10.心配してくれる人がいるのはいいことだ。

「しかしのぉさつき」


 食後、おばーさんと若葉が後かたづけに立った後、じーさんは低い声であたしに呼びかけた。


「何?」

「お前、いつまで越境生やるつもりだ?」

「いつまでって」

「来年で一応、お前が高等生やっていられる期間は終わりだで。その後だ」

「さあ」

「さあってなあ。どこかに落ち着くこともできるだろうて?」

「まだ一年ちょいあるもの。考えたくないわよ」

「一年ちょしかないで。まああの方なら、お前の一人や二人、どこかの管区に入れることはできるだろうが」

「じーさんもこうやって暮らしてるもんね。まあそれはそれで悪くないとは思うけど」

「思うけど? 何だね」

「さあ……」


 あたしは言葉をにごした。


「と言ってもな。お前等が一番下の世代だったでな。お前等が居なくなってしまえば、越境生という形も終わるんだろうな。そうしたら、また別の肩書きで、似たことをやらされるかもしらんて」

「あたしは好きでやってるのよ、この仕事を」

「そうだがな。女の子には危険じゃないかね」

「だから訓練だって、ちゃんと受けたわ。あたしだってケガはしたくない」

「ケガしたことがあるのかね」

「ある…… わよ」


 何となく、言いごもる。慣れてるし、別にあたしのせいじゃないと思うのに、妙に後ろめたい。


「まあわしがどうこう言ったところで、お前さん等は聞かないだろうな。前にうちに来た子も、そう言っとったで」


 じーさんは半ばあきらめた様な顔で、新聞に視線を落とす。と言うか、喋っている間じゅう、ずっと視線は新聞の上にあったのだけど。


「どんなこと、言ってたの?」


 じーさんは顔を上げた。


「そうせずには、おられないんだと」


 同じこと、考える奴がいるんだな、とあたしは思った。


   *


 翌朝。

 さすがに乗り慣れないものに乗った次の朝は、身体が変に痛い。

 自転車で筋肉を使った時の痛みなら慣れている。

 だけどこういう同じ姿勢をずっと続けていたり、飛び回る景色を延々見ていることによる疲れというのは、回復が遅い。

 もっとも、若葉とかが乗ったら、一時間もしないうちに酔ってしまうのが関の山だから、あたしはまだましではあるのだけど。慣れというものは怖いものだ。

 その疲れた身体にえいっ、と気合いを入れると、自転車で学校に向かった。


 始業前のざわめきは、どんな場所でも変わらない。

 だけどさすがに、まだあたしという存在には慣れないようで、赤茶の頭が戸を開けた時、やはり一瞬ざわめきが止まる。

 それでいて、積極的に声を掛けたりしないんだから、情けないったらありゃしない。

 実際、皆何て奥手なんだろう、と思う。

 女の子に免疫がないと言ってしまえばそれまでなんだけどね。

 ―――でもそうでもない奴も居たか。


「おい、森岡」


 何か机の上が暗くなったと思ったら、本を開いていたあたしの頭上から低い声がした。


「あら遠山くん。何?」


 できるだけ素っ気なく、あたしは言い返す。

 周囲の視線がこっちに集まっているのを感じる。あの松崎もそうだ。彼は特に、まだあたしから「本日の若葉ちゃん」の報告を受けていないからなおさらだろう。


「暑いのは判るけど、前くらい閉めたら?」


 乳首まで見えてるよ。


「うるせーな。俺の勝手だろ。それよりお前、昨日車に乗ってなかったか?」


 単刀直入な奴だ。見られる可能性はあるとは思っていたが、こうもすぐに反応するとは。


「乗ってたわよ。それがどーしたの?」


 できるだけ何でもないことのように、言ってみる。

 実際には何でもないことでは決してない。

 自動車を動かせる立場にあるのは本当に限られた人だけだし、その知り合いというのだったら、あたしが一体何なのか、気になるところだろう。


「それがどうしたって」

「だから、ちょっとその車の運転手が、たまたまこのあたりの道に詳しくなくて、教えてくれって言っただけ」

「―――」

「と言ったら、信じるの?」


 にっ、とあたしは笑う。


「授業、始まるよ」


 いつの間にか静まり返っていた教室の外から、足音が高らかに響くのが聞こえる。皆その事実にようやく気付いたようで、蜘蛛の子を散らしたように自分の席に戻った。


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