありませんが、今年の夏の初め頃から学校内でそういった話題に首を突っ込むようになり、仲良くなっていきました。ですので今お話しした通り、出会ってまだ半年にもなりません」

「ふむ」

 三神さんは特にこれと言った表情も浮かべずに、顎を指で撫でている。

「君はそれを、何故だと思うね?」

 え?

「……何故、とは?」

「先ほど、お前さんと池脇のが採血で席を外しておる間に、お嬢から少し話を聞いた。お前さんはお嬢に対して、辺見先輩は霊感がないと、そう紹介したらしいじゃないか」

「……はあ。それはだって本人がずっとそう言ってますし、夏の肝試しでも、学内で起きた心霊騒ぎに対して全くの無反応でした」

 まるで言い訳じみた……そう言い訳のような言葉を連ねながら、僕はどんどんと背筋が凍り付いていくのを感じていた。それなのに額には玉のような汗が浮かび、激しい動悸に眩暈を起こす寸前だった。

「お前さんは、人が良いんだろうな。人を疑う事をしない。それはあの辺見嬢が良い先輩だからでもあるし、そんな彼女に対してお前さんが心を開いていた証でもある。だからワシはこの件で、お前さんを責める気などは一切ない。誰にもそんな事はさせない」

 三神さんの慈愛を感じる言葉と声に、僕の目には不覚にも涙が浮かんだ。

「だがおそらく、いや、十中八九、辺見嬢に霊感がないという彼女自身の発言は……嘘だ」

 目を閉じた僕の目から涙が零れ出た。

「それどころか、比較できるものではないかもしれんが、その感度やもって生まれた霊力を備えたる器だけ見れば、お前さんより大きいやもしれん。彼女はもちろん『視えていた』だろうし、それに加えて『祓う』事も出来たはずだ」

 …はらう? はらうって、悪霊を祓うとかの祓うか?

「……辺見先輩が?」

「ワシは昨日初めてお前さんらに会うたから、あれがどういう意味なのか判断が付きかねる部分もあるが、この池脇のを前にした時、途中までずっと怯えた態度をとっていたことに、気付いてはいなかったかね?」

「……気付いていました」

「そうか。異変は察していたんだなあ。いや、それなら、これまでの彼女の素振りを思い返せば、お前さんにも納得できる出来事があったんじゃないかね?」

 必死に思い出そうとした。

 辺見先輩は、綺麗で、明るくて、口調は時に荒っぽい事もあったけれど、気さくでノリの良い、根暗で人付き合いの悪いこんな僕にも優しい、尊敬できる先輩だった。

 文乃さんと出会い、頼まれるままホイホイと付いて行きかけた僕の先を取って、自ら付き添いを買って出てくれた。想像だにしなかった恐ろしい目に合いながらも、それでも僕に付き合って最後まで隣にいてくれた。

 そう言えば、岡本さんの部屋に子供の幽霊が現れた時、彼女は確かに自分の意志で率先して僕の背中に隠れたっけ。……見えていたのか、彼女にも。

「私が初めてお会いした時から、彼女はそうでした」

 と、文乃さんが言った。

「私は初めから気が付いていました。辺見さんは、新開さんの側に忍び寄ろうとする霊体を、ずっと追い払っていましたから」

「……え? それは、どう」

 僕はずっと、それが彼女のコミュニケーション方法なのだと思いこんでいた。辺見先輩はこれまで、事あるごとに僕の肩や腕、背中を叩いた。時には音がするほど強く叩き、正直嫌だと思った事すらあった。あれはずっと、彼女が僕から悪い霊を追い払ってくれていた、そういう事なのか……?

「見えない私が言っても説得力に欠けるとは思いますが、そこに肉眼では見えない何かが漂っている事は感じ取れます。辺見さんは新開さんとお話をしながら、絶妙なタイミングで自分の気を流し込んでいたんだと思います。彼女があなたの背中を叩く度、まるでそこに小さな花火があがるように、淀んだ空気が弾け飛んでいるのを感じていました。たとえそれが先輩から後輩への何気ない優しさでしかないのだとしても、私はその行為をとても美しいと思います」

 文乃さんの言葉に、僕は自分の膝から力が抜け出ていくのを感じた。池脇さんが咄嗟に腕を取ってくれなければ、倒れていたかもしれない。貧血だろ、ちょっと休め。池脇さんのそんな気遣いすらも、今は僕の心を深く抉ってしまうのだ。

 

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