王子の抱擁

「七生、今日バイト休みだろ?遊びに行こうぜ」

 友人にそう声をかけられ七生は二つ返事で請け合った。

 七生の学校の最寄駅は学生向けに売店が幾つかあるだけの小さな駅で、遊びに行くと言えば一駅向こうの主要駅まで足を伸ばすことになる。

 そこは諒太郎の学校の最寄駅であり、普段諒太郎が利用する駅である。今日はバイト先が定休日であり、当然諒太郎も休みだ。つまり、この駅近辺でぶらぶらしていれば諒太郎に会える可能性があるのだ。

 それはものすごく少ない確率ではあるが、もしかしてと思いながら過ごすだけで楽しかったりするのが片思いというやつだったりする。

 さすがに週の半分以上はバイト先で顔をあわせることができるので、何の用事もないのにそこをぶらつくほど諒太郎に飢えているわけではないが、大義名分があるのであれば期待を胸に喜んで出かけていく。


 いつもつるんでいる友人たちと6人で肩を並べ、どうでもいいくだらないことを喋りながら駅を出ていつものゲーセンへの道のりをダラダラと歩く。その間も七生はどこかに諒太郎がいないものかとさりげなく周辺に視線を走らせた。


「…わ、マジでいた」

 神様は俺に惚れているんじゃないかなと、七生はちょっと本気で思った。正面から見慣れた姿が駅に向かって歩いてくるのだ。少し下をうつむくようにゆっくり歩いていて、七生に気がつく様子はない。

 諒くん、偶然だねと声をかけて手を振ろうと思ったのだけれど、諒太郎の様子が少しおかしいことに気がついて咄嗟に引っ込めた。

「ごめん、俺やっぱ今日パスするわ。用事ができた」

 隣を歩く友人の肩をトンと叩いてじゃあねと手を挙げる。

「ちょ…おまえ急にどうした?」

「あれじゃね?例の片思いしてる子でもいたとか」

「マジで?どれどれ?俺も見てえ」

 にわかに盛り上がり始める友人どもを振り切って、七生は小走りで諒太郎に駆け寄る。遠くから見たときは元気が無くしょんぼりした様子ぐらいしかわからなかったのだが、近づくにつれ泣いているのだということがはっきりする。


「諒くん?どうした?」

 声をかければ、顔を上げた諒太郎は「ああ、七生じゃん」といつもみたいににこりと笑みを作る。ぼろぼろと涙をあふれさせながら、まるで自分が泣いていることに気づいていないみたいに笑う。それは声を上げて号泣するよりも痛々しく、七生は駆け寄ると同時にその顔を抱きしめて自分の胸に押し付けた。背後からの興味津々な友人たちの目から諒太郎を隠したかったのもある。

 諒太郎は抵抗もせずおとなしく七生の腕に抱かれていた。普段の諒太郎だったなら今頃突き飛ばされるか殴られるかしているだろう。前に一度、ちょっと度がすぎるいたずらを仕掛けてから諒太郎は七生に触れられることをわりときっぱりと拒むようになっていたのに、今日の諒太郎は全くの無防備で、おかしい。

「ねえ、大丈夫?」

 抱きしめながら背中をトントンと叩くと、それを合図にしたみたいに諒太郎の口からかすかに声が漏れる。

 それは嗚咽だった。声を上げて泣きそうになるのを必死でこらえながら、それでも時折喉の奥からぐっと漏れ出すのが触れている胸から伝わってくる。しゃくりあげるように震える背中を、どうすることもできずただ抱きしめ続ける。

 そのままどれぐらいの間そうしていただろうか。少し落ち着いたかなという頃合いを見計らって七生は腕をほどき、場所変えようかと諒太郎の腕を引き、早足でその場を離れた。随分と人の視線を浴びたような気がするが、そんなことを気にしている余裕は七生にも諒太郎にもなかった。




 近くの公園はありがたいことに人気がほとんどなかった。二人並んでベンチに座り、見えるのは遠くの方で犬の散歩をしているおばさんと、砂場で幼い子供を遊ばせているお母さんぐらいだ。

 諒太郎の身に何が起こったのかとても気になるが、あの諒太郎がこんなにまでなるぐらいのことを自分が突っ込んで聞いてもいいものかどうか、七生は悩む。何と声をかけたらいいのかもわからない。ちらりと顔を見やれば、涙はとりあえず止まったみたいだ。カバンからタオルを出して涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔を拭っている。

「なんか、ごめん、七生」

 恥ずかしいのかタオルを顔に当てたまま、くぐもった声で諒太郎が言う。

「いや、俺は、全然」

「ちょっとすっきりした、気がする。ありがと」

 諒太郎は息を整えるように、数回大きく深呼吸をした。

「俺さ、ふられちゃった」

 自らそう告白をし、自嘲するように笑った。そして思い出したらまた泣けてきたのか、タオルにぐっと顔を埋める。

 それっきり、詳しいことは何も言わなかった。

 定休日であっても諒太郎が店長に会いに店に遊びに行っていることは七生も知っていた。そこで店長と何かがあったのだろう。店から駅までずっとああやって泣きながら歩いていたのかと思うと、七生も胸が痛い。

(何やってんだ、あの人は)

 恋敵の顔を思い浮かべて心の中で毒づいた。二人の関係がどうなっているのかはっきりしたことは知らないが、七生が知る限り店長の方もその気があるように見えたのだ。自分には入り込む余地なんてないのかもしれないといつもそう思っていた。

(なのにあんたが手放すんだったら、俺が…!)

 二番手は自分だなんて自惚れているわけではない。ただ自分が守りたいと強く思ったのだ。

 諒太郎を傷つける店長への憤りと、溢れ出す諒太郎への恋心と、それから諒太郎を元気付けたい思いと、そんなものがごちゃまぜになって七生を煽る。

 ぐっと、諒太郎の肩を抱いて引き寄せた。

「だったら俺と付き合わない?」

 色気も何もない、勢いに任せた告白だった。七生らしくなく、不恰好なやり方だ。それでも七生の心からの思いだった。

(あの人を想っても泣かされるのなら、俺を見ればいい。傷つかなくていいから、俺を見て)

 諒太郎は驚いたようにタオルから顔を上げ、まだ潤む目で七生を見た。

「弱ってるとこ付け込むとかずるいけど、俺本気だよ?」

 諒太郎が自分のことを何とも思っていないなんて最初から分かっていた。自分を好きにならなそうなところに惚れたと言ってもいい。告白したって答えはわかりきっている。それでも、今このタイミングで言うしかないと思った。

「付き合ってるうちに俺のこと好きになるかもしれないし、今は俺のこと好きじゃなくてもいいよ」

 それは半分本気で、そしてもう半分は七生なりに落ち込んだ諒太郎を元気付けようとしてやったことだった。あの人だけに縛られている心をちょっとでも別のところに向けられれば、気が紛れるのではないかと思ったのだ。あわよくばそれが七生に向くように儚く願いながらも。

 ねだるような目でじっと諒太郎を見つめると、諒太郎は困ったように視線を揺らした。

「ごめん、七生。俺やだ」

 目をそらしつつ、けれど強い口調で諒太郎は言い放つ。

(ああ、痛いな)

 わかっていてもきっぱりお断りされるのは辛い。よく考えればふられるのは七生の人生初なのだ。これまでに感じたことのない痛みが七生の胸をぎゅっと圧し潰す。

 それでも七生は笑った。

「うわー、やだってひどいな」

 抱いた肩を離して軽く両手を挙げ、おどける。

「あっ、ごめ…」

「俺もふられた~。お揃いだね、諒くん」

 あははと七生が笑うと、つられたように諒太郎も表情を緩めた。

 諒太郎が少しでも元気になってくれたらそれでいい。

(今更俺がふられたところで、今までと変わらないし)

 ふられたのが自分だけじゃないと思うことで少しは気が軽くなるかもしれない。慰め方がわからなかった七生の苦肉の策だ。

 ちょっとだけ本気だったけど。実は結構身を削っていたけど。

(いいんだ、諒くんが笑ってくれたらそれで)

 胸の中でジタバタともがく恋心に、これでいいのだと言い聞かせる。

「バイトは続けるよね?俺は、諒くんがやだって言っても続けるよ」

「続けるよ。大丈夫」

「やめたら会えなくなっちゃうもんね。それはやっぱりやだな、俺も。今の環境、結構気に入ってるんだよ」

「うん、俺も、好きなんだ、バイト」

 その目は赤く、少し腫れぼったくなっていたけれど、それでも自分を元気付けるみたいに笑う諒太郎は可愛かった。今ふられたばかりだというのに、思い余ってその頭を撫でてしまう。慈しんで触れてしまう。諒太郎は少し不満げな目で七生を見るが、文句を言うでもなく、その手を払いのけるでもなく、その行為を受け入れる。迷惑をかけたという負い目でも感じているのかもしれない。

「もう少しここで時間潰してから帰るから、七生は先に帰っていいよ。俺は平気だから」

「どうせ暇だし、付き合うよ」

 少しぐらいの役得があったっていいだろう。どうせ今だけなのだから負い目に付け込んだっていいだろう。

(俺だって君のそばにいたい)

 望みなんてなくたって、たった今ふられたばかりだって、思いは消えてなくならない。

「こんなところに一人で座ってるより俺がいた方が怪しくないだろう?ほら、一緒にゲームして遊んでるフリでもしとこうぜ」

 ポケットからスマホを出し、諒太郎にもそうするよう促す。

 諒太郎は少し迷惑そうな顔で、それでも小さく「ありがとう」と言った。





 次の日からもちゃんと諒太郎はバイトに来ていたが、あまり調子は上がらないようだった。ふられた相手がすぐそこにいるのだ、うまく笑いたくても笑えないのだろう。七生も状況としては同じわけだが、そこらへんは性格の違いというか関係性の違いというか、いつも通りに振る舞えている。もともと望みがないことはわかっていたのだからダメージが少なかったのかもしれない。

 なんとか普段通りに仕事をしようと頑張っている諒太郎の姿が痛々しく、できる限りのフォローはしているが、こんなことが2、3日続けばそろそろ客も異変を感じるようになってきていた。


「ねえ、七生くん、諒ちゃんのあれ、どうしたか知ってる?」

 この人がすぐに気づかないわけがない。これまでハラハラしながら見守っていたのだろうけれど、さすがにこれは仕事に支障が出ると考えたのか、しびれを切らしたように晋平がこそっと七生に耳打ちする。

「詳しいことは知らないですけど、ふられたって言ってましたよ」

「ええっ!」

 珍しく晋平が大きな反応をする。どこまでのことを知っているのか、七生にとって晋平は全く未知数であるが、この人が驚くというのだから七生の感覚もあながち間違ってはいないのだろう。誰に、とはお互い口にしないけれど、思っていることは多分同じだ。

「ったく、なにやってんだか」

 深い深いため息をついた晋平は、頭痛でもしたのかこめかみの辺りをグリグリと細い指で揉みほぐした。

「なんかごめんね、とりあえずできるだけ諒ちゃんのフォローしてあげて」

「はい」

 晋平に言われなくてももちろんそのつもりだし既にそうしている。助けてあげたいと心から願うけれど、七生ではダメなのだ。諒太郎の心を落とすのも上げるのもいつだってあの人だけなのだ。そんなことは嫌という程わかっている。力ない自分にも、何を考えているのかよくわからない店長にも、苛立つ。いつだって元気で純粋で真っ直ぐなところが諒太郎の魅力なのだ。元気がない姿は見たくない。ちゃんと曇りなく笑っていてほしい。

「大きな男になりなさいね」

 七生の苛立ちを感じ取ったのか、晋平はそう言って七生の背中を優しく叩く。この人といると何でも見透かされているようで少し居心地が悪い。嫌いなわけでも苦手なわけでもないが、自分の子供っぽさを浮き彫りにさせられるのが嫌なのだ。それは憧れでもある。

(大きな男、か)

 そうありたいと願う。好きな人の笑顔を守れるぐらいに。

 たとえその心が他の人に向いていたって全部包み込めるぐらいに。

 難しい恋を選んだのは自分なのだから。

 ぐっと拳を握り、七生は女性客に話しかけられ少し戸惑っている諒太郎の元へ駆け寄った。



<終>

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