8.ピクニックがてらの探索。
東永村は、奥三河と呼ばれる方面にある。
文字通り山「奥」だ。
その昔、まだ地区が県という名前だった頃、この場所は、愛知「県」の北東よりの県境に面していたらしい。
「久野さん花祭って知ってる?」
「ああ。何か、伝統的な行事らしいな、ここいらでは有名な… まあ俺はよく知らないが」
「有名らしいね。松崎くんもそう言ってた」
若葉に言われた方面に、とりあえず足を伸ばしてみる。役場や「試験場」がある地域は、この村の中心らしい。
「しかし、よくこの地で田畑なんか作ってきたよなあ」
車から降りた久野さんは、辺りを見渡し、感心する。
「どーして?」
「どうしてって、お前…… こんな山の中で田畑作るってのはすげえ大変なことだぜ?」
「そぉなの?」
「そうなんだよ! 俺の実家はまあ、平地系で、昔から農業も盛んだったから、割と早く、国の政策にそった形になったらしいけど…… こういうとこでは大変だったろうなあ。林業が中心だったのかな」
「ふうん」
言われてみればそうだ。決して大きくはない、でも手入れがきっちりされている田畑には、秋には収穫ができるだろう稲や野菜が風に揺れている。
しかしそれを手入れすべき人々の姿が見えない。
「やっぱり、人がいないのかなあ」
「やっぱり、ってそれをお前、確かめにきたんだろ」
「そーよね」
車に鍵をかけ、あたし達はとにかく役場の方へ足を伸ばしてみた。
あちこちに入った亀裂に、パテを埋め続けてきたコンクリート作りだ。
それこそ立てられた数十年以上前から、修理を繰り返して使っているのだろう。重ねられた塗料もむらだらけだ。時には修理そのものが下手で、ぼこぼこになっている壁もある。
「あ」
門を入って、あたしは思わず声を上げた。入り口のガラスが叩き割られていた。
「ひでえな」
久野さんはズボンのポケットに手を突っ込みながら、そのカケラを一つ足で踏みつぶした。夏だと言うのに、さすが公務員さんは靴だ。きっと底も分厚いのだろう。あたしは素足にサンダルだったので、とりあえずやめておく。
何があったんだろ。周囲にあたし達以外の音がしないことを確かめて、建物の中へと足を踏み入れた。
「何か嫌だねえ、こういう感じ」
ガラスが細かく散らばった廊下や、掛けられていた地図が破られているのを見て久野さんは言う。
「若葉のお父さんは村長だ、って言うんだけど」
「こっちだな」
彼は迷わず村長室へと進んでいく。学校の教室の入り口を思わせる、引き戸の上の黒い木の板。その上に「村長室」と白いペンキで筆書きされている。
すりガラスのはまった戸を開けてみると、やっぱりそこもひどかった。
村長室と言っても、格別立派なものがあるという訳ではない。
応対用のソファには、細かい刺繍のカバーが掛けられている。ていねいな、手作業らしいそれだけは小ぎれいな感じもしたが、古くなってしまった家具を隠す方法でもある。
裏返して言えば、ここの村長は、自分の執務室に無駄な金をかけない、ということになる。
実際、机の上や棚にも、飾りめいたものは一切なく、書類入れや本、記念の写真と言ったものぐらいしかない。
その質素さを裏付けるように、椅子はひっくり返って、中のすり切れた生地をあらわにしている。
椅子だけではない。応対の机もひっくり返され、その上にあっただろう灰皿が床に落ちて割れ、灰と吸い殻を散らばらせていた。
そしてこれはたった一つ、この部屋を色のあるものにしていた、うすもも色のほたるぶくろの花までも、すでに床の上で残骸と化していた。
ここの職員が生けたのだろうか。それとも娘の若葉が毎日やってきて、野の花を選んでいたのだろうか。
つまみあげると、指に乾いた感触があった。仕方ないな、と思いながら、あたしは花を元の場所に置く。
「あれ」
そのそばに、白い石があった。石に――― 見える。何でこんなところに。
「ねえ、外から石が投げ込まれたってことはあり?」
「外から? や、この部屋の窓は――― 石というよりは、何かで叩き割ったという感じだなあ。そう、そこのほうきとか、そんな棒状のもので」
それもちょうど、人の身長に似合う程度に。上の明かり取りの窓には、傷一つなかった。
「何かあったのか?」
「んー、これ」
あたしはその石を彼に見せる。
「もしも投げ込んだとしても、そうゆう石としては、ずいぶん綺麗じゃない? 白いし、何か軽いし」
「軽いといえば軽いけど、宝石って感じじゃないぜ」
「久野さん宝石見たことあるの? 本当の」
「そりゃあ当然だろ。俺はこれでも、特警だぜ」
国内の宝石を密輸させようとする船を取り締まったこともあるのだという。
「その時には結構原石も見たけど、何かそういうのとは違うよな。お」
彼の手の中で、その石はぽろぽろと崩れる。
「ちょっとぉ! 壊さないでよ」
「馬鹿やろ、もともとこいつはもろいんだよ、これ。ほれ」
そう言って、あたしに割れた方のカケラの一つをよこす。粉っぽいカケラは、手にぴた、とつく。
「―――ファウンデーションみたい」
「ふぁん…… 何だって?」
「え? あ、何でもない」
ははは、と笑ってごまかす。軽く冷や汗。ふう、危ない危ない。
その白い粉は、ずいぶんとぴったりとして、あたしの手の甲に少し輝きのある膜を作った。そう、化粧品のファウンデーションのように。
気になった。
*
太陽が真上に上がった頃、お弁当にした。
遠足かよ、と久野さんは言ったが、そうだよ、とあたしは答えた。
「いいじゃない。あたしの持ってきたものなんだから。久野さんも食べようよ。お腹空いてない?」
「そりゃ空いてるけどよ」
「だったらこっち来てよ」
ひらひら、とあたしは手を振る。ちょうどいい、大きな木陰があったのだ。
「それにしてもずいぶんでかい桜の木だなあ」
その木を見上げ、彼は感心したように言う。
「桜?」
「しだれ桜だぜ、これ。うーん、毛虫が落ちてこねえか?」
「落ちてきたらその時よ」
そのままそこに座るあたしに、やれやれ、という顔で彼はつきあう。
でも実際、その回りにちょうどいい木陰がなかったというのも確か。こんな夏の炎天下で、お弁当というのは。
竹製のかごのふたを開くと、そこにはもう一回り小さいかごが二つ入っていて、片方にはおにぎりが、もう片方には冷やした煮物が入っていた。
「食べてよ。せっかく持ってきたんだから」
「お前が作ったの?」
「まさか。あたし料理下手だもん」
「よくそれで、高等まで来れたよなあ。中等の家政の授業は結構ちゃんとしたもの作ったぜ。俺でもやったぞ」
「人には向き不向きってのがあるの! あたしは料理は別に才能なくても良かったもん。それに、おにぎりは何っか苦手なのよね」
「俺でもにぎれるぞ。こう、三角の」
手つきを器用にやってみせる。
「じゃあ今度作ってよ」
「それとこれとは」
「同じだよ。約束だからねー」
守られるとは、期待してはいないけど。
「あ、このかぼちゃの煮物美味しい」
「どれどれ」
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