手料理

「ケーキにおかずが入ってる…」

 ランチ用に用意されたプレートを受け取った俺は思わずそんな声を漏らした。そんな俺の反応を見て千紘はくっと笑う。

「そういうのがあんだよ。生地は甘くないから安心しろ。まあ、キッシュみたいなもんだな」

「へえ」

 キッシュと言われてもそれがどんなものだったかいまいち俺の記憶的にはピンと来ないのだけれど、おかず的なものなのだろうということで納得した。見た目はパウンドケーキみたいな感じなので、イメージだけでは違和感を払拭できなかったが、千紘が作るものなのだからきっとおいしいのだろう。

「ほれ、働け。お前の昼飯は今用意してるから出来るまで仕事しとけ」

「はーい」

 昨日電話で千紘に言われた通り、テスト終わりに直接バイトに来ている。来る前にあちこちで宣伝して来たので店の中はテスト終わりのうちの学校の生徒で賑わっていた。テストからの開放感で皆いつもよりも少しテンション高めで、そして財布の紐も少し緩めなのかもしれない。

 ケーク・サレとかいうらしいそれは、サラダと一緒に可愛らしいプレートに乗せられており、ドリンクもセットになってランチメニューになっていた。女の子が喜びそうなやつだ。いつもの甘いケーキもそうだが、こんな可愛らしいものがあの意地悪な男の手から出来上がるというのが信じられない。あの人のどこにこの繊細さがあるというのだろうか。仕事に対しての真摯さと情熱はわかっているけれど、未だにイメージの一致が困難だった。

「お待たせしました」

 客の前に運べば、その顔は花のように綻ぶ。先に運んだ隣のテーブルからはおいしいと歓喜の声が上がる。こんな風に人に喜びを与えられる千紘はすごいと心底尊敬する。だけどこの商品から素直に想像してみた通りの優しく繊細で爽やかな人間であったなら惚れることはなかったかもしれない。意地悪でひねくれ者で強欲な人だからこそ惹かれる。これがギャップ萌えというやつなのか、それとも俺がただドMなだけなのか。とにもかくにも、結局千紘が何をしたって俺の胸は乙女のようにキュンキュンとするのだ。

「諒ちゃん、さすがの集客力だね。お昼から大忙しだ」

 てきぱきと俺の倍ぐらいの仕事をこなしながらも忙しなさを感じさせない優雅な所作の晋平がすれ違い様にこっそりと声をかけ、ポンと背中を叩く。

「限定ってのに弱いんだよ、女子高生は特に。今日だけ特別って言ったらこぞって絶対行く~ってさ」

「開店前に食べさせてもらったけど、うまかったなあ。でも俺は甘いのの方が好きだけどね。ああ、お腹へってきたな」

「お昼まだなの?」

「いいや、諒ちゃんがお客さんたくさん連れてくる前に食べたよ」

 すらっとした見た目に反して結構大食いな晋平はあっさりとそんなことを言ってぺろっと舌を出した。そろそろ年齢的に腹が出てくるから控えろと千紘に言われていたが、実際控えているのかどうかは謎だ。隙あらばケーキをもらおうと狙っている気がする。

「諒ちゃんはまだなんでしょ?出来たら食べてきていいからね。後は俺やっとくし」

「うん、ありがと」

 だいたいの客の注文が運ばれ終わった頃、顔を覗かせた千紘にちょいちょいと手招きして呼ばれる。お待ちかねの千紘の手料理が出来たらしい。俺は晋平に軽く声をかけてスタッフルームに引っ込んだ。



 ドアを開けるとケーキ屋には決してありえない香りがして俺の腹がぐうと鳴る。食欲を刺激して止まないこの庶民的な香りはソースだ。

 折りたたみのパイプ机の上で湯気を立てて俺を待っていたのはお好み焼きだった。

「まさかケーキ屋でお好み焼きが出てくるとは…」

 驚く俺を千紘が楽しそうに見ている。

「俺はてっきり、店で出してるやつを食べさせてくれるのかと思ってたよ。わざわざ俺用に作ってくれたの?」

「男子高校生の腹はあれじゃ満たされないだろう。とはいえ、材料は今日のランチとほぼ同じだからな。家からソースと山芋を持参しただけだ」

「マジで?料理ってすげー」

 言われてみれば確かにケーキに使う小麦粉と卵、サラダに使っていたキャベツ、それから何種類かあったケーク・サレに使われていたシーフード類で目の前のお好み焼きが出来ている。料理というスキルはまるで魔法のようだ。ちなみに甘やかされて育った俺は料理なんてほとんどしたことがない。

 いただきますと手を合わせて一口口に運ぶ。できたて熱々のお好み焼きは、専門店で食べているみたいにふわふわでおいしかった。

「うまっ。千紘さん、お好み焼き屋さんも開けるよ」

「そりゃよかった」

「ケーキだけじゃなくてごはんもいろいろ作れちゃうの?」

「別に専門に勉強したわけじゃないから家庭料理レベルだな。店は開けないけど主夫にはなれるかな」

 エプロン姿で家の台所に立つ千紘を想像した。ケーキ屋のオシャレなやつではなく、テレビなんかで出てくる「お母さんのエプロン姿」のイメージのやつだ。ギャップ萌えを通り過ぎてこれはなかなか破壊力がある。だけど、千紘と結婚をして毎日千紘の手料理を食べる想像をしたら幸せすぎて卒倒しそうだ。

「いつも自炊してんの?」

「いつもって訳じゃないが、時間と余力がある時には作るな」

「その顔で家庭的とか反則でしょ」

「なんでだよ。れっきとした料理人じゃねえか」

「だって、スーパーで買い物してる姿とか想像つかない」

「お前は俺を何だと思ってんだよ」

 千紘は呆れたようにため息をつくけれど、そういうプライベートな部分をわざと見せようとしないできた千紘のせいだと思うのだ。俺に見せる仕事中の顔と、俺に意地悪する時の顔と、それからちょっとだけ親友の晋平に見せる顔を覗き見たのと、それだけの情報から想像を膨らますしかないのだからしょうがない。惚れいているが故に膨らみまくった妄想であるのは仕方がないではないか。

 ずっとずっと知りたいと思っている俺の知らないプライベートな千紘。それがこのお好み焼きの味でほんの一片だけ見れたような気がする。仕事では決して作らない手料理。普段千紘はこの味を食べているのだと、そう考えるととても嬉しい。

「メシ、それで足りるか?もう一枚焼いてやろうか?」

 至福な顔で食べている俺を見て、そんなふうに気遣ってくれるのもまた嬉しい。

「ねえ、あれ食べちゃダメ?ケーク・サレ。甘くないんでしょ?俺にも食べれるよね」

「大丈夫だろうけど、まかないに売り物要求するか?」

「晋平さんは食べたって言ってたもん」

 客に運びながらずっと、食べてみたいと思っていた。俺にも食べられるケーキ。

「だって、俺、千紘さんの本気を食べたことないから」

 甘いものをおいしいとは思えない味覚をずっと悔やんでいた。おいしいと幸せな顔をする客たちをいつも羨んできた。俺だって、千紘が人生をかけてきた本気を味わいたいとずっと思っていたのだ。それでもどうしても苦手な自分との葛藤、それから千紘に対しての申し訳なさにいつも苛まれていた。

 そんな俺の思いを何か感じ取ったのか、千紘は唐突に俺の頭を両手で抱え込むようにしてぐしゃぐしゃと髪をかき回し、そして無言のまま厨房へと消えていった。

(もしかして頭を撫でたつもり、なの…かな?)

 すっかり乱れて逆立ってしまった髪を手で直しながら、頬が熱くなる。


 千紘はすぐに戻ってきて、俺の前に皿を置いた。

 それは客に出すものと全く同じ、千紘の本気だった。サラダまできれいに盛りつけられている。

「ドリンクも付けるか?」

 職人魂に火をつけてしまったのか、妙に挑戦的な態度で言う千紘に、さすがにそこまでは要求しないですと首を横に振った。

 仕切り直すようにもう一度いただきますと告げてからフォークを手に取りケーキを食べる。見た目と味のイメージが一致していなかったそれは、本当に甘くなくて、ケーキの食感をしたおかずみたいな感じだった。調理パンみたいなものに近いのかもしれない。

「やばっ、うまっ、千紘さん天才!」

「だろ?」

 感激のあまり若干涙目にすらなる俺を、千紘はご満悦といった表情で見下ろしていた。

「みんないつもこんな美味いもん食べてたのかー」

 そりゃ幸せな顔にもなるよなと納得する。多分今の俺の顔は店の女の子たちと同じピカピカの笑顔になっているのだろう。

「なんで俺甘党に生まれなかったかなあ。絶対人生損してる気がする。悔しい」

 しっかり味わって食べようと思っていたのにあまりの美味さにあっという間にぺろりと平らげてしまった。

「ねえ、またこれ作ってよ」

「どうかな、今日の売り上げ次第だな。普段使わない材料が必要になってくるから利益率そんなに高くねえんだわ」

「えー、俺お客さんいっぱい連れてきたよ?」

「限定だからってのもあるだろ?いろんなこと考えて商品決めてんだよ」

 商売に関してはどこまでも厳しい千紘は簡単に頷きはしない。けれど、これを今日限りのメニューにしてしまうのは勿体ないと思うのだ。確かにケーキ屋の客というのは甘いものを求めて来るのだろうけれど、それでも美味しいものは美味しいとわかってもらえると思うのだ。それともこれは甘いものが苦手な俺だからこその感想なのだろうか。人の好みは千差万別だし、商売というのは難しい。

「食ったら店に出て客の反応しっかりリサーチして来い。また食べたいって声が多ければ考える」

「はーい。千紘さん、ごちそうさまでした」

 立ち上がり、きれいに何もなくなった皿を重ねていると、またしても俺の頭がガシッと千紘の両手に捕まった。

「ちょ、何?」

 千紘の顔が近づき、思わずぎゅっと目を瞑る。

「いや、ソースの匂い付いてねーかなと思って。ケーキ屋にソースの匂い漂わせてるウエイターいたらちょっとな…」

 どうやら匂いを嗅がれたらしいと気付き、顔が赤くなる。なんだろう、すごく、恥ずかしい気分になる。

「大丈夫そうだな。口だけゆすいどけ」

「あ、はい」

「食べただけだと平気だな。俺すげえソース臭くねえ?」

 鼻の前に寄せられた千紘の軽く腕まくりをした袖の匂いを、ドキドキしながら遠慮がちに嗅ぐと確かに食欲をそそる匂いがする。

「するね。千紘さんおいしそう」

「だよな。着替えとくか」

(うわあ、千紘さんの匂い嗅いじゃった)

 そんなことにドキドキして、着替えはじめた千紘の背中を直視できなくなる。

「俺、これ洗ったら行きまーす」

 重ねた皿を運び、俺は厨房の方に逃げる。

「あ、リサーチついでに食後のデザート薦めるの忘れんな。ランチの客はケーキ100円引きだからな」

「わかった~」

 洗い場で自分の食べたお皿と、それからついでに置いてあった汚れ物も一緒に片付けながら、気持ちを落ち着ける。落ち着いてこの休憩中の出来事を一からじっくりと思い出し、そして幸せをかみしめた。胸の奥がほんわりと温かくなる。

 千紘の手料理を食べられたことも、千紘のケーキを食べられたことも、千紘にとっては何も特別なことではないのだろうけれど、俺にとってはものすごいことなのだ。もしかしたらこんな機会は一生に一度しかないことかもしれない。願わくばもう一度、欲を言えば何度でも、訪れて欲しいと俺は思うのだけれど。全てを握るのは千紘だ。


「ここもソースくせえな」

 着替え終わって厨房へやってきた千紘は窓を開けて換気をする。

「ソースはちょっと失敗だったか。面倒だから今度は家から握り飯でも持ってくるかな」

「うん。俺、千紘さんの作ってくれたものだったら何でもいいよ」

 今度、という言葉が嬉しくて、思わず本音がこぼれた。

「だって、何でもおいしそうじゃん」

 慌てて取り繕った俺の言葉をどう受け取ったのか、千紘はにやりと意味深に笑んだ。

「さてはお前、次のテスト明けもメシ作れって言うつもりだな?ひょっとして休日もか?」

「千紘さんが自分で今度って言ったんじゃん。っていうか、今日だって千紘さんが作ってやるから来いって言ったんだからね。別に俺が要求したんじゃないし」

「そうか、余計なお世話だったか。ランチが好評ならまたこういうパターンもあるかと思ったんだけどな」

「…千紘さんが昼またぎで仕事しろって言うならごはん付きで働いてやってもいいよ」

 理不尽な会話に頬を膨らませ、俺はそんな可愛くないことを言い捨てて仕事に戻る。きっと千紘は楽しそうに笑いながら仕事を始めるのだろう。

 店に出る直前に「千紘の握り飯」を想像して胸がときめいた。「今度」が存在するようにたくさん営業しようと気合いを入れ、ドアを押した。



<終>

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