デートごっこ
今日も千紘はひとりで仕事をしているだろうか。定休日のしんと静まり返った店のドアの鍵が開いているかどうかそっと力を入れて押してみる。その瞬間、押したはずのドアが自分の方に向かって開き、不意打ちで押し戻された俺はバランスを崩しながら素っ頓狂な声を上げてしまった。
「なにやってんだ?おまえ」
妙な体勢で踏みとどまった俺を見て千紘が笑う。
「千紘さん、今日はもう帰るの?」
入り口に鍵をかけすっかり帰り支度な千紘にがっかりする。定休日に店で二人で会うのは俺の密かな楽しみなのに。仕事中とはいえ客がいないときの千紘はいつもより随分仕事モードがオフになっていて、ちょっぴりプライベートな付き合いが出来ているようで好きなのだ。だからこうして定休日であっても毎週足を運んでいる。けれど定休日であるのだから千紘だって休日なわけで、店にいないこともあれば今日みたいにすぐに帰ってしまうこともある。残念だがそれ以上の付き合いではないため、千紘が店を出てしまえばそれまでだ。俺はとぼとぼ家に帰るしかない。
「残念。じゃ、俺も帰ろっと」
「おう、悪いな。じゃ」
軽く手を挙げ去っていく千紘の背中を見送る。行き先が同じであれば、駅まで一緒に、とか言って隣に並ぶことも出来るのだけれど、残念ながら千紘が向かうのは俺が帰る方向とは逆だった。せめて見えなくなるまで見つめよう。こうして姿が見られただけ良かったじゃないか。完全に入れ違いになってしまわなくて良かった。本当はもうちょっと話したかったけれど、贅沢は言わない。定休日に用もないのに会いに来る俺を追い払わずにいてくれるだけでありがたいことなのだ。
見慣れた仕事着ではない私服姿に、少し伸びすぎた髪をまとめもせず遊ばせている後ろ姿は、いつもより色気倍増な感じがしてちょっとドキドキする。振り返ってくれないかなと思いながらも、振り返られたらこうして俺が未練がましく見つめていることがバレてしまうので気がつかないでほしいとも思う。恋する心とは複雑なものだ。
そんな俺のまとわりつくような視線に気付いたのか、10歩ほど遠ざかった所で千紘は足を止め、振り向いた。バレてしまったバツの悪さとともに、けれど嬉しくもある。それは少しでも俺のことを気にかけてくれている証だ。なんとなく笑って誤摩化しながら、どうせ何か文句でも言われるのだろうと身構える。しかし、千紘が紡いだ言葉は想像していたものとはまるで違っていた。
「一緒に来るか?」
俺は我が耳を疑った。千紘に焦がれるあまり、ついに妄想と現実の区別がつかなくなってしまったのだろうか。これは俺の精神が本格的にまずいぞとガクガク震えていたら「おい、どうすんだ?」と千紘が催促してくる。
「行く!行くよっ!」
どうやらこれは現実らしい。千紘が俺を誘っている。共にあることを、俺が強引に求めたわけでもなく千紘の方から許してくれるなど、なんて貴重なことだろう。一体どんな気分になってくれたのか知らないが、俺は千紘の気が変わらないうちにと慌てて後を追う。
「どこ行くの?」
「買い物。バスと電車で少し移動するけどいいか?」
「うん」
「交通費は経費で落としてやる。仕事だからな」
「仕事なの?」
そんなことだろうとは思っていたけれど少しがっかりする。それでも店のホールの仕事以外に関わることを許されたのは初めてだ。これはこれで違った嬉しさがある。
俺の問いには何の言葉も返さずスタスタと歩きはじめた千紘は行き先やその仕事について詳しい説明をする気はないらしい。俺よりもだいぶ足の長い千紘の歩くペースは結構早くて、俺は少し早足でついていく。千紘と並んで歩く幸せをかみしめながら、「今日は寒いね」などと他愛もない会話を交わした。
バスと電車を乗り継いで30分ほどの行程だっただろうか、たどり着いた先は一見普通の民家にしか見えない小さな工房のような店だった。奥から出てきた店主は白髪のスマートな老人で、リタイア後の趣味で小さな工房をやっていますといった感じのなのだろうかと思った。それぐらい商売気のない店構えで、ここが店だと教えられなければ気付かないようなところだ。
店主は千紘の顔を見るとすぐに少し待っていろと言いおいてまた奥に戻っていってしまった。用件や名を告げるまでもない顔なじみなのだろう。
「何屋さん?」
きょろきょろしながら千紘に問う。入り口付近にはまるで美術品みたいにぽつんぽつんと銀色に輝いたスプーンやフォークなどの食器類がいくつか飾られている。現品を売るというよりは、注文されたものを作るといった商売形態なのかもしれない。
「まあ、金物屋だな。主に調理器具を作っている職人だ。俺の商売道具はだいたいあのおっさんに作ってもらってる。ああ見えてこの道50年ぐらいの凄腕だからな」
「へえ」
いわゆる一点モノというやつだろうか。千紘の使っているいろいろな器具はあの老人の手作り品だったのだ。きっとびっくりするような値段だったりするのだろう。金の亡者千紘はがっちり稼いだ金をこういうところに使うのだ。こだわるところは徹底しており、金に糸目は付けない。こういうこだわりがきっとケーキの質にも繋がってくるのだろう。千紘のそういう所はとても魅力的でかっこいい。男として憧れる。
「この辺に飾ってあるのって売り物?」
俺の目に留まったのは小さなティースプーン。値札もついていないそれは、売り物というよりも展示物といった様相であるが、同じデザインのものが数点ずつ置かれているのでおそらく売り物なのではないだろうかと思われる。あのおじいさんの見た目からは想像できない可愛らしいデザインが持ち手の所に施されている。シンプルだが繊細で、そして思いのほか現代的だった。
「こういうの七生が運んできたら面白くない?」
手にとっていいのかどうかわからないので指をさして示したそれは持ち手の先が王冠の形になっているスプーンだ。うちの店は千紘の戦略として店員のキャラで売っている部分が結構あるので、小物まで徹してキャラ付けするのも面白いんじゃないかなとこれを見てふと思いついたのだ。細かな仕掛けに若い女の子は意外と目敏く食いつく気がする。
「確かに、女の子はこういうの好きだろうな」
単なる思いつきで口にしただけだったのだが、商売心に火がついたのか、千紘は熱心に俺の手元を覗き込む。
「じゃあ、例えば晋平だったらどれだ?」
頭の中では既にイメージが展開しているのだろう、千紘は自分でもあれこれデザインを見比べながら時折考え込むような素振りを見せる。
「晋平さんなら…これかな。四ツ葉のクローバー。なんか幸せ運んでくれそうじゃない?晋平さんって」
「なるほどな。悪くない。それならおまえはこれか」
千紘がひょいと手にとったのは可愛らしいウサちゃんのキャラクターがついた一回り小さいものだった。
「それって完全に子供用だよね?赤ちゃんが使うやつだよね?」
「お前のイメージ、こんなもんだろ」
真剣に考えているかと思いきや、俺へのいじめの算段を練っていたのか、この人は。俺が子供扱いされるのを嫌がっているとわかっていてわざとこういうことをするのだ。
「ひっどい、千紘さん」
「おっと、おっさん戻ってきたな」
人を小馬鹿にした笑いを残して、千紘は逃げるように戻ってきた店主の元へいってしまう。子供扱いにもほどがある。子供用スプーンを見つめて俺は頬を膨らました。俺が子供なのは事実だから仕方がないけれど、俺だって後3年もすれば成人なのだ、もう少し一人前の人間として見て欲しい。赤ちゃんレベルだなんていうのはもちろん冗談であるとわかっているが、千紘の感覚としては似たようなものなのだろう。自分は大人であいつは子供、という線引きをされている。俺は躍起になってその線を消そうとするのだけれど、千紘は何度だってその線をまた引き直す。俺を同じ土俵になんて上げてくれるつもりはないのだ。
職人さんと何やら楽しげに言葉を交わしている千紘の背中を離れた場所から眺め、その中に何気なく入っていけない自分との間に精神的な隔たりを感じた。お父さんの仕事場に着いてきた子供みたいに所在なく、その世界に自分だけが交われない孤独感に押しつぶされる。
(千紘さんは俺をどうしたいの?)
許されているのか拒絶されているのか、わからない。近づいたと思えば突き放される。何を言われたわけでもないけれど、そういうのはなんとなく感じ取れるものだ。その繰り返しで、俺はどこまで踏み込んでいいのかわからなくなる。何も言われないから、わからない。
「待たせたな。いくぞ」
手持ち無沙汰で入り口にしゃがみ込んでいた俺の頭を千紘の手が小突く。
「もう終わり?」
「ああ、頼んであったものを受け取りにきただけだ」
「そっか」
千紘の手には店の名前も何も入っていない無地の紙袋が握られている。中身はわからないが、仕上がった商品が入っているのだろう。
行きと同様早いペースで歩き出す千紘の隣を早足で歩く。足が長い上にわりとせっかちだ。俺の歩幅に合わせてやろうなんていう気はさらさらないらしい。
「今度から諒を使いに出してもいいな。場所は覚えたろ?注文と支払いは自分でするとして、引き取りぐらいは問題ないな」
満足のいく仕上がりだったのだろう、千紘は行きより心なしかご機嫌な様子だった。
「もしかしてそのために俺を連れてきたの?」
なぜ俺の同行を自ら許したのかと不思議だったけれど、そういう魂胆があったからなのかと妙に腑に落ちた。俺が期待するようなことなんて最初から何もないのだ。全部が仕事に繋がる。そのためだけの俺なのだと、分かっていた事実に今更落ち込んだのだが。
「いや、それは今思いついた」
ご機嫌な千紘はさらりとそんなことを言う。
「だっておまえさ、捨てられた子犬のような目で俺の背中を見送るから、置いていくのに罪悪感みたいなもの感じるだろうが」
あんな目で見るなと小突かれて、俺は目を丸くする。
あの何事にも動じない千紘が思わず拾い上げてしまうなんて、俺は一体どんな顔をしていたのかと恥ずかしくなる。確かに名残を惜しむ寂しげな視線を送っていたとは思うが、まさかそれで千紘の心が動くなんて。
「千紘さんって捨て犬を拾っちゃうタイプの人だっけ?え、意外だな」
軽くパニックで、そんな軽口で恥ずかしさを誤摩化した。
「お前俺をどんだけ非道な人間だと思ってるわけ?」
「そりゃあもう鬼畜なほどの冷血漢で世の中金が全てな人でしょ?」
そんなこと思っていないけれど売り言葉に買い言葉。
「帰りにお茶でもおごってやろうかと思ったけどやめるぞ、こら」
本当は優しい人だ。意地悪だけれど甘い。
「わああ、ごめんなさい、嘘です。ほんの可愛い冗談です」
本当に今日は機嫌が良いようだ。目的を果たせばさっさと帰宅かと思ったのに寄り道までさせてくれるらしい。俺は心の中で飛び上がって歓喜の叫びを上げる。
「なら駅前に新しく出来たケーキ屋に偵察な」
「えー、やっぱり仕事なの?」
どうあっても素直にプライベートとはいかないらしい。が、多分これは半分本気、半分言い訳みたいなものなんじゃないだろうか。これは俺の勝手な思い込みだけれど、どう考えても千紘がよその店のケーキを気にするようなタイプとは思えないのだ。研究熱心ではあるだろうし、実際他人が作ったケーキを食べる時には仕事を抜きにして普通には食べられないのだろうから偵察と言えば偵察になってしまうのだろうが、あえてそれを目的に店に入ろうという気はないのではないだろうかと思うのだ。なので仕事のためそこに行くというよりも、俺を連れて行くことがイコール仕事に繋がってしまうということなのだろう。そこであえてケーキ屋を選択するのは、俺への意地悪なのか、本当に一度食べてみたいという思いがあったのか、半々といった所だろうと予想する。
「俺ひとりじゃ入り辛いから、おまえが隣で『わーい、ケーキケーキ』って騒いどけよ」
「え、俺ケーキ食べないし」
「付き合わされて仕方なく俺が食う」
「なんだよ、それ。千紘さんそういう体裁とかって気にするタマじゃないでしょ?」
「偵察だとバレたらかっこわるいだろ。俺が違和感なくケーキ屋に入るとしたら女か子供連れて行くしかない」
どこまで本気でどこまで冗談なのかよくわからない。けれど、俺がバカにされていることぐらいはわかる。また子供扱いだ。
「高校生男子連れてったって何のカモフラージュにもなんないよ!」
「いやいや、諒ならいける」
グッと力強く親指を立てられたってなんにも嬉しくない。
「そこまで童顔じゃないし、ましてや制服だからね!余計に違和感アップだからね!」
「今時の若い子は草食系だからいいんだよ」
「意味わかんねえし」
膨れっ面をしながらも、嫌ならやめるか?と言われてしまえば行きますと即答するしかないのだ。惚れた弱みというのは厄介なものだ。
おやつ時を少し過ぎた店内はあまりひとけがなく、正直俺たちふたりはとても浮いていると思う。が、俺の渾身の芝居でとりあえず近所の同業者とは疑われずにやり過ごせたはずだ。ケーキ大好き少年を演じた俺はノンシュガーのストレートティーをすすり、目の前ではおよそケーキの似合わない男がひとり真剣な表情で三つのケーキをつついていた。
傍から見た光景は明らかに妙であるが、俺にとってはとても幸せな時間だった。だってこんなふうにプライベート…かどうかは微妙な所だが、外で千紘と二人でのんびりお茶をするなんて、そんなの夢のまた夢みたいなことなのだ。
「なんかデートみたいだね」
うっかりそんなことを口走ってしまうぐらい舞い上がっている。
「バカ言え、ただの買い出しだ」
即刻否定されてしまったけれど、別にいい。それでもいいのだ。ただ俺がそう感じているだけで幸せなのだ。
一緒に買い物をしてお茶をして。なんと素敵な放課後デートなのだろう。もし本当に千紘と付き合うことが出来たらこんなふうなのかな、なんて妄想を繰り広げながら、先程からケーキばかりに集中してこちらに視線のひとつもくれない千紘を半ば睨むように見つめる。実際の所デートではないのだから仕方がないけど、もうちょっと俺に興味をもってくれたっていいのに。
そんなことをぼんやり考えながら無言のままいると、千紘が何かを思い出したようにフォークを置き、脇に置いていた紙袋を覗き込む。
「そうだ、諒、これやる」
千紘は小さな紙袋を取り出し、無造作にテーブルの上に乗せた。店の名前も何も入っていないただの茶色い紙袋を受け取り開けると、中には銀色のティースプーンが一本入っていた。
「え、さっきの店で買ったの?俺に?」
「なんとなく、気に入っただけだ」
「ありがとう!大事にする」
本当にデートみたいだ。プレゼントまでもらえるなんて、これはどう考えたって素敵なデートじゃないか。名目は仕事仕事だけれど、やっていることは完全にデートだ。俺が勘違いと妄想で浮かれたって誰にも文句は言われないだろう。
ティースプーンは柄に二つ並んだ大小の星がデザインされている。銀色に輝くきれいなスプーンは、その小さい方の星だけが金色をしていた。
先程の話の流れから、もしかしたらこれは千紘の中の俺のイメージだったりするのだろうか。だとしたら、なんて嬉しいのだろう。まあ、「この二つあるうちの小さい方の星な」とか言われるんだろうけど。それでも星というイメージは多分誰の中でもかなり良いイメージであるだろう。千紘の中で星みたいにキラキラ輝く存在であったなら嬉しい。
「店で使うのもありだなあ。ちょっと値は張るが、いいスプーンだ」
俺が幸せいっぱいに見つめるそのスプーンを、完全に仕事モードな千紘がしげしげと見つめ、しまいには手にとって触り心地やらなんやらを確かめ出す始末だ。これは俺のために買ったというより、店に置くためのサンプル的な買い物だったのかもしれないな、と妙に冷静に分析をする自分がいた。
俺のためなのか、仕事のためなのか、俺にはその判別がつかない。買い物に連れて行ったのもケーキ屋に入ったのもスプーンを買ってくれたのも、全部仕事のためかもしれないし、全部俺のためなのかもしれない。意味合いはまるで違うのに、どちらにも取れてしまう千紘の言動に俺はまんまと踊らされるのだ。
都合のいい妄想をしたい自分と、傷つきたくないと冷静になる自分とがせめぎあう。
愛さないなら優しくしないでと泣きながら、それでもいいから優しくしてと願う。
恨めしい目で見つめていると、千紘は腕時計に視線を落とした。
「食ったら帰るか」
デートごっこはこれでおしまい。先程まで研究熱心にじっくりと食べていたケーキの残りはぺろりという効果音が最適なスピードで千紘の口の中に消えていった。名残を惜しむ暇もない。
それでも。
「千紘さん、今日は連れてってくれてありがと。楽しかった」
それが俺の素直な気持ちだ。
伝票を持って立ち上がった千紘が珍しく満足げににっかり笑って俺の頭をくしゃりと撫でるから、胸にわだかまったあれやこれやは全部吹き飛んだ。
「千紘さん大好き」と叫んでしまいたい気持ちをぐっと飲み込んで、随分日が落ちた道を駅へと向かう。冷えた空気に千紘は体を竦めたけれど、俺は心も体もぽかぽかで寒さなんてへっちゃらだった。「子供は風の子」とボソリ呟いた千紘の言葉は聞こえなかったことにする。
<終>
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