29.「あの会話が判ったのか?」
その頃あたし達は、当初の壁づたいなど既に頭のどこかから飛んでいた。
「ああもう!」
つるつると滑る地面がもどかしかった。いっそ本当に裸足になってしまいたかった。だけどそれは嫌だった。ぞっとする。
「落ち着けよ、森岡」
「これが落ち着いていられますかっていうの。あんたこそよく落ち着いてるわね」
「俺は落ち着いてるよ。けどお前が何が起こるか言わないから、俺には何が起こるのか、何でお前が急いでいるのか判らない」
「……」
「何を知った? 何がこれから起こるっていうんだ?」
こっちを向けよ、と彼はあたしの両肩を掴んだ。
「乱暴はよしてよ」
「じゃあちゃんと言えよ。言わなくちゃ俺は馬鹿だから判らない」
「入り口が、爆破される」
何だって、と彼は口を開けた。冗談はよせ、と付け加えた。
「もうじきここの採取が終わるの。そうしたら、ここを完全封鎖するって予定なのよ」
「何で…… どこかにそれは書いてあったのか?」
「書いてはなかったわよ。それらしきことはあったけど、爆破するって聞いたのは、ついさっきだもの」
「ついさっき聞いた?」
まさか、と遠山はあたしの肩から手を離した。
「森岡はあの会話が判ったのか?」
あたしはうなづいた。
*
「村長!」
言われた人物は、顔を上げた。大柄で、若い頃は力自慢でならしたらしい、ひげも豊かな、若葉の親父。
「松崎の! 規雄くんじゃないか! 何で君がここに」
「それは後で説明します」
決して高いとはいえない岩盤の天井の下、疲れた顔で、何枚も敷き詰められたむしろの上に、皆思い思いの恰好で休んでいる。
老いも若きも、皆目がどんよりとしている。
疲れだけではない。二週間以上ずっとここに閉じこめられていたのだろう、陽の光の見えないという事態が、人々を憔悴させていた。
「それより、皆さん歩けますか?」
「どういうことだい?」
「さっき兄貴に会って聞いたんですが、ここは採取が終わり次第、入り口を爆破され、埋めてしまう、ということなんです」
「何だって? それはないだろう? 私はさっき、副知事の姿を見た。彼が今日いるというのにそれは」
松崎は首を横に振る。
「だからそれは、取引をしてる連中には関係ないんですよ。管区知事だろうが副知事だろうが」
「……」
村長は苦い顔をする。
「一体何だって、こんなことになったんです?」
森田は穏やかに問いかける。
「最初は、報告からだったんだ。試験所の研究員の一人から提出された、この渓谷のセリサイトがまだ採取可能だ、という報告だよ」
君の兄さんではないよ、と村長は付け足す。判ってます、と松崎もうなづく。
「この通り、我々の村は、貧しくもないが、決して豊かであるとも言えない。少しでも換金できるものが産出できるなら、その可能性に賭けてみたかった。だから、試験的に昔の技術を使って精製したセリサイトを添えて許可願を出した。ちょうど君の兄さんが、発電設備の増強を行ったばかりで、少しはそちらに回せる分があった」
「それは正しいと思いますわ」
村長に対して言うにはとても失礼な言葉ではあるが、そう聞こえないあたりが森田の森田たるゆえんである。
「産出許可をもらおうと思った。これだけのものができるのだ、と。ところが」
「やってきたのは、許可ではなく、強制命令だったと」
そうだ、と村長は答えた。
「しかも、副知事は、それを議会に通していない。自分の所で止めている」
「あん人は、確か、経済方面出でしたなあ」
「その関係だ。提出された産出願が、自分の後がまだった財政局局長あたりに通った時、それを横流しさせたんだ。議会には通っていない」
ち、と松崎は舌打ちをした。
「兄貴が発電設備を増強しようって言ったのは、皆の家で、夏にもかき氷やアイスクリームが楽しめるような、そんな生活にしたい、って思ったからだぜ? ……そりゃあ確かに…… そうすれば皆の収入が上がるかもしれないけど……」
「松崎」
「や、……え、と君は」
「森田です」
「森田くん、彼の言うことも正しい。何でこの鉱工会社が閉じたのか、よく考えてみるべきだったのだ」
「と言うと」
「所詮、今のこの日本で、セリサイトはそう必要不可欠なものではない。特に、ここで精製されていたのは、女性の化粧品に使われていたものが多い。その需要が高かったのだ。国内で需要が大してないものが、管区でなら尚更だ。―――そして外国には需要がある」
村長は拳をぐっと握りしめる。
「一般企業は、外国とは取引ができない」
もちろんそれは政治家だって同じはずだがね、と付け足す。
「まだ産出する余裕はあった。機械も今でも使用可能なほど、性能が高い物だった。なのに止めてしまった理由をよく考えるべきだったのだ」
「それで、何で皆さん、捕まったはりますか? 大の大人が、そんな、いくら外国の、言葉が判らない連中かて」
「子供が人質にされているんだ」
「え」
松崎は声を上げた。
「子供を集められ、銃を突きつけられたら、我々はどうすることもできないではないか」
よく見ると、確かに若い者も年寄りもいるが、初等学校に行っているような子供はそこにはいなかった。
どうする? 松崎は低い天井を振り仰いだ。
「村長さん」
森田はふわりとした口調で言った。
「とにかくあんた達は逃げて下さい。裏の通路があるはずです。俺等が通ってきた」
「そうだ、どうして君達は」
森田は首を横に振る。
「それは今聞くことやないです。とにかく、向こう側をたどって行けば行けるはずですわ。松崎くんが連れてってくれます」
ほれ、と森田は松崎を押し出した。
「お、おい森田」
「俺は、もぉ少し奧へ行くわ。村長さん、子供を助ければええんですね」
「森田くん!」
「子供が子供のうちに死ぬのは、俺は嫌ですさかい」
「だったら俺も」
松崎は立ち上がり、手を伸ばす。
「道知ってるのはお前やで」
ほな、とひらひらと森田は人々の間をすりぬける。
「ちょっと待ってください」
途中で、一人の女性が、疲れて立ち上がる気力もないのだろう。長い髪を止めていた簪を取り、彼の手に握らす。
その先が鋭く尖っているのを見て、森田は目を見張る。
「私達は何も持ってません。だから、こんなものしか」
武器にできるものは何もない、という意味なのだろう。
おそらくこの女性は、隙あればこれで子供を捕らえている者を刺そうと磨いていたに違いない。竹製のそれは、つやつやと輝いていた。
「ほな、後で返しますわ」
ぺこん、と森田は頭を下げた。
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