28.「兄貴、順序立てて説明してくれよ!」
後で森田に聞いた話である。
*
「あ」
にき、と言葉を続けようとしたので、森田は慌てて松崎の口を塞いだ。
彼らが壁づたいに進んで行った先は、ちょうど下の採石場へと通じる昇降機がある所だったらしい。
「何やあれ。あんなの、ここで動かしとるのか」
森田は眉を寄せてつぶやいた。その間も、口を塞がれて、離せよ、と松崎がもがいている。
「―――となると電力が必要となるわ。旧式の昇降機を動かしてるとすれば」
ぷは、とようやく森田の手から松崎は抜け出す。
文句の一つも言ってやりたそうな顔でにらみつけるが、森田は平然として顔色一つ変えない。
「お前の兄さん、何の研究してたんや」
「俺もよくは知らない。だけど、確かに電気は関係してたと思う」
「兄さんが一人になる時を見計らわんとあかんな」
その機会は案外早くやってきた。こんな場所に置かれるには不似合いな機械の前で、松崎にも見覚えのある白衣のまま、兄は何やら帳面に書き付けている。
何をやってるんだ、兄貴。
そう内心思いつつ、彼はじっとその様子を眺めている。
「ところで、何でお前こっちについてきたんだよ、森田」
ふと思い出した疑問を口にする。
「や、別に」
「俺思い出したぜ。あの遠山が時計の一つも持ってねえ訳ないだろ!」
「ああ~声が大きいで」
「わざと遠山を行かせたんだろ。森岡のほうに」
「偶然や。他意はないで」
松崎はうー、とうなる。この友人は、そう言ったら絶対にそれ以上に発言を覆すことはないのだ。
「それより、ほら」
すみません、と言って、兄がこちらへやってくるのが松崎の目に映った。便所だな、とあっさりと森田は言う。
目の前を、兄が通り過ぎていく。奧へと進んでいく――― 腕を掴む!
「!」
その身体が、真剣に、飛び跳ねたのを、松崎は感じた。あるべきではない所で、腕を掴まれる。その恐怖。
「兄貴!」
かすれた声で、松崎は呼びかける。
「規雄――― 規雄か? お前何でこんなとこにいるんだ?」
「若葉が、俺のとこまで来て、助けを求めたんだ。見なかったか?」
「若葉が? お前、連れてきたのか?」
掴みかかりそうな勢いで、兄は弟を問いつめる。
「違う…… いや、そうだよ」
「逃がしたのに!」
「だけど彼女も何とかしたい、という気持ちがあったから、俺のとこ来たんだ! 俺だって」
「どこから来たんだ。表側からではないな?」
「あんたが昔、俺に教えてくれた側だよ」
「そうか」
ほっとしたように、松崎雄生は息をつく。そして弟の両肩に手を乗せると、真剣な表情になった。
「お前がやって来れた、ということは、何とか今でも向こう側は、人間が通れる道なんだな?」
「え? あ、ああ…… そうだけど」
「だったらいい。お前、これからすぐ、村の人達のところへ紛れ込め」
「え?」
「ここはもうじき、入り口が封鎖される」
「封鎖!」
「爆破されるんだ。既に連中は発破を仕掛けている」
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ、すぐ、かよ? だって今、その昇降機、動いてたじゃないか。セリサイトの採取はもう終わったのかよ」
「セリサイト。よく覚えてたよな。あんなガキだったのに、お前」
松崎兄の顔が、一瞬緩む。
「でも今回のことで、お前がどうやってそれを知ったのか俺はさっぱり判らないんだが、とにかく、今言えるのは、これだけなんだ。村人達を、裏から安全に全員、逃がさなくてはならない」
「兄貴、俺は、あんた程頭が良くないんだ! 順序立てて説明してくれよ!」
松崎、と森田が口を塞ぐ。明らかにその声は大きすぎた。
森田は自分がそのための制止役であることをよく知っていた。この友人は、昔から兄に対して、非常に強くコンプレックスを抱いていたのだ。
若葉が好きであるのは確かかもしれないが、それ以上に、彼女がどうしようもなく、自分には目もくれずに、兄ばかりが好かれていることが、辛かったのだ。
「あんたは、昔からそうだよ。俺が努力してやっとできることが、昔から簡単にできたんだ…… 若葉のことも…… 若葉だって……」
「その若葉が、どこにいるのか判らないうちに、どうかしてもいいのか!」
弟の泣き言を、兄は打ち切った。
「お前の文句も愚痴も、助かってからだったら、一晩中でも聞いてやる。だけど今はその時間がない。いいかよく聞け。ここで俺達を集めて働かせているのは、副知事の遠山氏の部下だ。時々彼もやってくる」
「雄生さん、さっき見かけた外国人は何ですか」
森田は冷静に問いかける。
「あれは、ここで採れたセリサイトを川づたいに海へ運ぼうとする連中だ。そのまま豊橋港から外海に出る予定らしい。あの連中が、もう予定量は充分だ、ということらしいが」
「それだけやないんですか」
ああ、と雄生はうなづく。
「連中は、副知事が副知事であることなど、別に大した問題と思っていない。言葉が通じないことをいいことに、人間も機械も含めた全部をこの山に埋めてしまおうと思っているんだ」
「なるほど」
森田は納得したようにうなづく。
「そら確かに判りやすいわ。しかも規模がでかいですわ」
「感心してる場合じゃないだろ!」
松崎も今度はやや声をひそめる。
「そぉや、してる間はない。―――って雄生さん、今日は副知事は来てはりますか」
「来てる、と思う。もうそろそろ予定が終わるから、その後かたづけ、とか、今後ここが活用できないか、とか関心は持っているようだった」
それは間違いではないんだ、と雄生はつぶやく。
「彼はかつてうち捨てられたここを、再活用しようとした。その発想は悪くない。だけど、そのために外国の手を借りたことが、俺には納得いかない」
「雄生さん、あんたは英語が分かるんや」
少しはね、と彼は苦笑する。
「専門では本を読むために必要だったからな。俺が何とかここまで知れたのは、連中の書き散らしたものを盗み見ることができたからだ。だけどさすがに連中の言葉となるとまるで聞き取れない。早口だし、俗語混じりだ。歯が立たない」
遅いぞ、と片言な言葉が飛んでくる。すみません大なんです、と兄は平気で返す。げらげら、と笑い声とともに、弟にとっては訳の分からない言葉が耳に飛び込んでくる。
「判った。時間がないんだな、兄貴」
「ああ。下手な動揺を避けるために、皆にはまだ口にしていない」
「信じてくれるだろうか」
「今だって状況は悪いんやで。もっと悪くなると知って、助かりたいと思わない奴はないで」
もっともだ、と雄生は笑った。
「向こうの穴を進めば、村人達がとりあえず休憩所にさせられている所に出る」
「そこへ行って、大騒ぎしないように、裏道を教えればいいんだな」
「そうだ」
頼む、と雄生は言って、戻ろうとする。
「若葉は」
「……」
「無茶するなよ、兄貴、若葉が悲しむんだ! あんたに何かあったら!」
判ってるよ、と言うように、一瞬兄は、弟の方を振り向いた。
「行くで」
森田がうながす。松崎もうなづくと、靴のひもをきゅっ、と締め直した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます