30.気が付くと心の中の深い森の中。

「理由は後よ」


 あたしは口ごもる。どうしても口にしたくない理由というものは、人には色々あるのだ。

 でも。

 ふと考える。彼だったら。久野さんにそれを問われたら、あたしはどう答えるだろうか。

 答えてしまうかもしれない。彼が全く「そのこと」について知らないというなら。

 言ってもいい、と考えてもしまうかもしれない。

 遠山は少しばかり憮然とした顔になっている。何となく、気まずい。

 このひとは、あたしのことが好きだ。

 ここしばらく、行動してきて、さすがにあたしでもそれは気付く。

 遠山は、何だかんだ言って、あたしを守ろう守ろうとしている。その手は温かい。心地よい。ついそれにすがりたくなってくる気持ちもなくはない。

 だけど、この人に受け止められるほど、あたしの抱えてるものは軽くはない。

 あたしがそう、思いこんでいるだけだろうか?

 だけど、少なくとも、あたしと同じものを抱えてる高等生は、この国にたった十二人しかいないのだ。

 同情はできても、このひとには理解はできないだろう。

 だからと言って久野さんがどうかというと。

 ぶるん、と頭を振る。


 いかんいかん。また沈みそうになっていた。



 気が付くと、つい心の中の、暗い、深い森の中に、足を踏み入れてしまう。

 入り組んだ木々と、空を覆う枝や葉のせいで、そこは光がほとんど見えない。

 判っている。その木々も枝も葉も、自分で作り出したものなのだ。

 その間からわずかに洩れる光が綺麗で、恋しくて。

 だけどそれが、どこから来るものなのか判らなくて。

 判らないままに、恋しくて。

 そのまま、疲れていく足を引きずって、外へ出ようとしているうちに、どんどん奧へと迷い込んでしまう。答えは出ない。出るはずがない。

 だってあたしが探しているのは。


「おい森岡」


 不意に声を掛けられて、あたしは顔を上げる。さっと汗をかく。


「な、何よ」

「何か、臭くねえ?」

「何よ、あたしがおならしたとか言うの?」

「や、違う、うーん」


 彼は首をひねる。そう言えば。あたしもくん、と鼻を鳴らす。


「あ」


 確かにこのにおいには、覚えがある。

 あああーん、と続いて泣き声が、その場に響いた。


「子供だ」


 そうだ。おもらしをした赤ん坊の、そんなにおいだったのだ。

 辺りを見渡す。前方十メートルほど先に、赤ん坊が、泣きながらはいはいをしていた。

 慌ててあたしは駆け寄る。ぷくぷくした身体を抱き上げると、確かに湿ってる。


「おい、もらしてるんだろ?」

「そんなこと言ってる場合じゃないわ。この子、どこから来たの?」

「おい見てみろよ、―――ちゃんと跡がついてるぜ」


 遠山はおもらしの跡を指さした。ぬるつく地面は、水分を弾いてしまうらしい。

 あたしは苦笑する。


「この奧に人がいるってことよね。村人が」

「村人が…… だけど子供が出てくの、放っておくかあ?」


 でも。

 とにかくあたしは、その子を抱き上げたまま、おもらしの跡を追う。


「おい、重くないか」

「女は赤ん坊なら平気なのよ!」


 いや、そういう問題じゃなくて、と遠山は何か言おうとする。代わろうか、とも言ってくれる。

 あたしは首を横に振る。

 この赤ん坊の柔らかさや温みが、今は欲しかった。しがみつくこの身体が、ひどく今は、自分の力になってくれそうな気がしたのだ。

 少なくとも、この子を抱いているうちは、深い森の中に足を踏み込むことはない。

 大股で、一歩一歩、足を踏みしめながら歩く。子供が人の目を盗んでやってくる程度だから、そう長い距離ではないと思う。

 案の定、声が聞こえ始めた。

 それに呼応するように、手の中の子供も、大きな声で泣き始めた。


「若葉おねーちゃん、まさくんの声だよ」


 初等の子供らしい声が、耳に飛び込む。若葉?


「若葉?」


 呼びかけてみる。少しばかり足を小走りにする。


「さつきさん!」


 そのとたん、足がもつれた。あああああ、と彼女は慌てて飛び出す。

 ずる、とその場にあたしは倒れ込む。とっさに腕を掲げる。


「さつきさんさつきさん」


 若葉も手を伸ばす。しゃがみ込む。

 ―――ほっ。間に合った。


「だ、大丈夫?」

「大丈夫」


 そう言いたいところだったけど、立ち上がろうと手を地面につけた時、肩にずき、と強烈な痛みが走った。


「おいどうしたよ」


 遠山が近づく。汚れたあたしの腕を取る。


「ぎぇい!」


 痛みが一気に走りぬける。何てえ声だよ、と遠山は目を丸くした。


「森岡、痛むのか?」

「ちょっと…… 肩が変にずれたかも」


 左の肩が、痛みでうまく動かない。右はまだましだが、動かすたびに肩にずき、と痛みが走って、力が入らない。


「ありがとう。この子を助けてくれて」


 若葉は頭を下げる。ううん、とあたしは首を振る。


「それより、何なのここは」


 見渡すと、そこには子供ばかりだった。若葉以外の皆が、一番大きくても初等学校の四年だ。つまり「使えない子供」だ。


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