そしてフェリシア姫との約束の満月の夜、氏忠は月明かりの中で、姫に示されたホーデムトーレンの塔に向かって宮殿の建物沿いに歩いていた。

 なぜこんなところを姫は指定したのか……いぶかしげに思いながら歩くうちに、丸い塔の下に月明かりに白く輝く長い衣を着たフェリシア姫の姿が見えた。比喩ではなく、もう実際に輝いていた。その姫は氏忠の姿を見て、ほんのりと頬を赤らめていた。

 氏忠は姫からもらった剣を帯びてきている。ところが姫は、リュラーを抱えていた。

 氏忠はしまったと思った。リュラーを持ってくればよかったと一瞬後悔したが、氏忠の顔を見ていつになく微笑みを見せた姫の顔に、そんなことはどうでもよくなった。

 だが、姫の微笑みはほんの一瞬だった。

 しばらく無言で向かい合って立つ二人だったが、また姫の目には涙が浮かんでいる。

「私は……」

 何か言いたそうだけれど、言葉にならないようだ。氏忠も息をのんだ。胸が高鳴った。

「もう、おぬしとは会えぬ」

「え?」

「これが最後じゃ」

「えっと……」

 どう答えていいか分からない。しばらく沈黙がった。姫は目を伏せている。そしてすぐに目を挙げた。

「もう、会わぬ方がよい。会ってはならぬ」

「それは魔法も武芸もすべて伝授し終わったから……ですか? でも……」

「いや……、それだけではなく……」

 姫はまた目を伏せる。

「こうして二人きりで会うのは最後なのだ。城の中にいればまた顔を合わせることもあるだろう。しかし、もう話しかけぬ。おぬしも話しかけないでくれ」

 氏忠はわけが分からなかった。しかし姫の申し出には、なんか深いわけがありそうな気だけはしていた。

「死んだらカエルームでぜひお会いしたい」

 カエルームとは何か……氏忠は分からなかった。ただ、死んだらと言っているところから、あの世でとか来世でとかそういう意味なんだろうと推測はできた。

「そんなの、もっと先のことではありませんか。縁起でもない。まあ姫様も僕よりわか…」

「危ない!」

 突然姫は叫んで氏忠を突き飛ばした。

 弾き飛ばされて地面の上で何回転かした彼が目を開けると、すぐそばにフェリシア姫がうつぶせに倒れていた。咄嗟に彼は状況がつかめなかった。姫の背中には短剣が刺さり、おびただしい量の血が滲み出て、白い衣を赤く染めている。苦しそうに、姫は唸っていた。

「姫様っ! 大丈夫ですかッ!」

 慌てて起き上がって駆け寄った氏忠を、姫は苦痛にゆがんだ顔で見上げて睨んだ

「大丈夫ではないわい! それより後ろ!」

 はっと振り返ると、また氏忠めがけて短剣が二つ、三つ飛んできた。それは転がってかわしたが、氏忠はすぐに防御魔法を発動した。さっと青く光る円形の魔法陣がいくつも現れ、次以降の短剣はそれですべて弾くことができた。そして意識を集中する。敵はどこに何人いるのか……

 するとすぐ近くの木の枝の上に三人、短剣は腕で投げているのではなく攻撃魔法で発しているようだ。さらにもう少し遠くに、敵は何人もいるように感じられた。

 氏忠は攻撃魔法に切り替えた。両手を敵のいる方にかざし、力を噴出する。今度は大きな黄金の魔法陣が現れ、その中心から何本もの槍が木の上の闇の中に消えていった。

 手ごたえはあった。ちょうど三つの人影が、木の上から落ちるのを感じた。

「姫様、お気を確かに!」

 氏忠は叫んだ。もう姫は息絶え絶えになっている。ところが、姫を介抱するいとまを与えまいとするかのように、さっきは少し遠くにいた敵が近くに迫っている気配がある。物陰からじっとこっちをうかがっている。そして人影らは手に短剣を持って一斉に氏忠に飛びかかってきた。氏忠が防御魔法を張っているので、魔法による攻撃はかえってもどかしいと思ったのだろう。

 氏忠は、腰の剣を抜いた。重みのあるずっしりとして鉄剣だ。

 近くで見る敵は、全身黒装束だった。体の線にぴったりの服を着ており、頭部も目以外はすべて黒で覆われている。男か女かもわからない。短剣を手に飛びかかって来て斬りつけてくるので、氏忠は剣で短剣を払った。そしてその体を切りつけようとするが、敵は巧妙に飛び跳ねてかわし、落ちざまにまた斬りつけてくる。

 ここでこれだけ戦闘をしていたら宮殿の方で誰か気がつきそうなものだが、ここはボーデムトーレンの塔の陰になって、宮殿の総ての窓から死角になる。

 姫は氏忠との密会を人に見られたくなかったので、あえて誰からも見られる心配のないこの場所を指定したのかもしれない。だが、それが裏目に出た。

 敵は四人。一人で四人を相手にするのはさすがに厳しい。

 氏忠は肩で息をしていた。完全に囲まれてしまった。

 さらに一人が斬りかかり、それをはねのけている間もなくもう一人が斬りかかってくる。

 金属音が響き、氏忠の体が宙を舞う。なんとか相手の背後に出たいのだが、なかなかうまくいかない。ただそうとう長い時間、金属同士がぶつかり合う音が響き続け、四つと一つの人影はちょろちょろと入り乱れて、さらにぶつかった。

 そしてまた氏忠は包囲され、一人の短剣が氏忠に振りおろされようとした。

 ――もはやこれまでか……、氏忠はぎゅっと目をつぶった。

 その時、姫が近くに落ちていた短剣を拾い、うつぶせに倒れたまま渾身の力でその短剣を敵の一人に投げつけた。短剣は敵の胸に当たった。

 その敵はどっと倒れる。別の敵がそれを見て怯んだすきに、その敵の胴体を氏忠は斬りつけた。

 血しぶきをあげて、その敵も倒れた。

 ようやく異変に気付いたのか、宮殿の入り口を警護する衛兵たちが駆けつけてきた。

「何事ですか?」

 その声を聞いて、他の二人の敵は顔を見合わせた。

「引け!」

 二人は一目散に闇に消えていった。

 そこに駆けつけてきた衛兵に向かって、氏忠はすくっと立った。

「姫がやられました! まだ息はあります。早く人を呼んで来て、宮殿の中に運んでください!」

 非常事態に驚いた衛兵は、慌てて宮殿の方へと走っていった。

 そこで氏忠は姫の脇にかがみ、手をかざして治癒魔法を施そうとした。

「無駄だ。まずはこの短剣を抜かないと治癒魔法は効かない。でも、今短剣を抜くと血が噴き出して止まらなくなり、私は即死だ」

 苦痛の中にも、ほんの少し苦笑いのような表情を姫は見せた。

「姫様! 僕はどうしたらいいんですかッ! 死なないでくださいっ!」

 氏忠は気が動転して、ただ叫ぶしかなかった。

 そこへ、衛兵が五人ほど、担架を持って駆け付けてきた。そして倒れている姫の顔を見て、さらに驚きの声を挙げた。

「フェリシア姫!」

 何ごとかという感じで、衛兵たちは一斉に血みどろの氏忠を見る。すると姫が、やっとの息でとぎれとぎれに衛兵に言った。

「常々警戒していたのだけれど……やられた……。敵の正体は……見当がついている……。親玉はあいつだ……」

「敵の正体とは? あいつって?」

 氏忠が慌てて聞いた。なぜなら、あの状況はどう考えても狙われたのは自分である。姫は自分をかばって、いわば自分の身代わりになって深手を受けた。本当なら自分が殺されていたはずなのだ……誰に何の理由で自分は殺されなければならないのか……そう思うと、氏忠はどうしても敵の正体を知りたかった。

「結界で……守られているこの城に……自分の手下を……こんなにも簡単に侵入させることのできるのは……あいつしかいない」

 衛兵たちも焦っていた。

「姫様! もうあまりお話にならないで!」

 彼らはとにかく姫を一刻も早く担架に乗せ、宮殿の中に運びたいのだ。氏忠は一歩下がり、焦る気持ちを抑えて衛兵たちが姫を担架に乗せるのを見守っていた。

 まさかこんなことになるとは……氏忠は、気が気ではなかった、自分を守るために傷ついた姫が、まさかそれで命を落としたりしたら、その嘆きと怒りをどこにぶつければいいのか分からない。

 氏忠は手にぶら下げるように持っていた血みどろの剣を鞘におさめ、地に落ちていた姫のリュラーを拾った。担架は衛兵たちに担がれ、ゆっくりと宮殿の入り口の方に向かった。

 悲しんでばかりもいられない。まだどこに敵が残って潜んでいて、いつ攻撃を仕掛けてくるか分からない。今は衛兵が五人もともにいるのだからその可能性は低いかもしれないが、用心に越したことはない。

 そうして宮殿の庭に出る入り口から、宮殿の廊下に入った。騒ぎを聞いて、駆けつけてきた人々がそこで待ち受けていた。

 氏忠はひと安心だった。宮殿の中に入れば敵も襲ってはこないだろう。

「担架をおろして……ちょうだい」

 姫は最後の力を振り絞ってという感じで、担架を運ぶ衛兵に頼んだ。

「少し、離れて」

 いくらこういう瀕死の状況であるとはいえ、皇女の言うことに誰も逆らうことはできない。担架をおろして少し下がる人々とともに、氏忠も下がろうとした。

「氏忠は……ここにいて」

 氏忠まで人々といっしょに離れてしまったら、何のために人々を離れさせたのかということになってしまうと、機敏に氏忠は察した。

 すると、うつぶせに横たわっている担架の上でもぞもぞと姫は自分の衣の中を探り、すぐに小さな玉を取り出した。手の中に入るほどの透き通った水晶の玉だった。胸の方に入れていたのか、血で汚れてはいない。

「あなたの心が……これからも……私にあるなら……、私が死んでも……この玉をずっと……肌身離さず持っていてほしい……。あなたのお国に……帰ることがあっても……、必ず持って行って……。そして……、あなたの国で……この玉を私だと思って……、ハッセの聖堂で祈りを捧げて……。そうしたらきっと……もう一度……、私はあなたと……」

 言葉はそこまでだった。ハッセって何だ?などと考えている余裕はなかった。

「フェリシア姫!」

 氏忠の叫び声を合図に、離れていた人々も一斉に姫の担架のそばに駆け寄った。

 その時、姫のそばにあった姫のリュラーが宙に浮き、そのまま窓を突き破って遥か空の彼方へと飛んで行って消えた。その不思議な現象に呆気にとられている場合ではなかった。

 姫は全身の力を失った。

 もう、息はしていなかった。姫の目は、氏忠によって閉じられた。

「フェリシア姫ぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 泣きじゃくって氏忠は遺体にすがった。衛兵の将らしき男は、部下に叫んだ。

「早く皇帝陛下とお后様にお知らせして!」

 氏忠は今姫からもらったばかりの玉をしっかりと両手で包むようにして持ち、姫に黙とうをささげた。そしてその場に、泣き崩れた。


 廊下の向こうから、大勢の侍従たちがすごい勢いでこちらに走ってくる。

 皇女の姫君の死を知って、かなり慌てているらしい。

 ところが、先ほど皇帝陛下に姫の死を知らせに言った衛兵とは、反対の方の廊下から駆けてくる人たちだった。姫の死を知るには早すぎる。

「皆のもの、宮殿内にいるものは一人残らず大広間に集まれ!」

 やはり姫の死によってみんな集められるのか……氏忠はもう頭がもうろうとして、ぼんやりそんなことを考えながら立ちあがった。

「それとフェリシア姫のお姿が見当たらないのだが、誰か存じ上げていないか。離宮にもおられない。姫様にも大広間に……」

「え?」

 侍従の意外な言葉に氏忠がはっとしたのと、そこまで叫んでからその侍従が廊下に置かれた担架の上の姫の姿を見つけたのはほとんど同時だった。

「こ、これはいったいどういう……?」

 侍従は自分が捜していたフェリシア姫の変わり果てた姿に、目を見開いた。だがとりあえずそれはそれで、すぐに頭をあげて叫んだ

「皇帝陛下が、ご危篤であらせられる!」

 人びとはどよめいて、姫の担架を運ぶ衛兵以外は皆大広間へと急いで行った。


 第二皇女フェリシア姫が不意に命を落としたその翌日の朝、フルメントム帝国の皇帝プリオリウス・リーフェフット三世は崩御した。病による衰弱死だった。このことは即日、帝国じゅうに知らされて、帝都をはじめ全国に戒厳令が敷かれた。だが、宮殿の中は悲しみに包まれている余裕はないはずだ。これから一連の葬儀の準備から公表、そして皇帝の国葬、続いてフェリシア姫の葬儀と息をつく暇もないこととなり、続いて皇太子の即位戴冠式となる。

 今は宮殿内の一室を殯宮もがりのみやとして皇帝の遺体は安置されているし、フェリシア姫の遺体も別の部屋に安置されている。残念ながら氏忠は外国人であるということで、殯宮への参集は許されなかった。これがすでに仕官して官職を持っていれば話は別だったであろうが、間に合わなかったのである。

 氏忠は、自分の部屋でおとなしく、ことのなりゆきを見るしかなかった。

 だが、皇帝崩御の翌日、レンブラントが氏忠のもとに来た。

「お后様と皇太子様のお召しです」

 まるでこれまでの皇帝からのお召しを告げるのと同じような口調だった。

 フェリシア姫の死について何か聞かれるのかと思いつつも、氏忠はレンブラントに続いて廊下を歩き、皇后のいる部屋へと向かった。

「氏忠、大変なことになりました」

 召されたのは皇后の私室で、中央にある椅子に皇后は悲痛な顔で座っていた。それでも美しさは損なわれない。皇帝との年齢差もかなりあったようだ。氏忠から見ても、母親というよりも年の離れた姉といった感じだ。その隣の椅子には、皇太子ニコラス皇子が座っている。

 言われなくても大変なことになっているのは氏忠も分かる。何しろ皇帝陛下が亡くなり、その直前には皇后にとって唯一の娘であるフェリシア姫が何者かに殺された。本当なら、半狂乱になっていてもおかしくない皇后だ、いや、氏忠の見ていない所で実際そうなったかもしれないが、今はなんとか威厳を保っている。ここはその心中をお察し申し上げるべきだと、氏忠は返事の言葉を選んでいた。

 だが、次の皇后の言葉はさらに緊迫した事態を告げるものだった。

「次の皇帝の座を巡って、今やこの宮廷は真っ二つどころか三つにも四つにも割れています」

「次の皇帝って?」

 氏忠は顔を挙げて皇太子を見た。フェリシア姫にとって母も同じ弟である。たしかにまだ十歳くらいのようで、皇帝になるにはおさなすぎるかもしれない。

「宮中では、大人たちが変な噂を流しています」

 皇太子が語ったのは、フェリシア姫からも聞いたあの噂だ。つまり、皇后が皇帝を毒殺しようとしていて、皇帝が失明したのもその毒のせいだと。

「そのような偽の情報を流したものは誰か、見当は付いております」

 フェリシア姫もそう言っていたが、そのデマを流した者こそがフェリシア姫を殺害した、いや、本当は自分を殺害しようとした張本人なのかもしれないと氏忠は思った。

 しかし、それは誰ですかなんて口を挿むのはこの国の内部事情に干渉するようで、氏忠にはためらわれた。が、こと自分の身が危険にさらされたことにも関与するので、他人事ではない。だから、自分には聞く権利があると、氏忠は口を開きかけた。

 その時である。

「お后様!」

 部屋に四、五人の人たちが乱入して来た。皆かなり身分の高そうな人たちで、宰相クラスではないかとも思われた。ただし、この国での宰相というのは氏忠の国とでは意味が違い、氏忠の国でいう右大臣や大納言のことを指すらしい。

「ブリンクマン卿、ヴェステンドルブ卿、メルテンス卿、どうなさいました?」

「例のとんでもない噂が、いまや公然とささやかれて」

「いや、ささやかれてなどという状況ではない。皆公然と話題にしております」

「その現場も押さえております。言いふらして回っていたのは、メーレンベルフ伯の配下のものです」

 メーレンベルフ伯……? 氏忠にとっても聞いたことのあるような名だった。だが、すぐには思い出せなかった。それよりも氏忠は、今自分がこの場にいてよいものかどうかも判断がつかなかった。しばらく迷ったが、皇后に一礼して退出しようとした。

「氏忠。あなたもいてください。あなたへのお話はまだ終わっていません、この状況をあなたにも見ていただきたい」

 宰相たちはここで初めて氏忠がいることに意識を向けたようだで、本来なら他国のものとてすぐに退出願いたいところだろう。だが、皇后に先に釘を刺されてしまった。

「氏忠。ご覧のように今この国は内乱の危機を孕んでいます。戦争になるかもしれないのです。遠い外国から来られたあなたを不本意ながら巻き込んでしまうかもしれません。まずはそのことを先に詫びておきます」

 優しいながらも凛として、皇后は言った。そして皇后はすくっと立ち上がった。皇太子も立った。皇后は氏忠のそばまで来ると、立て膝で畏まっていた氏忠をも立たせた。

 その目はまっすぐに氏忠の目を見ていた。思わず胸の高鳴りを感じ、なぜか懐かしさがこみ上げて涙がこぼれそうになる。

「どうか私を、そして皇太子を見捨てないでください」

 かつて在りし日の皇帝からも、氏忠は同じようなことを言われた。ここで自分は皇后と皇太子に忠誠を誓うべきなのか……それはやぶさかではない。だが、そのような義務が自分にはないのも確かだ……少なからぬ葛藤に、ただ涙を流すことしか返事のしようがない。

 見ると、なぜか皇后も泣いていた。

「ご注進!」

 衛兵が一人、走り込んできた。

「メーレンベルフ伯からの書状がまいっております」

 すぐにそれに続いて、やはり身分の高そうな貴人が小さな箱を持って入ってきた。

 箱の中には紙に書かれた書状のようで、まずは皇后がそれを読み、頭を抱えて卒倒しそうになり、なんとか椅子に座った。そして次に皇太子がそれを見て目を見ひらき、その場にいた宰相たちに次々に手紙は渡された。

「おお」

「ついに」

 宰相たちはため息をついた。もちろん、その手紙が氏忠にも回ってくるはずもない。氏忠は椅子の上でうなだれている皇后を見た。皇后は目を挙げた。そして唸るように言った。

「ついに来ましたね。メーレンベルフ伯」

 氏忠はこの時になってやっと、メーレンベルフ伯とは誰か思い出した。あの皇帝に最初に召されたお茶会の時、氏忠の仕官のことで突然激昂して中座したあの皇帝の弟、エティルンド王メインデルトのことだ。

 あの時は、フェリシア姫とも火花を散らしていたのも思い出した。

 すると、自分を殺そうとし、さらにフェリシア姫を実際に殺してしまったあの黒装束の男たちはメーレンベルフ伯の手のものだったのだ。

 黒装束は誰の手下かフェリシア姫は見当がついていると言い、また皇后についてのありもしない噂を流したのが誰かも知っていると言った。それは先ほど宰相がメーレンベルフ伯であることを言明したし、そうなると間違いなく氏忠はその皇帝の弟に命を狙われていたのだ。氏忠の外国人でありながらの仕官を、そんなに根に持っていたのか……? いや、根はもっと深いようにも感じられる。

 そのメーレンベルフ伯からの手紙には、何が書かれていたのか…。氏忠には聞くに聞けない。

 その時、宰相の一人、メルテンス卿と呼ばれた人が叫んだ。

「メーレンベルフ伯からこんなにもあからさまに宣戦布告状が届いた以上、我われもすぐに臨戦態勢に入らねば」

「お后様、すぐに軍勢を差し向けましょう」

 ブリンクマン卿も叫んだ。皇后はうなずいた。

「兄上を、ウーレンベック将軍を呼んで頂戴」

 メーレンベルフ伯から皇后と皇太子に対する宣戦布告状……おそらくは次の帝位を自分によこせという挑戦状でもあるのだろう。それに対する出兵。

 今やこの国ではとうとう内乱が勃発した。場合によってこのまま全面戦争に突入する可能性も少なくない。亡き皇帝やあの老人が言っていた通りだ。

 氏忠は、ただ茫然とたたずんでいた。

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