大人たちのヘビーな年明け
チャイムを押すと、昼間から随分酒臭い千紘に迎え入れられた。
「ちーさん、あけましておめでとう。正月だからって飲みすぎじゃないの?」
久間との元旦デートの最中にかかってきた電話で既にだいぶ酔っていることはわかっていた。だいたいにして千紘は酔った時ぐらいしか強引に俺を呼びつけたりはしないのだ。俺としてはもう少し普段から頼ってくれてもいいんじゃないかなと思うのだけれど、わがまま放題に振る舞っているように見えて実はとても人に気を遣う男だ。わがままは緻密に計算された許容範囲内でしか言わないしやらない。思うがままに生きているように見えて、とても我慢強いのだ。我慢していることを人に見せないから、我慢することなく生きているように見えるだけ。それは彼の美徳であると思うが、十年来の友人としては、少し寂しく感じることもある。だから時折、こうして酒の力を借りて箍をはずす千紘を見ると何を置いても甘やかしてしまいたくなる。
「デート中に悪かったな」
「いいよ、どのみち最初から早く帰る予定だったから。午後はクマくん実家に帰るんだって」
近くのコンビニで買ってきた酒とつまみをレジ袋から出してテーブルの上に並べると、床の上を簡単に片付ける。久間の部屋みたいに盛大に散らかっているわけではなく、新聞や本、リモコン類などがいくつか転がっているだけであるが、気になってしまうのは性分だ。
「お前はおかんか」
千紘は苦笑しながらも、懐かしいやり取りだと嬉しそうにした。大人になってあまり機会はなくなってしまったが、学生のころはよく互いの家を行き来したものだ。
「何飲んでる?日本酒?」
「おう、正月だからな」
「お正月の雰囲気どこにもないけどね」
正月飾りもなければ、格好だってただのスエットだし、もちろんおせち料理なんてあるわけもない。スナック菓子をつまみながら一升瓶から直接お猪口に酒を注いで飲んでいるだけで正月も何もないものだ。形を大事にする乙女な彼氏とはまるで違う。だからこの人とは恋愛関係になれないのかな、なんて思いながら笑う。こういうのが嫌なわけではないし、自分だって似たようなものだと思うけれど、そこにトキメキは決して生まれないだろう。だからこそいい友人でいられるのかもしれない。
「俺はまずビールをもらうよ」
自分で買ってきた缶ビールのプルタブを引き小気味好い音を立てると、千紘の猪口にこつんとぶつける。
「はい、今年もよろしくっと」
「んー」
初詣の人混みからの駆けつけで乾いた喉に冷えたビールを流し込む。寒くてもまずはこの爽快感から始めないと飲んでいる気がしない。
「どんだけ一気だよ。相変わらずザルだな」
「いやあ、早くちーさんの酔っぱらい深度まで追いつかないとと思って」
「明日までかかったって晋平はこんなに酔わないだろうよ」
かなり酔っているという自覚はあるらしい。騒いだり、ろれつが回らなくなったりと、派手な酔い方をする質ではないので他人にはわかりにくいかもしれないが、目の据わり方とかいつもより甘え目の言動とか、晋平にはわかる判断材料はいくつもある。
「ただ正月だから飲んでたってわけじゃなさそうだよね。何かあった?」
まだ正午を少し回ったぐらいなのに深夜に突入した飲み会みたいな酔いっぷりだった。
「まあ、ちょっといろいろあって、眠れなくてずっと飲んでた」
晋平の顔見たら眠くなってきたと、千紘は俺の膝を枕にごろんと寝転がった。
「あ、やべー、目瞑るとぐるぐる回るわ」
いつになく甘えたがる千紘の髪を撫でながら、これは精神的に結構参っているなと感じる。
「ちょっと待って、ちーさん、いろいろって何?もしかしてやっちゃった!?」
誰とも何とも言及しないけれど、俺の言わんとすることは伝わるだろう。だって昨夜は店で千紘と諒太郎と3人で忘年会をしたあと俺は二人だけを残して帰ったのだ。そのあとにいろいろあったと言われれば想像することはひとつしかない。
「やってねーよ」
千紘は額に手を当てて大きなため息をつく。
「ちゃんとあのあとすぐに送り届けたよ」
「じゃあ何?夜中に何があるんだよ?」
こんなふうに千紘の心を揺さぶるのはきっと諒太郎絡みだろうと思ったのだが違ったのだろうか。けれどそれ以外に思い当たる節がない。昔ならともかくここ数年は何かに思い悩んだり精神的に落ちたりすることなんて全然なかった。だからこそ最近諒太郎に振り回されている千紘を見るのが新鮮で楽しく微笑ましいのに。
「きっちり真面目に大人として親元まで送り届けようとしたのが裏目に出たというか、挨拶だけして帰ろうと思ったら捕まっちまって」
「って、親父さんに?」
やはり諒太郎絡みで間違いはなかったようだ。がしかし、俺が想像していたものよりもっとヘビーだ。諒太郎の父と言えば、過保護なほどに息子のことを溺愛しており、息子に内緒で店まで来て俺たちに釘を刺していったような人だ。千紘が断固として諒太郎への恋心を認めようとしないのは父親とのそんな約束があるからなのかもしれない。それが全てではないにしろ、少なくともその一因をに担っていることは間違いないだろう。
「正月だし一杯飲んでいけと言われたら断れないだろう。家に上がって小一時間杯を交わしてきたよ」
「何か言われた?」
「いや、表面的には何も。だけどなんだろうなあ、値踏みされてるというか牽制されてるというか、無言のプレッシャーってやつがもうビシビシとさ」
「諒ちゃんがちーさんに惚れてるって知ってるのかな」
「わかんね。あいつがそういうこと親に喋るのか知らねえけど、親だし感づくのかも。尋問されてる容疑者みたいだったよ、俺。カツ丼のかわりにおせち出た」
泣いているわけではないだろうが、千紘は右腕を自分の両目の上に乗せる。だんだん口調も子供っぽくなっていることに千紘は気付いているだろうか。
「それは大変だったね」
吐き出すだけ吐き出して眠ってしまえばいいと、体をそっとさすってやる。
「だけどそれが辛いのは後ろめたい感情がちーさんの中にあるからだよね」
千紘の側に何も感情がないのなら、別に親に何を言われようと毅然としていられるはずだ。千紘は半分眠りかけているのかそれともわざとなのか、俺の正論に何も言葉を返さなかった。
「いっそのこと、息子さんを俺にくださいとか言ってしまえば良かったのに。楽になれると思うよ」
「…馬鹿言うな」
「なんだ、起きてんじゃん」
からかうようにくすくす笑うと、表情を隠された腕の下で口元が不満そうに結ばれるのが見えた。
「んな覚悟できるかよ。あいつまだ高校生だぜ?」
消え入りそうにかすれた小さな声で千紘は呟いた。
「すぐ高校生じゃなくなるよ?」
「…そういうことじゃねえよ」
「じゃ、どういうこと?」
突っ込んで聞くと千紘はまた返事をしなくなった。今度は本当に眠ってしまったらしい。呼吸が寝息に変わっていく。
徐々に諒太郎に惹かれる心が胸の中で大きくなっていくに従って、大人としての立場や責任といったものとの間で板挟みになっていくのだろう。いいかげんなようでいて、人一倍責任感が強いのだ。本気だから遊びのようにはいかない。感情だけで突き進めるほど世間知らずな子供でもない。
「気持ちはわかるけど、男らしくないよね」
眠ってしまった千紘の耳には届かないけれど、俺はそう評した。だけどそうやって足掻いている姿が友として愛しいと思う。何でもできるような飄々とした顔をしているよりもずっといい。
(俺の前でだけ吐く弱音が嬉しいなんてね)
きっと諒太郎の前でも晒さないであろうそれを一人噛み締める。
久間への愛とは全く別次元の愛情で、俺はこの友を心から愛している。
千紘はそのまま夕方まで寝こけて、俺は枕に徹しながら一人寂しく手の届く範囲にある酒を全部飲み干した。そろそろやることもなくなったし足も限界だぞと思った頃に目を覚ました千紘は、すっきりした顔で「ああ気持ち良かった」と涎を拭った。
「うわ、涎はやめてよ」
「すまん、完全に熟睡してた」
「ま、よく眠れたなら良かったけど。不眠症、クセになったら困るし」
「お詫びにメシ作る」
立ち上がった千紘は、まだ酒が残っているのか少しふらついてこめかみを押さえながらキッチンへ向かう。
「なるようにしかなんねえよな」
何に対してなのかよくわからない言葉を投げてよこすのに「そうだね」と返し、俺はすっかりしびれきってしまった足を両手で揉み解した。
<終>
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