予感
「あら、リョータロちゃん。終わったのにお店に直行しないのは珍しいわね」
放課後、誰もいない図書室でカウンターに座ってぼんやりしていた俺の目の前に、視界を遮るようにすっと本を差し出したのは仲良しのヒロだった。
「行きたいのはやまやまだけど、当番だから仕方がない」
学校が終われば一秒でも早く千紘のいる店に飛んでいきたいのだが、真面目に学校生活をしていればそうはいかないこともある。深く考えもせず、なんとなくのんびりして楽そうだからと選んだ図書委員だったが、月一程度のペースで放課後の当番が回ってくるのが想定外の痛手であった。高々30分かそこらの当番であるが、それだけ千紘との時間が短くなるのだ。片思いの俺にはたった30分とはいえ貴重な貴重な時間だ。けれど、なってしまった以上、仕事を放棄するわけにもいかない。そこまで考えなかった俺が悪いのだ。
「ヒロこそ、キョウヤと一緒じゃないのは珍しいじゃん」
「別に四六時中一緒にいるわけじゃないわ。本を返しにきただけだしね」
ヒロはそう言ったけれど、だいたい四六時中一緒にいる気がする。キョウヤがストーカー並みにヒロの後をついて回っているのだ。学校という長い時間を過ごす場所で一緒にいられる二人が羨ましい。その上放課後だってしょっちゅう二人で一緒にいるのだ。俺が千紘と一緒に過ごせる時間の倍ぐらいは一緒にいるのではないだろうか。千紘が学生である事なんて想像もできないが、同級生と恋愛する事の強みというものをこんな時ひしひしと感じる。
「ねえ、一度ちゃんと聞いてみたかったんだけどさ、ヒロとキョウヤは付き合ってるの?」
傍から見ていればそれはラブラブカップルのようであるが、実際のところどうなのかはっきり聞いた事はなかった。彼らが男同士だからと言う事もあるが、それ以前に恋愛話を俺たちの間ですることがほとんどないのだ。いつだって集まればバカな話で盛り上がっている。あんまりヒロと二人きりで話すということがないから、いい機会だと思ったのだ。他に図書室には誰もいないし、誰かが来る気配もない。わざわざ当番を設けているが、仕事はほとんどないのが実情だ。
「やだ、リョータロちゃん。付き合ってないわよ」
「そうなの?だってキョウヤはヒロが好きだし、ヒロもキョウヤが好きでしょ?」
「男同士だもの」
「え、それを俺に言う?」
俺が千紘に恋している事は仲間内にはすっかりバレている。男同士の恋愛だからどうだとか、そんなことを言うやつはいつものグループの中には一人もいない。むしろ腐女子マキの妄想の餌食になって喜ばれるぐらいだ。なぜいつまでもヒロがこだわっているのか、そちらの方が俺には謎だ。せっかく両思いなのに。
「そんな事関係ないってリョータロちゃんなら言うでしょうね。でもそう簡単じゃないのよ」
人の思いは複雑だ。いろいろあるのだろうとなんとなく察する。俺から見たらただただ羨ましい状況であるが、それが万人にとって幸せであるわけでもないのだろう。
「ねえ、ヒロ、両思いってどんな感じ?好きな人と付き合えるってどんなだろう。俺実は誰とも付き合った事ないんだよね」
「そうなの!?リョータロちゃんモテるのに」
「俺、自分が好きじゃないと、そういうのできないから」
「あら真面目」
「ヒロはある?」
「あるわね。長続きはしなかったけど、中学の時に何人か」
「キョウヤが聞いたら発狂しそう」
「でもきっとキョウちゃんのが経験豊富よ」
「マジ?あんなおバカなのに?」
「おバカだからじゃないかしら」
ヒロの発言に俺は少なからずショックを受けた。高校二年生にもなれば、過去に彼女の一人や二人、いるのが当たり前なのだろうか。告白された経験は結構あれど、付き合ってみようと思った事は一度もなかった。
「そうだよな、俺ら周りに人が寄ってくる連中ばっかりでつるんでるんだった。あんまり普段が普通過ぎて忘れてたわ」
「リョータロちゃんはピュアで可愛いわよね。羨ましいわ」
「羨ましいのはこっちだよ。俺だって千紘さんと付き合いたい」
何気なく口に出した欲望は、口に出した事によって急激に胸の内で膨らみ始める。
「あら、こないだまで『片思いでいい、絶対に言わない』って言ってたのに、どんな心境の変化?」
「だって、なんていうか、最近壁がないんだ」
以前の千紘には、ここからは入ってくるなときっぱりと線引きした壁があった。プライベートには決して踏み込ませない厳しさがあった。けれど最近その壁がなくなったような気がするのだ。かなり懐深くまで入るのを許されているように感じる。
「もしかして、と、思わずにはいられないじゃん、そんなの」
千紘も俺の事を好きなのだとそう感じる瞬間があるのだ。片思いでいいと言ったって、そんなものは片思いだとわかっているからであって、ひょっとしたら両思いかもしれないという希望があるのならばそれは片思いでいいなんて思えるはずもない。
「俺の勘違いかもしれないけどさ」
ただの希望的観測だとしたらとんだお間抜けだ。付き合いも長くなってきたし単純に人として心を許してくれているだけなのかもしれない。しかし希望を抱いてしまえば止める事が出来ないのが恋心というやつだ。あるはずのない期待に胸を膨らませてしまうのだ。
「リョータロちゃんはさ、基本的にネガティブ思考だし石橋は叩いてみても渡らないタイプよね。それでいてネクラではないのはそれを強引にポジティブに引っ張り上げる強さがあるからだわ。真面目で堅実で慎重。だからそんなリョータロちゃんがもしかしてと思うならそれは結構高確率で正解なんじゃないかとアタシは思うわ。実際にアタシが見たわけでもないからわかんないけどタロちゃんの性格から分析した結果のアタシの意見はそんな感じよ」
「そう…かな…」
「当たって砕けろなんて無責任な事は言えないけどね、タロちゃんの心が判断したことはわりと正確だと思うわというのがアタシの見解よ」
ヒロの物腰柔らかな口調で言われると、本当にそうなんじゃないかと思えてくるから不思議だ。もやもやと胸の中で渦巻いていたものがすっと凪いでいく感覚がする。
「ヒロはカウンセラーか占い師になるといいと思うよ」
「なんかちょっと胡散臭いわね」
「そんな事ないよ」
背中を押される、勇気をもらう。そんなふうに他人に力を分け与える事が出来るというのはすごく貴重な特技であると思うのだ。
「でもやっぱり振られるのは怖いよなー」
「そうね、怖いわね。だからアタシも踏み出せないのよ」
「ヒロは振られないだろ。あれはもう誰の目から見ても確実に」
「振られるのだけが怖い事じゃないのよ」
「ああ、まあ、うん、難しいね、人の心って」
特に恋というものはなかなかに複雑で厄介らしい。自分の心の中だって全ては理解できないのに、あの難解な千紘の心の中を推し量れるわけがないのだ。
少しは俺の事を好きでいてくれるのだろうか。
恋愛の対象としてみてくれた事はあるのだろうか。
なくなった壁の向こうに何があるのか、俺はどこまで踏み込んでいいのだろうか。
「さあ、リョータロちゃん、そろそろ閉館時間でしょ。これ、ハンコ押して帰ろ?」
「ほんとだ。早く行かなきゃ!」
<終>
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