ラブレター

「諒ちゃん、何か落ちたよ?」

 帰り支度をしている途中、学生服のポケットからひらりと舞い落ちたそれを晋平が見つける。なんだっけと思いながら拾ったのは飾り気のない水色の封筒。表にはずいぶん遠慮がちに香川諒太郎くんへと俺の名前が小さく記されている。

「そういえば…」

 今朝登校した時に下駄箱に入っていて、何だろうと思いながらポケットに突っ込んだままその存在を忘れてしまっていた。俺宛に届けられた手紙。そのベタな手段に、これがラブレターであることはなんとなく察していた。しかし、俺にとって千紘以外の人からもらうラブレターは意味のないものであり、差出人には本当に申し訳ないが今の今まですっかり記憶の外に投げ出されていた。

 けれど興味はなくともせめて中身ぐらいは確認するべきだろうと、封筒と同じく飾り気のない便せんを取り出し開いてみる。

「もしかしてラブレター?」

「そうみたい。今朝下駄箱に入ってたんだ」

 からかい気味に口を挟む晋平に、俺はその文章に目を通しながら頷き返す。

「ラブレター!?誰から?」

 後ろで着替えていた七生が聞き捨てならないとばかりに首を突っ込んでくる。七生ならラブレターなんて珍しくもないだろうに、興味津々で覗き込んでくるのはなぜだろう。

 そして、面白そうなことを見逃さないいじめっ子本能が運を引き寄せるのか絶妙なタイミングで厨房にいた千紘も顔をのぞかせた。

「なんだ、今でもラブレターなんて書くんだな。そういうのメールで済ませちまう世代なんじゃねえの?」

 全員の視線が俺に集まる。学校で開けば周りの視線を浴びるからとすぐにポケットにしまい込んだわけであるが、ここでも結果は似たようなものだった。学校みたいに変な噂が立ったりすることはないけれど、あんまり興味をもたれるとやはりこそばゆい感じはする。家で一人で開けばよかったと少し後悔しながらも、しかし再びポケットに戻せばそのまままた忘却の彼方へとやってしまう気がしたのだから仕方がない。

「あんまりよく知らない学校の人。俺最近気付いたんだけど、こういう本気なやつってだいたい男なんだよね。女の子からもらうものは軽い感じでいいんだけど、こういう重そうなのはどうしたらいいか困る」

 ため息で震えた便せんを、元あったように折り畳んで封筒に戻す。

「男からなの?」

 俺の呟きに七生だけがぎょっと驚いた。千紘も晋平もそれが珍しくはない世界の人だし、俺が男にもモテることを知っている。七生はいつも俺のことを好きだ好きだと言うけれど、別にもともと男が好きな人間ではないだろうし、遊びの延長みたいなものなのだと思う。実際に男が男に本気のラブレターをもらうとか、そんな世界とは無縁に生きてきたに違いない。

「女の子がこんな味気も素っ気もないレターセットでラブレターを書くと思う?」

 中身を見る前から俺にはわかっていた。それぐらいの経験値があるのだ。女の子はこぞって俺に可愛らしいものを与えたがる。七生がもらうものはもうちょっと大人っぽいのかもしれないが、それでも無地なんてありえないだろう。こういう男でも購入できる飾り気のないものを使うのは差出人が男性であることの表れだ。

「七生はきっと俺よりいっぱいラブレターもらったり告白されたりするでしょ?上手に断るのってどうしたらいいのかな。七生はいつもどうしてる?」

 好意を向けられるのは決して嫌なことではないのだが、本気の相手に本気でごめんなさいしなくてはいけないというのは思ったよりきつい。なるべく傷つけないようにとか、元々近しい人の場合その後の関係性を保てるようにとか、いろいろ気を遣って思い悩んでいるうちにキリキリと胃が痛くなる。気持ちをぶつける方は結果はどうあれ伝えられた喜びとかすっきり感があるのだろうが、ぶつけられた方には苦痛と気まずさしか残らない。相手が自分の思い人でない限り、重い。

 毎回思い悩むそれを、自分以上にモテそうな王子に聞いてみる。何かいい術を身につけているかもしれない。期待の目で見つめると、七生は少し考えて、そして申し訳なさそうに目を逸らす。

「男からはもらったことがないからどうかな。女の子だったら俺はみんなのものだからって言うけど。適正な距離を保たないと怖いよ?みたいな。ごめんね、いっさい参考にならないよね」

 自覚はちゃんとあるらしい。七生は漫画の世界みたいな場違いな返答をよこして恥ずかしそうに頬を染めた。それを俺に当てはめるなんて、ありえない。いくらアイドルみたいにもてはやされていたって、そんな歯の浮くようなこと俺には言えないし、そんなキャラを求められてもいない。さすが王子、凡人とは別世界を生きているらしい。

「じゃあ、千紘さんは?千紘さんはどうしてる?」

 七生の先程の返答がツボに入ったらしく、七生の向こうで腹を抱えて笑い転げていた千紘に目を向ける。千紘だってモテるはずだ。経験も豊富そうだし何か素敵な技を持っているかもしれない。

 矛先が自分に変わったことに気がついた千紘はなんとか笑いをおさめて俺を見た。迷うように一瞬視線をそらしたかと思うと、なぜかとても上から目線で俺を見据える。

「とりあえずやっちゃうからお断りしたことねえな。生理的に受け付けない奴はその場で罵倒しておしまい」

 酷く外道なセリフをさらりと吐かれて、俺と七生の時間が止まる。あんぐりと口を開けて放心する純な少年たちを千紘はからかうように鼻で笑った。

「聞く人間違った。俺が馬鹿だった」

 自分の行いを激しく後悔する。あまりまともな恋愛をしてきていないことなんて、これまでのやりとりで察していたはずなのに、何かを期待した俺が浅はかすぎた。

 告白したら俺相手でもとりあえずやっちゃうんだろうか、なんてことを一瞬考えて、すぐに打ち消す。いや、ちがう、これは「だから俺に告白なんてするんじゃないぞ」と釘を刺されたようなものだ。全てが真実かどうかもわからないけれど、相手が誰でもやっちゃうんだとか考えるといろいろきつい。

 思考に引きずられそうになる自分を無理矢理引きはがし、俺は友人の鬼畜な発言に苦笑するしかできないでいる晋平に救いを求める。

「晋平さんは?」

「俺は君達みたいに頻繁に告白されることなんてないからね、だから経験談ではなくて一般論ね。相手に良く思われたいっていう思いを捨てることかな。何をどうしたって断るってことは既にそれだけで相手を傷つけるんだからね、その上で良く思われたいなんて現実味のないことは捨てちゃった方が楽だよ。嫌われてもいいから気がないことをちゃんと伝えるのが後々トラブルにならない方法だよね。だからってあの人みたいに恨まれるような酷いことは絶対言っちゃダメだけどね」

 くるっと千紘を指差して、晋平は笑う。千紘が不満げに晋平を睨んでいるが、何も気付かなかったみたいにさらりと流す。その器の大きさが信頼に値するのだと本能的に感じる。一番信頼できるこの人の言うことをしっかりとその言葉を胸に刻み込もう。

「誠実であることが一番だよね。そこ、悪いお手本二つね」

 七生のそれも晋平的にはNGらしい。二人を順に指差していくと、晋平は最後に俺の頭を撫でる。

「告白は自分の好きな人にしてもらうのが一番だよね」

 菩薩のように慈悲深い笑みを向けられ、俺の心は洗われるようだった。先程千紘の言葉で汚され、小さく抉られた心の傷がすっと消えていく感覚。

 晋平が癒し系の鑑みたいな人で良かった。きっとこのバランスがここまで店をもり立ててきたのだろう。毒の多い千紘の横には絶対に必要な人だ。

「世の中そううまくはいかねえもんさ。若いうちにいっぱい苦労しとけ」

 急にまともな大人みたいな説教をたれる千紘に水を差されたような気がしてむっと睨みつける。俺はお前に告白なんてしてやらないと、そう言いたいのだろうか。そんなこと、わざわざ言われなくたってわかっているのに、せっかく晋平に癒された俺の心をそうやってまた少し抉る。意地悪だ。

「ま、男に興味ねえとか、恋人がいるとか、嘘でも言っときゃ手っ取り早いんじゃね?」

 どっちも嘘だとわかっていながら千紘はわざと言う。誠実であれと今晋平に言われたばかりなのに。

「つか、オーケーするって選択肢はないんだな」

「ないよ!俺千紘さんみたいに誰とでもやれる人じゃないもん」

 最悪なセリフを吐く千紘にさすがにぶち切れて、俺は目の前の机に脱ぎっぱなしにしていたエプロンを投げつける。それを軽く受け止め机の上に投げ戻した千紘は、怖い怖いと大げさに肩をすくめ、とても満足そうな顔で厨房へ戻っていった。

「何しにきたんだ、あの人は」

「気になったんじゃないの?」

 晋平は慰めるようにそんな嬉しいことを言ってくれるけれど、俺にはただ俺を苛めにきたとしか思えなかった。

 俺が他の誰かを好きになったら千紘は楽になるのだろうか。

(それはちょっと…きついな)

 ネガティブなことしか考えない思考を振り払うように首を横に振る。

 全部悪い方に思えてしまうのは、今自分が誰かの恋心を手折ってしまおうと考えているからだろう。恋に敗れるラブレターの差出人の思いに引きずられている。

(俺なんてたったこれだけのことでこんなに辛いのに)

 本人からきっぱりと思いを断ち切られるのはどれだけ痛いのだろう。

(そんな覚悟、俺にはないや)

 だからせめて、俺は誠実でいよう。

「俺、あんな酷い大人には絶対ならないよ」

「どう転んだって諒ちゃんがああはならないと思うけどね」

「諒くんは諒くんのままでいれば大丈夫だよ」

 二人に励まされて俺は顔を上げる。真っ直ぐに前を見て進む。俺にしかできないことを俺らしく俺が思うようにやっていく、それだけだ。

 恋なんて、うまくいかなくて当たり前だ。思いが重なる方が奇跡だ。

 それでいい。いつか訪れる奇跡を夢見て突き進め。



<終>

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